●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
||
すばらしい日本
正統史観年表 内 検索 慰安婦と強制連行 南京大虐殺ネット最強の論客 いわゆる南京大虐殺 竹島・尖閣諸島・北方領土 おすすめリンク 1
当ブログのリンク先について
当ブログが紹介しているリンク先の
他サイトの内容を100%支持している わけではありません。完全に意見が 一致する人など存在していません。 ならば、なぜリンク紹介しているの かというと、大東亜戦争後、日本国 内が、あまりにも、いわゆる左巻き の論調に偏ってしまっているので、 全体的に見ると少数ながら存在して いる保守側の意見を、いろいろな 角度から知ってほしいからです。 ブログ記事の右下の日付について
ホームページよりもブログのほうが
簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1931年(昭和6年)7月2日、万宝山事件。
満州の長春郊外にいた朝鮮移住民(当時は韓国併合により日本人だった)と 支那人の農民の衝突があり、 朝鮮人居住者たちが支那人警官によって弾圧された。 事件は過去数年に満州で発生した紛争に比べて 特に重大なものではなかったのだが、 誇大な報道がなされたために朝鮮では激しい反支那運動が起こり、 それが原因で今度は支那で排日を激化させた。 この事件報道が伝わると朝鮮半島の各地で支那人居留民に対して 朝鮮人の集団的報復が行なわれ、支那人の店は次々と襲撃された。 平壌だけでも100人以上の支那人居留民が虐殺された。 これは突然起きたことではなく、 朝鮮人たちは恒常的に満州で迫害を受け続けていた。 日本人も満鉄沿線以外では危険極まりなかった。 満州にいる朝鮮人が迫害されたことで、 創氏改名の願いが朝鮮人の間から起こった。 これは日本の名前を持っていれば迫害されにくくなるからであった。 |
誇りある日本 論点 チャンネル桜 英語で世界に発信! 距離を置くべきアメリカ ときどきニコ生放送! アフィリエイトやってない!
当ブログはアフィリエイトをして
いませんし、どのランキングにも 参加しておりません。このブログ で何の収入も得ておりません。 管理人へのメールフォーム
|
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦. |