●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
『英国を撃つ』武藤貞一著(昭和12年・1937年)より引用(当時のベストセラー)
◆支那の大嘘を許すな 「通州事件もデマから起った大惨劇」 そこで支那のデマ戦術についてだが、武力戦において勝目のない支那が、 宣伝の方に全力をあげるは少しも不思議でない。 日本はそれに憤激するよりも、 当然支那の手口がそこへ及んで来ることを予期して、 これに備えていなければならぬところだ。 要するに、宣伝上手の支那を制圧するに足るだけの宣伝機関を 整備するのが事変に際しての用意であるべきだった。 通州事件は議論でなく現実に支那側のデマから起った大惨劇である。 これを未然に防ぎ得なかったことはいかにも残念であるが、 それはしばらく措き、すでにかかる残虐行為が続出された以上は、 日本側でもっとこの実情を世界に知悉させるべきではなかったか。 実を言えば、この事件一つを世界に宣伝しただけでも、 支那の鬼畜にも劣る、非人道的振舞は徹底するわけであり、かてて加えて、 上海支那空軍のめくら爆撃という絶好の材料が揃ったにも拘らず、 何故か当局のなすところは因循不徹底を極め、日頃やれ国民外交の、 官僚独裁のといっている文化人・学者・ジャーナリストの一団が、 かかる機会を捉えてこそ大いに世界に呼びかけるべきであるにも拘らず、 低声微温にして何者にも怖れ恥ずるがごとく動かなかった。 この卑屈な態度がわが一部の知識層にあるということは、 その後の時局の移り変わりに、目に見えざる悪影響を及ぼしたことは 実に測り知るべからざるものがあるのである。 支那軍は現にダムダム弾を使用し、 上海戦線では毒ガスを用いた形跡さえあるのだ。 立場をかえて、これが日本軍だったらどうであろうか。 日本海軍は南京軍事施設爆撃に際し あらかじめ余沫の外人と市民に及ぶなきやを恐れて、その避難を勧告した。 決して退去命令を発したわけでも何でもない。 全く武士道精神による思い遣りからであったが、 本来空襲は敵の虚を衝くこそ常則であって、 あらかじめ時日を指示して 空襲を警告するなどいうことはあり得ないことなのだ。 そのあり得ないことを忍んでしたのは、 わが海軍としてよくよくのことである。 然るに外国人はこんな日本人特有の武士道は到底理解し得ないところから、 この勧告は南京市街地に潰滅的爆撃を加える前触れのごとく曲解した。 即ちそうでなければこんな親切な勧告を わざわざ発する筈がないと彼らは彼らの心性を持って判断した。 支那側はこれを逆用して俄然大宣伝に着手した。 連盟への提訴と相俟って、 南京・広東の爆撃模様は全く捏造の打電となって現れるに至った。 これにロイター通信が合作したことは注意すべき事柄である。 折柄地中海では国籍不明の潜水艦が暴れて、アメリカ人の注意が、 欧州大戦以来伝統的呪詛の目標たる「潜水艦」に向けられているのを 知った英支合作宣伝機関は、だしぬけに「日本潜水艦」なるものを登場させ、 無辜の支那漁船がこれに撃沈されたという報道をでっちあげた。 ところが、真相は、わが哨戒艦が海上に難破した支那漁民を救助してやって、 これに食を与えると、手を合わせて拝むという始末、 憐憫のあまりこれを香港へ送ってやったが、何ぞ図らん、 それが「日本潜水艦に撃沈されて命びろいをした支那漁民」 ということになっているのである。 小児を木に吊るして日本兵が射殺している写真及び「日本兵蛮行」の写真が、 支那一流の手によって毒々しく作り上げられて欧米の新聞に送られているが、 日本人から見れば日本兵か支那兵かは一目瞭然だが、 欧米人には日支人を見分け難い。 南京空襲の跡の写真などは、現に自国飛行機のめくら爆撃で 大災害を蒙った上海市街の写真を偽造したものであるが、 これとて欧米人に見分けのつかないのはやむを得ない。 すべて支那の宣伝技術は大戦当時におけるイギリスを 模倣していること明らかであり、 今後ますます猛烈を極めて来ることが予想される。 