正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1941年(昭和16年)発行『日米十年戦争』武藤貞一著

『日米十年戦争』武藤貞一 著 1941年(昭和16年)発行

◆アメリカの対日前哨戦

どのみち、アメリカが資本攻勢のやむにやまれぬ必然的要求から
支那大陸の市場を欲し、同時に太平洋西岸の資源を欲する限りは、
日本というアジアにただ一つ残れる有色人種のトーチカを
爆砕しなければならぬことは覚悟前だ。

日本の宿命的相克はいつ始まったかは今更いうも愚かである。
アメリカが大陸を南漸して太平洋岸に出て来たとき、
延いてはペリーが浦賀湾頭に砲声を轟かしたとき、
今日の成行きは約束されていたのである。

更に下っては、ノックスの東清鉄道中立提案をして来たとき、
日本は覚悟すべきであったのだ。

満洲事変の際、いわゆるスチムソン・ドクトリンで、
対日恫喝が試みられたとき、既にアメリカは戦意を露骨にしていた。

爾来、アメリカは猛然と準備を急ぎ出した。
驚異的大軍拡、対日制圧戦に十分なりと信ずる準備を!

支那事変となって、アメリカはイギリスと協力し、
あらん限りの援助を蒋政権に与えた。
これ、蒋介石を利用して、有色人種国唯一のトーチカたる日本帝国の
国力消耗を図らんがために外ならない。

支那事変こそ、英ソにそうであったごとく、
なかんづくアメリカに取ってはもっけの幸いであった。

1940年1月26日は、アメリカが対日経済封鎖の第一宣告
ともいうべき記念日である。
当日日米通商条約の一方的廃棄がアメリカによって
敢行されてしまったのだ。

爾来、アメリカは経済封鎖という対日前哨戦についた。
固より未だ日本と実力の戦争をする準備が整っていないから、
武力戦はアメリカにおいて回避せざるを得ない。

そこで、日本に致命的打撃を与えることによって、
捨身の反発を起させない程度を加減しながら、
ジワジワと経済封鎖を強化するに至った。

かくて、ここ数年来、特に支那事変勃発後のアメリカは、
極めて彼に好都合な情勢のもとに、
その企図は十二分に発揮できたと見るべきである。
いま仮にこれを二つの方式に分けるとすれば、

1,日本の国力を対蒋戦争によって消耗させてきた。

2,日本にその消耗を補充し能わざるよう、
日本への原料物資の注入を阻害してきた。

日本がその主要資源を英米領域に依存し来ったのみならず、
経済動力を英米に仰ぎ来ったことは、
アメリカに取っての何たる好条件であろうか。

およそ世の中に、仮想敵国の使う原料を自分の手で握っていて、
その相手と戦う潮合を待つというくらい恵まれた態勢というものは
そうザラにあるものではあるまい。

同時に、その逆の立場に立つ『仮想敵国』なるものの
惨めさは正に言語に絶するものがある。

しかも日本人は、かかる最悪の関係に立ちながら、
一向平気で長年月を経過し来ったところに、日本人独特の呑気千万さがある。
否、呑気千万を通り越して、むしろ痴呆症かと疑わるるくらいである。

アメリカの抗日蒋政権への投資は、
日本の国力消耗のためであるから、従って採算が取れるとしている。

アメリカは日本という硬質の立木を倒すのに、先ず枝葉を枯らして、
しかるのち切ろうと算段して来た。
原料物資を抑えれば、水なき樹木に等しく日本は枯れると考えている。
日本が一方で支那事変で損耗し、一方で生産拡充に支障を来せば、
アメリカにとって、初めてこれを倒す機会到来と喜ぶのである。

日本が南京を攻略し、国民は戦勝に酔ったが、
相手のアメリカは何と思ったであろうか。
必ずやソレ一発射ったと思ったであろう。
日本が武漢を攻略した。ソレまた一発射った。
日本がノモハンで戦った。ソレまた一発射った。
拳銃にはあと三発残っている、
といった具合にじっと弾丸の数ばかりを数えている。

一方、日本に重要資源を送っている関係上、
日本の『弾丸充填』の方を阻止する手加減に抜け目がない。
これがアメリカの今日までやって来た悪質の策謀なのだ。

もとより、英米側の虫のよい算段であって、
日本側から見れば噴飯にも値しよう。
日本は支那事変によって英米の算定するほども
損耗している訳でも何でもないからである。

