正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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昭和天皇とマッカーサーの御会見

『白頭鷲と桜の木』 舟山喜久彌 著 より引用

◆天皇・マッカーサー初会見

9月27日午前10時、マッカーサー元帥の官舎、
赤坂のアメリカ大使館官邸玄関にシルクハットを
片手に持たれたモーニング姿の昭和天皇経陛下がひっそりと佇まれた。

玄関先の出迎えに当たったフェラーズ准将と
バワーズ少佐が続いて入ってくる。

一瞬、張り詰めた空気が邸内に流れた。

玄関内でお出迎えに当たった貞吉は
陛下の姿に思わず心の中で声にならぬ声をあげた。
憔悴の色濃く、蒼ざめた顔色、そして見るからに緊張されている。

「陛下、お帽子を・・・」かろうじて貞吉はそう申し上げた。
その声に陛下はふと訝しげな表情をされたかのように貞吉には思えた。

ここは昨日まで敵将だったマッカーサーの官邸である。
そこにアメリカの国鳥、白頭鷲の紋が入った羽織袴に
威儀を正した初老の日本人が立っているのだ。

陛下が不審にお思いになられても、それは無理からぬことであろうか。

「陛下、お帽子をお預かりいたします」

一語一語噛みしめるように、貞吉はそう申し上げた。

ふと帽子の裏側に目を落とした貞吉は我が目を疑った。
なんと裏地には丹念に繕われているほころびの痕が見えるではないか。
明治生まれの貞吉には、
言いようのない大きな感動が胸を衝きあげてくるのを感じていた。

・・・略・・・

玄関に入ると、右斜め奥の方向に大広間の入り口が見える。
大広間には陛下を迎えるマッカーサー元帥がまっている。
ノー・ネクタイの軍服だが、
陛下をお迎えするゆえか表情に緊張の色が見える。

陛下は懸命に一歩一歩踏みしめるように、
まさに死に臨んで騒がずの心を秘めたごとくに歩をすすめられ、
マッカーサーに近づかれた。

大広間には待機していた米軍報道カメラマンが
元帥と並ばれた陛下に向けてフラッシュをたいた。

陛下にはもはや先ほど感じられた怯えなどはなく、
つと上体をのばされ、強烈なフラッシュの閃光を浴びていた。

貞吉は暖炉前のテーブルに急いで冷たい紅茶のグラスを用意し、
執務室に戻った。
この執務室は玄関内右脇に位置し、
大広間と執務室カーテンで仕切られている。

そのカーテン内の執務室にジーン夫人とアーサー少年がいた。
貞吉は元帥夫人を敬愛していた。
驕らず、高ぶらず、用を言うときでも決して権柄ずくな口はきかなかった。
物静かで万事が控え目だった。
そして朝夕の元帥の送迎には必ず玄関に立つ女性だった。

貞吉は大広間のほうを憚りながら、昂りを押さえ、
小さい声で陛下の帽子について話し始めた。
見る間に夫人は感激の色を面に表し、
感に堪えたように貞吉の話に幾度も幾度も頷くのだった。
そして、
「ゼネラルもそうですわね。ゼネラルの帽子も繕ってあるでしょ」
夫人もまた小声でそう言い、静かに微笑んだ。

アーサーは七歳の子供である。
「天皇を見たい」と、駄々をこね、広間を覗こうとする。
その仕草は可愛らしいが、夫人はアーサーの腕を掴み、
「お行儀よくするのよ、アーサー。
言うことが聞けなければ二階に行きなさい」
と、小声だが語勢は強い。
ちょっと肩をすくめて、アーサーは一応従う様子を見せている。

時間がくれば、貞吉は元帥の指示で暖炉の様子を見に行くことになっている。
暖炉前のテーブルの下に指令用のボタンがセットされ、
元帥が押すと執務室にランプが点灯する仕組みになっている。

「その時、カーテンを開ける役目をアーサーにお願いしましょう。
ただし元帥には内緒ですぞ」
と、一計を案じた貞吉が言う。
アーサーは嬉しそうに笑みを浮かべ、おとなしく椅子にかけた。