ベルギーでイギリスの女間諜キャベンがドイツ軍に発見されて銃殺されたが、 この女間諜がたまたま病院の看護婦だったのを好題目として、 イギリス宣伝機関は猛然とドイツの非人道を攻撃し、 世界の反独熱鼓舞に利用した。 この一人の事件を書き立てることによって、 イギリス軍部は一挙十万人の義勇兵を得たといわれている。 支那でいまにこの種の手口も踏襲することと思われる。 戦争不介入を最初から堅持していたアメリカ政府を、 兎に角支持に起たしめたことは、イギリスの成功でもあるが、 また同時に支那宣伝戦の百パーセント奏功というの外はない。 かくて、アメリカは大統領声明をもって日本に「条約違反」の烙印を 押した以上、そのままでは引込みのつかぬ境地に立ったわけであり、 内心行き過ぎを後悔しながら、 これから段々に対日制裁へ引きずられて行くものと見ねばならぬ。 日本はなぜもっと早くに、アメリカ引き止めに全幅の努力を払わなかったか。 いつの場合でも、一日の安きをぬすみ、 眉に火がついてから騒ぎ出したのでは手遅れではないか。 遅まきの工作は六菖十菊の謗りを免れず、 敵に機先を制せられてから起ちあがるのでは、 いうことがすべて弁解か釈明じみてしまいはせぬか。 初めからもそうだったが、事変五ヶ月経過後の今日は、尚さらハッキリと、 この日支事変というものが、 支那大陸を舞台とする日英の経済争覇戦たるの面貌を具備して来た。 上海も南京も広東も粤漢鉄道も、 すべてこれイギリス多年の対支経済戦の拠点であって、 そこに日本軍の威力が一弾落ちれば一弾だけイギリスの地盤は 傷つくものとかれは思っているのである。 東沙島まで占領されて見ると、香港は作戦基点としてもはや海上の裸城だ。 イギリスがその宣伝戦の主力を日本に集中して 猛然と立ち向かって来ていることは、 実に日本にとって警戒を要すべき事柄で、 武力戦と異ならぬ最大級の用意と覚悟を必要とするのである。 ◆支那に先行される外交 「軍事行動と外交工作の跛行」 日本はこれまで色々の形態のもとに対外行動を経過して来たが、 それに付随する欠陥というものは決まって同じものだった。 即ち軍の行動は国民によって全幅の支持が払われ、 神速機敏を極めるにも拘わらず、そのあとを承る政治工作、 それを掩護する外交工作は萎微として振わない。 そこへ、よろずの集中射撃を蒙って、 測らざる煮え湯を飲まされる結果となる。 今度の支那事変こそ、政府が進んで挙国一致の体制を整え、 十分の覚悟を定めてかかったから、 国家行動の二人三脚にチグハグの欠陥を暴露することはないと思われた。 然るにやっぱりこれが色々の形で現れたのは遺憾である。 第一には宣伝不足という形で現れた。 主として外交方面の手抜かりであるが、 事変の当初、支那の勢いなお未だ盛んな際、 第三国が比較的静かに事態の推移を眺めているのに安心してか、 能動的に事変の真相を世界に宣伝することを 怠ったといえないならば生ぬるかった。 初めに支那側の宣伝が前の満洲・上海事変のときほど猛烈でなかったのは、 大体この事変は支那側がイニシアティヴを取って起った事件だけに、 たとえば上海の盲目爆撃といい、非戦闘員攻撃といい、 彼よりも吾れに宣伝材料が多く、 受身の立場に最初立ったものは支那側でなかった事に原因を発しているのだ。 殊に上海の如きは、日本側に全然戦意なく、 その戦意のないところをつけ目にして、 彼は計画的に邦人皆殺しと居留地域占領を目指して 事を構えたものであることは、 上海に在る第三国人全部の内心認めているところであり、 寡兵の陸戦隊がよくこれを支え得るかどうかを 気遣わないものは一人もなかったといえよう。 かかる日本側の苦戦状態に際し、支那側の宣伝が珍重されるはずがない。 即ちこの時機において日本側が大いに宣伝して、 機先を制し世界の世論を確立して置くべきだった。 アメリカ人は比較的単純な国民性だけに、 最初から日本側に理解を持っていた。 故に早期において、このアメリカだけでも味方に引き入れて置くだけの 外交工作が日本として是非必要だったのである。 何といっても、いざという場合、 日本にぶつかり得る実力を持つ国家はソ連とアメリカがあるだけで、 爾餘の国々は少しも恐れるに及ばない。 