ただしかし、日本国民が支那事変に臨む意図と全然異なった眼で日本を眺め、
日本に処しつつあるアメリカのことを、十分に認識しなければなるまい。

支那事変は、日本から見て抗日支那軍が正面の敵であるか知れぬが、
アメリカをもってすれば、支那は何ら問題でない。
ただ一に日本を損耗させるための前哨工作なのである。

こうして、アメリカは自ら戦わずして、
相当戦った場合と同じ効果を既に挙げたものと妄信している。

しかして、その対日前哨戦はこの辺で第二段階に入ったとしている。
マレー・ライン取得がそれでないと誰が言い得るだろうか。
アメリカが黒頭巾を脱いでの対日強硬化の因はここにあり。

不幸なる東亜共栄圏内の同士討戦――蒋介石の愚蒙による支那事変が、
一日長く続けば一日だけアメリカを利益する。
イギリスがインドを占領するに相互摩滅の手を用いたと同じく、
アメリカをして多く手をぬらさずして日本包囲網の布陣を
まんまと完了させてしまったことは、何ともはや無念の至りであるが、
今更過去のことを詮議立てしても始まらない。

ただこの現実の事態にいかに対処すべきかが、
日本国民に与えられた最大の問題たるを思わなくてはならぬ。
蒋介石の抗日に発程した支那事変は、満三年半を経過して、
漸く英米の表面的出動の舞台となり、
今や完全に東亜事変と化するに至ったが、
これより展開すべきアメリカの前哨戦とは
いかなる形態を備うるものであるか、まづそれをきわめる必要がある。

◆アメリカの日本圧迫の歴史

20世紀初頭よりの米国の極東政策は一に日本圧迫の四字に尽きる。
勿論日本という東亜の要塞が潰れれば支那の如きは
垂涎せずとも手に唾して取れるだろうからだ。

1,ジョン・ヘイの門戸開放 

1899年(明治32年)9月6日、
国務卿ジョン・ヘイは支那門戸開放に関する通牒を列国に発した、

曰く「支那全領土に亘り何れの国民にも平等に
通商上の自由と機会の均等が与えられるべきだ」と

更に翌1900年7月12日列強に対し無条件門戸開放の要求をしたが、
何れも之を峻拒した。
同年米国は我国に対し福建省沿岸に一貯炭所を
設置せんとして意向を質して来たが拒絶された。

1,日露講和斡旋

極東に飛揚せんと企む米国がロシアの東亜席巻的南下勢力の伸長に
無関心たり得ぬのは言う迄もない、
即ち日露戦争に際しては援日抑露の態度となって現れたものである、

1905年(明治38年)3月10日奉天陥落し、
同じく5月27日露国最後の遠征隊バルチック艦隊が
日本海に全滅するやセオドア・ルーズベルトは平和斡旋を提議して
ポーツマス条約を成立せしめた、

このイニシアティヴに対する米国の魂胆は両者何れが決定的勝利を得るも
米国に取って利益ではないという結論が生み出していたようだ。

1,桂・タフト協定 

日露戦争で示された日本の実力に驚倒した米国は
将来を懸念して同年夏陸軍卿タフトを訪日せしめ、
桂首相をして日本が絶対にフィリピンを攻撃せざることを約せしめると共に
日本が朝鮮を保護国とする事を承認した、之を世に桂・タフト協定と言う。

1,満鉄買収計画 

明治38年11月12日米国鉄道王ハリマンと桂首相の間に
一億円で満鉄を譲渡すると言う約束が成立し、
ハリマンは即日覚書を携えて桑港(サンフランシスコ)に帰った、
然るに入れ違いにポーツマスより帰朝した小村寿太郎外相は
満鉄絶対に手放すべからずと主張し、
閣議を一変せしめて右予備契約は取消された、
偉なる哉炯眼、同時に米国においても、
日本は愈々容易ならざる真敵なる事を認識したものの如くである、

爾来対日親善、媚態の一時的笑顔政策は全面的に改変され、
機会あれば日本の大陸政策に横槍を入れるに至った。

1,米主力艦隊の訪日 

1906年、一方において対日親善策の擬勢を
示すセオドア・ルーズベルト大統領は上院海軍委員長へールに対し
「日本国民は好戦的にして且つ征露戦に捷ち、
のぼせ上がっているから日本を目標として海軍力を充実せねばならぬ」
と放言し、同時に米国主力艦隊をして世界周航の名義の下に、
日本を訪問せしめた、該主力艦隊の横須賀に在る一週日、
これ、即ち米国がイザと言った場合、極東問題に実力を以って容喙出来るぞと
言う頗る性悪なる恫喝を試みたもので、正に覆面の脅威に外ならぬ。

