正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1871年(明治4年)11月12日~1873年(明治6年)9月13日、岩倉使節団。

西欧列強に対して自国の独立を守っていく方法を探るため、
自分達が目標とする国々を訪問し、
実際に目で見て学んでしまえば手っ取り早いと考え、
派遣されたのがこの使節団だった。

何よりも画期的だったのは、政府の指導者が自ら、
1年10ヵ月もかけて12ヵ国もの先進国を回ったという点にある。

メンバーは、団長の岩倉具視をはじめ、
木戸孝允、大久保利通、伊藤博文など、そうそうたる面々である。

使節団はロンドンやパリで、日本との格差をまざまざと見せつけられる。
そして、進歩した大砲や鉄砲製造の技術を見て、
大久保と木戸は、断固、富国強兵を進めようと決意する。

「もう士農工商などと言っていても駄目だ。ヨーロッパの主要国は徴兵制だ。
武士に生まれなければ武士になれないというような制度ではやっていけない。
また、農より、工と商をまず振興しなければ、欧米諸国にかなわない」
という覚悟をした。

そして、工業や商業をさかんにするには、
徹底した欧化政策を採る以外に道はないという結論に至った。

この使節団の使命の一つは不平等条約の改正の交渉
という重要な使命を負っていたが、重要なのは上記の点である。
2009/04/03 09:00|年表リンク用資料
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