ただソ連がアメリカを誘い入れる策動だけが警戒されるのであって、 それを除いては、他の国々が騒ぐとも蛙鳴蝉噪の類としていいのである。 そのアメリカが日本に好意ある態度に出ていたのであるから、 このくらい日本に取って好調子はなかったのだ。 イギリスが自国の支那における利権に火がついたかの如く騒ぎ、 ヒューゲッセン事件で強硬抗議を突きつけた頃、 日本はアメリカの公正な態度に対して謝礼使節を送るか、 国民的デモンストレーションの一つも催して 大いにそれに答えるゼスチュアを為すべきだった。 所詮両立すべからざるイギリスに向って大いに諒解を求めるの愚を演じ、 せっかく好意を持ってくれるアメリカの方はいいことにして 放って置くという拙劣極まる外交工作が、 その後に来るものをどのくらい不利にしたか知れないのである。 ◆宣伝戦で日本制圧さる 果然、支那側は戦況の方で旗色がわるくなると見るや、 猛然と得意の宣伝戦に取りかかった。 日本側が苦戦の間は、第三国は比較的冷静に見送り、 いよいよ日本側が本腰据えてその実力を発揚し始めると、 にわかに支那側に同情を寄せて来る。 同時に支那側のデマ放送を好んで取上げるようになるのは 初めから判りきったこと。 だから、そうならないで、比較的対日感情の良好な機会を握って放さず、 来らんとする支那側の宣伝攻撃を制圧する方策に抜かるとは、 われわれの大いに警告したところだったが、 その勇気も熱意もわが当局は持ち合わせていなかった。 又、不断は国民外交の何のと唱えて、官僚万能を排撃するものに限って、 かかる事変に際しては、国民外交の何たるやを解せず、 キャセイ・ホテル爆撃、外人殺傷、 通州事件における支那兵の非人道暴虐行為等、 世界の世論に訴える実に絶好の題目が揃ったにも拘わらず、 なぜか沈黙を以って終始し、事変に介入するを避けるがごとき 卑屈な態度を取ったため、 それほどに外国に響かなかったのは返す返すも残念である。 そうこうしている間に、 逆に支那側のデマが先入主として世界の世論を制圧し、 あとから送られる日本側の弁解的報告は、 徒に彼らの冷嘲を買うに過ぎないものとなった。 日本海軍機の「南京市民爆撃」や「潜水艦の漁船撃沈」のごとき、 又日本海軍機が「支那飛行機のマークをつけて擬装した」 というようなあり得べからざるデマも、 日本人が想像する以上に外国には信じられ易いのであって、 後手に廻っていくら真相を訴えてもその効果は どのくらい割引されるか知れないのである。 ましてロイター通信を初めイギリスの宣伝機関は、 初めから対日政策の基礎作業として 先ず対日世界世論の悪化を目指して出動しているのだから、 支那側製作のデマは輪に輪をかけて宣伝されるのである。 そのため、英支合作の工作は着々成功して、 アメリカ大統領ルーズヴェルトをして戦争介入の危険の淵へ一歩踏み出させ、 日本の行動を条約違反なりと断ぜしめるに至った。 九カ国条約国会議はイギリスの音頭取りでブラッセルで 開かれることとなったが、ベルギーや、オランダや、ポルトガルを集めて、 極東の事態を処理するなぞは正気の沙汰と思われない。 ただこうすることによって世界の対日制裁意識を ますます濃加せんとしたところにイーデン外交のポイントが あるのはもちろんで、いま直ちに日本に対し日貨ボイコット、 経済封鎖をやっても各国が随って来ないことを知っている。 故におもむろに日本を孤立せしめ、世論の十字砲火を集中してソ連を動かし、 アメリカを動かす深謀遠慮に出ていることを観取せねばならぬ。 全米のカトリック教会が対日支援の積極行動を起こすほどに、 日本の行動は正当であるにも拘わらず、イギリスでは、 日貨ボイコットの勢子に大僧正といった人間が狩り出される乱痴気騒ぎだ。 ◆最大の侵略国イギリス 日本は四海の窓を閉じて鎖国の檻の中に逼塞していたが、 浦賀湾頭の砲声、鎖国まかりならぬというので余儀なく国を開いた。 そして、やっと白人先進国の国家体制を学んで 一本立ちの国家になりかかると、もう移民の閉め出しだ。 