1,満鉄中立提議 

年を経るに従って米国の極東介入は露骨となり、
1909年(明治42年)11月6日国務長官ノックスは

(イ)満洲鉄道を日露英米仏独の六強国共同経営に移すこと。
(ロ)本案不可能の場合は錦洲より昴昴渓、斉斉哈爾(チチハル)を経て
黒龍江の愛琿に至る錦愛鉄道を敷設すること。

本二案は日露両国の断然たる拒絶に遭って実現しなかった。

1,四国借款団策動 
米国は更に英独仏米四国借款団を組織し、
1910年支那政府と之等銀行団の間に
「支那の幣制改革及び産業開発借款」が締結された、
南方派革命の波動は遂に1912年(明治45年)2月12日の宣統帝の退位となり、
同3月10日袁世凱は初代大総統として就任するにおよび、
四国借款団に6000万ポンドの所謂「改送借款」を申込んだが
四国側では日露両国を誘引して四国借款は茲に六国借款となった、
我政府が便々四国の甘い手に踊り、革命前夜のロシアと肩を並べて
明日にも凋まん袁世凱の徒を声援せるが如きは愚にして
漫、百年の大計を知らざるや甚しと言うべし、然し乍らこの借款団は後に
理想主義者ウィルソンの平和的面子の故に米国が脱退して骨抜きとなった。

1、日本提唱の人種平等案否定

東亜に於る盟主たる日本は断然人種平等の主張を貫くべき決意を有つ、
パリ平和会議において国際連盟規約案討議に際して
日本は人種平等問題を提議し、連盟規約前文中に
人種平等待遇の字句挿入を要求、次の修正案を提出した。

前文中「各国間における公明正大なる関係を規律し」という節の次に
「各国均等の主義を是認し之等国民を正当に待遇し」との一節を追加する事。

この修正案は表決の結果、日本、フランス、イタリー、支那、セルヴィア、
ルーマニア、チェッコ・スロヴァキア、ポルトガルを賛成者とし、
アメリカ、イギリス、ブラジル、ギリシャ、ポーランドが反対した、

見るべし、

英、米両国はここにその本態を暴露し、人種平等反対、
世界旧秩序維持の為に連携しているではないか、
而してウィルソン白ばくれて曰く、

「本修正案は多数が日本の主張を支持せりと雖も、
規約中重要なる修正なるが故に、全会一致にあらざれば成立不可なり」

と。
連盟の偽善性はこの時に証拠づけられた。

◆蒋介石目覚めよ

ソ連は日本がこのまま支那大陸の戦争を継続すればするほど、
また日本が資源不足で南進政策を積極化すればするほど、
おのずから魚夫の利を占め、懐手空腕、
よく支那大陸を総舐めにすることができるとずるく考えている。

蒋介石の勢力減退に反比例して、支那大陸の奥地に隆々たる勢力を培養し、
かつ君臨しつつあるものは共産党および共産軍だ。
いな、逞しき赤色勢力だ。蒋介石は日本に叩かれて、再起不能に陥っても、
あとの支那大陸奥地には赤色勢力の氾濫を如何ともすべかせざるに至ろう。
 
日本はだれが何と言っても防共のトーチカであり、
日本と言うトーチカがその機能を発揮し得ざるに至れば、
支那大陸は、アジア大陸は、もはや堰の取れた河原である。

蒋介石は不当に支那民衆を駆り立て、抗日戦争に専念することによって、
彼はソ連の為にマンマと日本を疲労させる道具にされてしまい、
身自らも今日では部内の赤色勢力に押され、
中共側の攻勢にややもすればたじろいでいる形である。

蒋介石は、最近だれかに、日支が共倒れになってしまえば
あとはアジア全体の壊滅だという意味のことを語ったとのことだが、
かれにして既にその認識ある限り、
何故一足飛びに従来の方針の大誤謬を訂正する勇気を出さぬのか。

今や日華条約の締結によって、支那事変は、汪政権との間には終結を告げ、
なお残る蒋政権に対しては更にこれからというところだが、
戦争は何時まで経っても『これから』であってはならない。

