正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1931年(昭和6年)7月2日、万宝山事件。

満州の長春郊外にいた朝鮮移住民(当時は韓国併合により日本人だった)と
支那人の農民の衝突があり、
朝鮮人居住者たちが支那人警官によって弾圧された。

事件は過去数年に満州で発生した紛争に比べて
特に重大なものではなかったのだが、
誇大な報道がなされたために朝鮮では激しい反支那運動が起こり、
それが原因で今度は支那で排日を激化させた。

この事件報道が伝わると朝鮮半島の各地で支那人居留民に対して
朝鮮人の集団的報復が行なわれ、支那人の店は次々と襲撃された。
平壌だけでも100人以上の支那人居留民が虐殺された。

これは突然起きたことではなく、
朝鮮人たちは恒常的に満州で迫害を受け続けていた。

日本人も満鉄沿線以外では危険極まりなかった。

満州にいる朝鮮人が迫害されたことで、
創氏改名の願いが朝鮮人の間から起こった。
これは日本の名前を持っていれば迫害されにくくなるからであった。
2009/03/22 09:00|年表リンク用資料
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