・・・略・・・

元帥の演説が聞こえてくる。

「原子爆弾の威力は筆舌につくしがたく凄まじいものである。
今後もし戦争が起こるとすれば、原子爆弾の使用は勝者もなく敗者なく、
すべてを破壊し人類は絶滅に至るであろう。
世界の指導者は卓越せる見識により、
平和の政策をもって世界を指導する必要がある」

「敗戦日本の再建はまことに困難なものになるであろう。
しかし、もし日本が戦争を続けていれば、
日本全土は文字通り破壊しつくされ、
何百万とも知れぬ命が犠牲になったであろう。

私は日本軍と戦ってきた。
日本の陸海軍がいかにあったかを十分承知している。
終戦に際しての天皇の決意は
国土と人民をしてその苦痛を免れしめた。まことに英断である」

滔々と元帥の演説が続く。・・・・執務室のランプが灯った。
「船山さん、お願いしますわ」
夫人から指示が出た。薪は盆に盛られ用意されている。

アーサーはにこっと微笑を浮かべ、手を挙げて軍隊式の敬礼を貞吉に送り、
舞台の幕引きよろしく待ちかねたようにカーテンを開けた。
たが室内を覗きこむような懸念された無礼はない。
さすが元帥の息子だ。躾は身についている。

陛下の御前である。盆を捧げるようにして暖炉に近づいた。
陛下は身じろぎもせず、端然とお座りになっている。

薪をくべ、火勢をほどよく調整して貞吉は静かに一礼をする。
陛下はかすかに頷かれ、
その口許は「ご苦労」と言われたかのように貞吉には思われた。

◆貞吉が聴いた会談の内容

大広間では陛下と元帥の会談が続いている。

「たとえ私の身はどうあろうとも、国民の生命は守って欲しい」

大広間からいままさに敵将の前で吐露する
陛下の烈々たる気迫がこめられた言葉が聞こえてきた。

貞吉は雷に打たれた思いだった。
陛下は文字通り我とわが身を擲(なげう)つ決意で
この官邸に臨まれたのだ。




元帥は後年、自伝『マッカーサー回想録』に天皇が、

「私は国民が戦争遂行にあたって政治、
軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負う者として、
私自身をあなたの代表する諸国の採決にゆだねるためおたずねした」

と発言され、これに対して元帥は、
私は大きい感動にゆすぶられた。
死をともなうほどの責任、それも私の知り尽くしている諸事実に照らして、
明らかに天皇に帰すべきではない責任を引き受けようとする、
この勇気に満ちた態度は私の骨の髄までもゆり動かした。

私はその瞬間、私の前にいる天皇が個人の資格においても
日本の最上の紳士であることを感じとったのである」

と、その思いを記述している。・・・・・

やがて、当初とは違った丁寧な言い様で、元帥の声が聞こえてくる。
「何かご意見でもあればいつでも仰言って下さい。
本日はよくお出で下さいました。お礼を申し上げます」

執務室のランプが灯った。会談は終わったようだ。
貞吉はクロークに行き、元帥の軍帽の横に置いた陛下の帽子を手にした。

大広間から出てこられた陛下のお顔は思いなしか明るく、
随員一行を元帥に紹介されている。
元帥は一人一人と握手をかわすと、陛下を労るかのように、
その体をそっと支え、玄関まで陛下をお見送りに出た。
これは予定にはなかったことだった。

貞吉は帽子をお返しして深々と頭を下げた。
午前10時45五分、陛下はお帰りになった。
大広間のあと片づけに入った貞吉の目に映ったのは椅子に座り、
ジーン夫人、バワーズ少佐を前にして、
しばし沈思黙考する元帥の姿だった。

やがて元帥はおもむろに、
「あれほどの人がああまで自分を犠牲にしている。
その胸中を察すると本当に堪え切れぬほど、胸が痛む。
天皇は実に実直で人間的な良いお人柄の持ち主だ」
と、いい終わると二階の居室にあがっていった。

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復興への3万3千キロ
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先帝陛下(昭和天皇)に戦争責任はない。
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2009/04/18 09:00|年表リンク用資料
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