大軍は永く用うべからず、
大軍を永く広野に晒せばその国乱るとは古書の金言だ。
支那のため、アジア全国の福祉のため、
敢えて蒋介石の猛省を促さざるを得ない。

記せよ、闘いの勝負は既に決しているのである。
面目などに囚われて、国乱れ、国亡ぶるを何とするや。

◆汪蒋合作を望む

汪精衛氏が日支和平のために廷身重慶を脱出し、
爾来今日に至るまで相当の光陰が流れた。
汪氏としてもその行路に決して薔薇の花が
撒かれなかったことを回顧するであろう。
わが国民としても汪氏に対する期待が全幅的に酬いられたとは考えられない。

しかしながら、今更いうまでもなく、
汪氏は支那の要人であって、日本の要人ではないのである。
汪氏の愛国心が熾烈であればあるほど、
かれは祖国支那のために図らざるを得ない。

そうした関係を厳正公平に見て、汪氏の和平運動に払った今日までの努力は
十分に買ってやらなければならぬものと思う。

現下、汪の国民政府はもちろん蒋介石の重慶政府とは別個の存在だ。
一は和平を振りかざし、一は焦土抗戦を固執しているから、
その立場は全く反対である。

しかも汪政権は再建未だ途上にあり、
大陸各地に武力を擁する蒋介石政権に比し、
なおその実勢力において遺憾の点なきを得ないのだ。

して見れば、汪氏は今後の和平目的貫徹のために、むしろ蒋政権と合作し、
これを傘下に収めることに向って最善の努力を傾注すべきであろう。

この意味で、われらは汪氏が重慶政府と全然別個の存在たらんよりも、
むしろ百尺竿頭一歩を進めて、重慶政府の要人たちを抱擁し
連携する立場に立つことを希望せざるを得ない。
汪氏の任務やいよいよ重大なりというべし。
これはひとりわれらの希望のみではない。

現に浙江財閥の巨頭中にも、
汪、蒋の合作によって一日も早く支那大陸の和平を克復すべしとの
熱意を持っているものがあるのである。

浙江財閥は多年国民政府の後ろ盾だった関係上、
その行蔵は事変解決の上に非常な推進力を持つものであるが、
今やかれらの意向が無益なる焦土抗戦より一日も速やかに
支那を救出する点に一致しつつありと見られることは、
画期的現象といわなければならぬ。

それらの点については、かつて上海においてわが国の最有力筋の実業家と
浙江財閥の指導的地位に在る二大金融巨頭との隔意なき懇談によって
明らかに聴取し得られた事実であり、これより推断するも、
日支の全局的和平は、既に片輪をレールに乗せたと立派にいえるだろう。

重慶政府の弱り方の最近特に著しきは何人の目にも映ずる点だ。
かれらが表面的に強がりを示す度合いが高ければ高いだけ、
内心の弱味が看破し得られるのであって、
この場合、わが方としては、ただ実質通りにこれを評価すればよいのである。

何れにしても、今日は汪精衛政権を絶対に支誘掖すべき場合である。
先ず汪政権を強力化すれば、道はさらにおのずから展けることが予想せられる。

◆日米戦はソ連ひとり太る

アメリカはその無限に膨張しつつある資本主義生産力の
消化市場として支那を目指し、一方必需原料の吸収地として南洋を目指す。

しかもこの二つの目標のいずれもが日本の存在を最大障害なりとして、
ここに対日攻勢の理由を置いているのである。

つまり、日本という東洋に残った唯一のトーチカを取払わなければ、
東洋へ向かっての西漸政策を完遂し、
かつ南洋資源地の確保に満足な成果を収め難しとするのである。

このため、折あらば日本勢力を粉砕せんものとし、
むしろ今がその絶好機会るを思う。

しかるに、実際はこのくらいアメリカにとって悲しむべき謬想はないのだ。
もしかりに、彼の思うがごとく、
今日、日本が支那事変に疲労しつつある様会を狙って
日米戦争の段階に入ったとすれば、
かれの目指す最大の目標たる支那大陸はどうなるかを考えるがよい。

もちろん、日本は逆にアメリカの対日攻勢を
粉砕するだけの実力を持っている。
特に日米戦争となったら、
現在のごとく日本がアメリカの経済封鎖下に喘ぐという状態は一変して、
日本の一挙に伸ばし得るであろうところの駿足の下に、
アメリカこそ南洋資源を喪失することになるは
火を見るよりも明らかな事実である。

