正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1808年10月、フェートン号事件

オランダはヨーロッパでのナポレオン戦争を機に
フランスに支配されてしまった。

それに対してイギリスはオランダの東洋各地の拠点を攻撃し、
日本でも長崎の出島の占領を図った。
イギリスはフランスは戦争状態にあり、
フランス側に属していたオランダの東洋各地の拠点を獲得しようとしたのだ。

1808年、イギリス軍艦フェートン号はオランダ国旗を掲げて長崎に入港した。
オランダ商館員を脅し、人質にして乱暴を働いた。
このため長崎奉行は引責自殺した。
この事件は、日本人にイギリスの横暴さを認識させ、
さらに広く海外情勢に注意を向けさせることになった。

以後、日本ではフランス革命やナポレオンに関する研究が盛んになった。
こののち、フランスのナポレオンがロシアへの遠征を開始すると、
日本とロシアの緊張はゆるんだが、
このように日本はヨーロッパの国際情勢の変化に
影響されるようになったのである。
2010/03/22 06:00|年表リンク用資料
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