アメリカやカナダやオーストラリアや、 不思議に人の足りない土地ほど日本移民を入れない。日本はそれを甘受した。 一方大陸からは強露の重圧を受けこれと血闘半世紀間に及ぶ。 日露戦争は朝鮮防護のために戦った。 朝鮮の南端までロシアの勢力が延び、 釜山に露兵が駐在するようになっては、日本は安全だとは言い難い。 切羽詰っての日露戦争だったのである。 その結果、天佑にも日本軍が勝って、 満洲の北端まで露国勢力を押遣ることが出来たのだが、 この満洲の粛清地区へ、爾後の三十年間、日本が二十万の人口を送る間に、 支那はその百五十倍の三千万の移民を送った。 そしてその満洲で抗日排日をはじめ、 日本人の居住権まで剥奪しそうになったので、日本はたまらなくなった。 そこで満州事変が起ったのだ。 さて、この事変が起って見ると、蒋介石の中央政府は、 日本を唯一の仮想的として全支武装に着手し出した。 対日戦備の完成にまっしぐらの進軍だ。 満洲が独立したのを、日本の侵略行為と称し、 日本を大陸から駆逐する世論で世界を動かそうとした。 一方、外蒙古も、新彊もソ連に奪られてしまったことは おくびにも口に出さない。 チベットは既に全くイギリスの領土と化しているが、 そのイギリスをソ連と同じく絶大な援護者と頼んで、 対日制圧に死に物狂いの状態を続けて来た。 日貨ボイコットは政府の命令で公々然と行われる。 日本人は頻々として殺される。 ここまで押詰められて、とうとう勃発したのが今度の支那事変なのである。 支那事変は、測らざるに勃発し、想わざるに発展した。 つい今春、ソ満国境の風雲慌だしきものがあったとき、 日ソ戦争こそ日本として覚悟せねばならぬものと考えられ、 危機を目睫の間に控えた観があったのであるが、 日支戦争の如きは全く予想外のことだったのである。 さて、蒋介石は、以上のように日本国民(軍当局を除く)が とかく軽信していた以上の対日戦備を整えて、 だしぬけに日本に戦いを挑んで来た。 それが盧溝橋不法射撃の第一弾であり、 日本の出先当局が時の冀察政権を相手にして成るべく 局地的に解決を図ったが、 これを一図に日本の弱腰と見て取った蒋介石の政府は、 今こそ日本に一撃を加える好機到るとなし、続々大兵を北上集中させ始めた。 一方、和平の交渉も無誠意を極め、 蒋介石の戦意は既に牢乎たるものがあったのである。 蒋介石は一種の対日宣戦布告とも見るべき声明を発表したが、 その全文は言辞激越を極め、 「われわれの為すべきことはただ一つ、 即ちわが全国民の精力の最後の一滴までも傾倒し、 国家存立のため抗争すべきのみ。 しかして、一たび抗争開始の暁は和平を求めることは許されない。 和平を求むるはわが国家の屈従、 わが民族の全滅を意味する条件を甘受せねばならぬ」 などといったが、いわゆる四億五千万の人口を 全滅させる条件なんて考えるだけでも支那人式である。 たがここに見るは蒋の排日戦的気力と度を外れた自信の強さだ。 これと対応して、帝国政府は、 それから遅れること約一ヶ月、八月十五日に至って一つの声明を 中外に発表したが、その中では、 「支那軍の暴戻を膺懲し以って南京政府の反省を促すため 今や断乎たる処置をとる」旨を明らかにしたに過ぎなかった。 どちらが主戦的か将たまた挑戦的かはこれを見ても明らかである。 まして上海方面に戦火が飛んだことは全然支那側の計画であって、 わが海軍は(陸軍は固より)上海に事端を醸すことを 極力避けていたのである。 然るに支那人は、その日本側の消極行動こそ常に弱味と誤算する不思議な 習性を持っている民族であって、日本側で控え目にするところには 必ず不測の戦禍が待ち設けているのである。 大山大尉射殺事件が起っても、 まだわが海軍は隠忍して和平交渉を切望したのだが、 固より支那側は上海に戦禍を惹起するのが目的だから、 遂にその通りの事態が発展せざるを得ない。 というのは、支那側として、北支のみを舞台にして 日支戦争をまき起こしても、英米の介入を誘い込むひっかかりが少ない。 且つ日本軍の勢力を分散によって弱めさせるには上海は絶好の場所である。 