ただそれ、実際問題として、日本が強敵アメリカに立向うの日は、
ここに全力を傾注せざるを得ぬという一事は、
恐らくいかなる鈍感なアメリカ人といえども知らねばならぬ事柄であろう。

かく日本が全力を対米戦争に集結することあるべき場合、
支那大陸は、何者によって剽掠せられ、何者によって覇権を握られるかを、
アメリカ人よ、君らは知っているか。

それはいうも愚かなり。ソ連邦ではないか。

蒋介石が無謀な抗日戦争に血道を上げている間に、支那大陸の奥地には、
抜くべからざるソ連勢力――すなわち共産軍の地盤を築かせてしまったのだ。

事変半年前まで、
蒋介石は共産軍と追いつ追われつの悪戦苦闘を続くること幾星霜、
これがために延べ兵員200個師を奔命に疲れしめたといわれている。
揚句の果てが西安事件だ。ここで蒋介石は共産軍の捕虜となった。

折柄風の如くやってきた周恩来の前に、
国共合作の抗日決戦を誓わされた蒋介石は、
その時以来、生ける屍となったも同然である。

今や共産軍は黄河以北一帯だけでも90万と註せられるに至った。
日本の警察力にして初めてこれが防衛に堪えるのであり、
日本が対米戦に主力を傾注したのちの支那大陸は、
全面的に赤色勢力の席巻を蒙ることになろう。

すなわち、アメリカは日本を邪魔者にするが、
日本あっての支那大陸であり、日本あっての経済市場なのである。
アメリカは、日本に挑戦する前、
もっと真剣に、ソ連勢力と支那大陸のことを認識せよ。
アメリカの真敵は、断じて日本にあらず、ソ連赤色帝国であるはずだ。

◆コミンテルンの狙うもの

赤化勢力の対日攻勢は満洲事変後、別の形態を取るに至った。(中略)
今一つは日本赤化の一大障害に向って内部的崩壊を
行わしめんとする陰険悪辣なる手段とである。

コミンテルンの指令下に活躍した日本共産系分子が、
徹底的にたたきつけられたのは今より数年前のことに属し、
ついに一時はコミンテルンをして日本赤化に絶望せしめ、
資金の仕送りを中断するに至ったとき、
かれらは運動資金を自前で稼がざるを得ない窮地に立ち、
大森の安田銀行襲撃とまで堕落したことは、
まさに日本共産運動最後の段階だったのだ。

かかるとき、コミンテルンは、
何故に日本赤化が失敗に帰するかの根本原因を探求せねばならなくなり、
ここにその方針の再検討が行われるに至ったのは、
かれに取って止むを得ないことでもあったろう。

しかして、かれはそこに何を発見したか。
いわく、日本人の尊皇愛国心に正面からぶつかることの不利であり、
日本特有の家族制度というものをまず破壊してかからなければ、
その目的遂行は到底不可能なりとの結論であった。

コミンテルンは日本共産分子で最も堅固なる意志を
持つと信じ切った者までが、次から次へと転向して行く事実を見た。

しかもその『有り得べからざる転向』
――かれらを以てすれば――何によってしかるかといえば
百パーセントまで家庭の情愛、特に母子の情に原因することを知るに至って、
日本の家族制度こそは世にも
たぐいなき赤化の強敵なるを確認せざるを得ない。

たとえば獄中の倅に送った母親の涙の手紙
『母は不忠者のお前を改心させたいと、氏神さまに願かけをしているぞ』
『年老いた母は毎日霜を踏んで鎮守さまへ跣足参りをしているので、
この頃では身体も衰え、死期が近づいて来た』
『母はお前が真人間になるまで三度の食事を二度に減じて祈っている』
等、等。

これらの母親の情愛で、どんな狂信的共産分子も、ついに転向を誓うに至る。
これが日本のみの現象であるところから、
コミンテルンは、日本赤化の敵は家族制度にありとし、
ここにかれの攻勢は集注するようになった。

目に見えざるところに、この赤魔の新指令は動きつつある。
方法手段ははるかにわれわれ日本人の常識を越えた
隠微さをもって迫って来ている。

いかに巧妙に擬装された方式であっても、
それが内実においてわが国最高の特徴たる家族制度の破壊を目指すと
考えられるとき、われわれはこれを決して無批判には看過し得ないのである。
2009/04/12 09:00|年表リンク用資料
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