正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1928年4月19日、第二次山東出兵

北伐再開(第二次北伐)後、4月中旬には早くも
国民革命軍(北伐軍、南軍)は山東省の首都・済南を包囲する態勢になった。

済南には邦人が1810人(うち女性829人)いたが、
第二の南京事件が起こる危険性が出てきた。

現地からの出兵要請を受けた田中義一首相は熟慮の結果、
4月下旬、済南に出兵を行なった。
出兵そのものに対してはアメリカなどは歓迎していた。
アメリカ人の保護がなされるという理由からである。

ここで恐ろしい虐殺事件・済南事件が発生する。
2009/03/18 09:00|年表リンク用資料
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