それにはまず上海の日本陸戦隊と居留民を殲滅する作戦に出で、 中央軍の精鋭をすぐって上海に集結した。 しかもその防備の堅固は、蒋介石が過去数年、 財帑を傾けて経営しただけに十二分の自信あるものだ。 こんな関係で、第二の上海事変は、 前事変に数倍する規模のもとに展開したのである。 ザッと如上の次第で、北支に、上海に、 日本は支那から戦いを仕向けられて、やっと起ち上った。 ところで、今一息突っ込んで、間接的にこの事変の発展性を眺めるとき、 われわれは真に厳戒を要するものがあるのである。 大体、支那事変といっても、 要するにそれは支那を舞台とする日本と共産党との事変、 もう一つは同じく日本とイギリスの経済戦の尖鋭化したものと 見て差支えなく、双方に根がある以上は この紛争はいつかは切って出るものであり、 また一時的終息で根絶やし出来るものでもにいのである。 南支・中支は久しきにわたって扶植したイギリスの地盤であって、 殊に国民政府の財政権を掌握するに至るまで、 近年来イギリスが南京・上海に肩入れしたところは実に大きいのである。 又、香港の対岸たる広東はイギリス勢力下に完全に収められた場所たること、 今更いうまでもない。 国民政府は浙江財閥と共にこのイギリスの傀儡として 日本勢力の駆逐を目指したもので、 日貨および日本商権の排撃はその最も目標とするところのものであった。 こうして過去十年間、漸を逐うて日本の対支勢力は中南支において イギリス勢力に敗退の余儀なき状態を続けて来たのであって、 このままで推進めば、 日本はどうにもこうにもならぬ破目にまで追い詰められていた。 イギリス人は感情で動く国民ではない。 その意思表示の奥には常に利益関係がひそんでいるのである。 又イギリスの行動中、最も警戒を要するのは、一事を貫行するにあたり、 都合の悪いときを避け、 いつまででも待機して都合のよいときを選ぶことである。 都合のよいときとは、 即ち他の勢力を目標物に動員集結するときをいうのである。 ◆抗日の拠点香港 日支事変をもってイギリスは日本を侵略国と誣い、 アメリカその他の国を駆って盛んに反日行動を続けている。 国際連盟を動かしたが効目がないので、 次に九カ国条約会議をベルギーで開かせ、 ここで日本制裁の段取りに取りかかった。 いま直ちに日本を共同の力で叩こうといっても、 随いて来る国が少ないのを見越して、 しばらく毒針を嚢の中に収め、先ず日本を侵略者とする国々の勢揃いを 終わったというところである。 事を一挙に決することなく、都合がわるければ何度でも休み、 いつまでも待ち、粘り強く目的を達成するのが 老獪極まるイギリスの常套手段だから、 こういう国に狙われた日本は、それだけの覚悟をしてかからねばならぬ。 日本人の一徹短慮を見抜いて居れば居るほど、 イギリスはその得意の手口でやって来るのだ。 日本の対支行動を侵略呼ばわりするイギリス自身はどうかというと、 現在の世界の千三百二十万方マイルをその領土としている。 あたかもそれはソ連が八百二十万方マイルの大領土を持ちながら、 日本などを侵略主義の国家と罵っているのと同様、 自分のやっていることを全然棚に上げている。 もし万一にも日本がソ連の首都モスコーを二、三時間で 空襲できる地点まで領土を拡張したら、 その時初めてソ連は日本を侵略国と言うがよい。 現にソ連はわが東京へ二、三時間で、 空襲できるところまで領土を押進めて来ているではないか。 イギリスの場合もそれと同じで、香港は英本国から一万何千キロか離れ、 しかもここに莫大な金を投じて武装を施しつつあるのである。 これを逆にして日本がイギリス本国の直ぐ目の先にかかる軍事的根拠地を 獲得したら果して何というだろうか。 関係は同じことであって、 イギリスの苦痛はやっぱり日本に取っても苦痛である。 今や日本は目と鼻の間に武装せるイギリス海空軍の一大根拠地を 控えているわけで、その脅威感は甚だしいものがあるのだが、 図々しいイギリスは、まるであべこべに日本の行動を侵略なりとして 世界的弾圧を食わせようとしている。 世の中にこんな間違った話が二つとあるわけのものではない。 ◆外交不振の原因 外交が多年不振を極めたのも、 本質的に抜き難い国内相克に根ざしていたからのことであって、 たとえば外交官中の硬骨漢というは、 国内における軍部勢力に対しての称呼に外ならなかった。 今日でも尚わが外務当局は、馬鹿の一つ覚え見たいに、 二言目には「領土的野心の否認」と「条約遵奉」を口にするが、 かかる言葉こそ日本外交を自縄自縛に陥らせるものであることを よく了得しないのだ。 日本に領土的野心のないことは、当り前の話で、 そんな野心が日本にあるなぞと真面目に考えている列強は 一ヵ国もないはずだ。 もしも日本にそれがあれば、無数の生霊を犠牲にして一旦領有した遼東半島を 何の条件も付せずに還付するわけもないし、 殊に北樺太を無償でソ連に返上するいわれもなかったのだ。 満洲では二度国運を賭しながら、これを支那に与え、 今でもなお「外国」なのではないか。天津も今度で三度目の軍事占領だ。 一旦占領したところをあとから無造作に返すことにおいて 日本外交は世界の謎といえよう。 しかも謎ではない。 これほど確かな領土的野心の絶無を世界中に実証している国家が、 日本以外に一ヵ国でもあるか。 領土的野心を疑われやしないかと、これを百方弁解する場合ありとせば、 それは日本が、モスコーに空爆三時間で達する地点まで占領して行くか、 イングランドの沖合いの何処かの島嶼でも占領して イギリスに直接的な脅威を与えたときだ。 しかし、そんな馬鹿げた場合の到来は、古の杞人だって夢想しまい。 イングランドの沖合いどころか、長崎の先の上海へ出兵しただけで、 領土的野心の弁解は無用の遊戯に属する。 ソ連を見よ、北はサガレンまで大侵略領土を確保しつつ 日本の頭上にノシかかっているではないか。 イギリスを見よ、本国から一万何千キロから隔たった極東の香港に 強大な根拠地を占有し、支那大陸を料両掌に掬って日本を打つ手鞠と 化しているではないか。 地球の四分の一はイギリスの占領地だ。 これだけの大規模な侵略国家に向かって、 領土的野心の有無を弁明する必要がどこにあるであろう。 白人強大国がやれば当り前で、 日本がやれば悪徳的行為と決めてかかるところに、 日本外交在来の欠陥があった。 百の弊害はここから胚胎したのであって、 そのむしろ悲惨なほど間違った考え方が伝わり伝わって 現在の日本人に及んでいるから、 従って支那軍がダムダム弾を使い、毒ガスを用い、非戦闘員盲目爆撃、 病院船砲撃を敢えてしても、支那軍の行為なるが故にこれを見逃し、 日本軍の行動のみを暗に侵略行為と罵るペンマンがザラにあるという次第だ。 先ずこの日本観念を清掃してかからねばならぬ。 日本の相克は支那事変の勃発と共に、表面終りを告げたらしくもあるが、 それは反国家分子の一時的屏息を見ただけで、 現に今でも、別段屏息したようにも見えず、 機会を狙って頭を擡げんとしつつあることを閑却してはならない。 ◆当時のイギリス人の常識 イギリスは印度を奪い、印度の黄金を吸収し、 それによって更に他の領土をかすめ取る資本とした。 イギリスの肥満と繁栄は何を措いても第一に印度の恩恵によるものであって、 イギリスが肥満し繁栄した分だけ印度は痩せ細り、 困苦に陥って来た勘定である。 恐らくイギリス人の常識を以ってすれば、 印度はイギリスの富源吸収用としてつくられた国土としか 考えられないだろう。 三億五千万の印度人は、何のために、縁もゆかりもないイギリスに対して 忠誠な奴隷をもって甘んじなければならないかに就いては、 恐らく如何なる国際法学者を拉し来っても解釈し得ないであろう。 印度人はヨーロッパ大戦に引出され、イギリスのために独墺軍と善闘した。 だがそれによって何を得たか。 自治の空名は得たかも知れぬが、 現に印度大衆は衣食住の『衣』の大宗たる綿布を筆頭に、 多くの日用品種目にわたって、わざわざ廉価の日本品を避け、 高価なイギリス品を押しつけられている。 直接生活に対する圧迫、これより大なるはないのだ。 これとて、印度人は、なぜ遠く離れたヨーロッパの島国人のため その生活を封鎖されねばならぬか。 なぜ生活苦甘受を厳命されて服従しなければならぬかという理由を 説明し得るものはないはずだ。 しかもこれはひとりイギリス対印度関係に止まらず、 千三百二十万方里のイギリス帝国全版図にわたる共通の現象なのだ。 現世界は、この驚くべき矛盾、途方もない不自然が 平然と看過されているところから、百の酷烈なる不幸を生じつつある。 イギリスは、目覚めかかった印度を空軍の爆弾によって抑えつけ、 この現状を維持するに内心必死の姿であるが、表面は何食わぬ顔をして、 なおその侵略の毒牙に支那を引かきまわっているのである。 侵略世界の凄惨は、 むろんイギリスひとりによって来るものでないことはわかっている。 ただイギリスがその頭目であるという事実を如何ともし難いのである。 この意味で、 われわれはまずイギリス帝国を以て世界の禍因と断言するに憚らない。 イギリス人とは如何なる人種であるか。 これを次の言葉によってバーナード・ショーに説明して貰おう。 己を知るものは己に若かず、ショー翁がイギリス人であるということで、 この語は千鈞の重味を加えるのだ。 「イギリス人は生まれながらにして奇妙な力を有ち、 それがために世界の主人となるのである。 第一、イギリス人は或る物を欲しいと思う場合、 決してそれが欲しいとは口に出して言わぬ。じっと機を窺っている。 そしてその欲しい物を持つ所有者を征服することが道徳であり、 宗教であるという理屈をこねあげたとき、 初めてその欲しいものを取るのである。 奴等は到頭この手で全世界の半分をトッチめてしまい、 それを植民地と称している。 粗製のマンチェスター品の為に、新しい市場が必要なときは、 土人に平和の福音を伝えるとて宣教師を送るのだ。 土人はこの毛色の変わった宣教師を殺す。 そこで彼はキリスト教保護のために武力に訴える。 これが為に戦う。これがために征服する。 そして天からの報酬として、その市場を取ってしまう。 その島海岸を護るために、船に牧師を乗り込ませる。 十字架のついた旗をその一番高いマストに掲げる。 そしてこれと争うものは、すべて撃沈したり、焼いたり、 破壊したりして、地上の果てから果てへと進んでゆく。 どんな悪い事でも善いことでも、およそイギリス人のやらぬことはない。 併しイギリス人が悪かったといった例しがない。 何でも主義によってやる。愛国主義によって戦争をする。 商業主義によって掠奪をする。商業主義によって奴隷にする。 帝国主義によって脅迫する。 勤皇主義によって王を助け、共和主義によってその首を刎ねる。 その合言葉はいつも義務というのだ。 しかも自分の利益に反してその義務を行う国民は、 失敗するのだということはチャンと覚えている・・・」 (ナポレオンの口をかりて) 著者は確信する。 現下における世界の問題は即ちイギリス問題であると。 イギリスの世界的覇業が一日長ければ一日だけ長く世界は暗鬱だ。 イギリスの太陽が没せざるうちは黎明は訪れないのである。 日本はアジアのトーチカである。 イギリスのアジア経略は、支那の中央集権を擒握するに至って、 このトーチカとぶつかった。 支那事変は正にその正面衝突であった。 イギリスにして、若しもかれの実力とあらゆる権謀とが この強固なるトーチカを破砕することが出来れば、 それでアジア全体の運命は決するのであるが、 逆に、イギリス勢力が摧(くだ)ければ、 ここにかれのアジア経略が一大蹉跌に当面するばかりではない。 一波万波を生ずる今日の国際情勢下において、 更に更に重大なる運命がイギリス帝国を見舞う契機となるであろう。 かくて世界歴史は、新たなる改訂を必要とすることになろう。 実に日本が今ほど重大な死活の岐路に立つことはないと考えられるとき、 著者は勇を鼓して敢てこの書を広く江湖に送らんとするものである。 南京陥落の日に 武藤貞一 ――――――――――――――――― SNS『my日本』内の愛国者ルパン( ・ω・)ノさんの大東亜戦争についての総括 |
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