正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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『世界に生きる日本の心』より引用

日露戦争、日本海海戦で旗艦として東郷元帥が
指揮をとった戦艦三笠が記念館三笠となる経緯

■東郷元帥とニミッツ元帥

大東亜戦敗戦と共に、我が国は連合国の占領下に置かれました。
米、英、ソ、中国等で結成された極東委員会で、
三笠の保存をめぐって激論がかわされたことがありました。

ソ連代表テレビヤンコ中将は、
「ロシアを負かした三笠を保存するとは何事か。
スクラップにして直ちに海中に投棄せよ」と主張しました。

それに対して米・参謀部長・ウイロビー少将は、
日本国民の記念物を破壊して反感を買うことは避けるべきだと、
主張しました。

その後、三笠は米軍監視下におかれ、
心ない米兵によって艦内の目ぼしい記念品は持ち去られました。

横須賀市は民間に払い下げて、文化的に経営することを考え、
かねてから申請していた湘南振興会社に、
マスト等の撤去作業を請け負わせました。

湘南振興では撤去作業が終わると、
艦内で米軍相手のキャバレー的な風俗営業を始めました。
東郷長官室はキャバレー・トーゴーとなり、
加藤友三郎や秋山真之参謀等のいた参謀長室は、カフェになったといいます。

やがて昭和25年、朝鮮動乱が始まると、艦内の鉄、銅、真鍮等、
目ぼしいものき殆ど売却して暴利をむさぼったと聞きます。

■中村虎緒氏と英人ルービン氏

日本人で最初に三笠復元にたちあがったのは中村虎緒氏(元海軍大佐)でした。
氏は昭和30年5月、復元を公約して市会議員に当選。
湘南振興会社の駆逐を申し入れ、政府にも働きかけ、
地元の日刊「南神新聞」にも記事を連載する努力を重ねました。

三笠保存の声は外国人の間からも挙がりました。
最初に口火を切ったのは、昭和30年春、
日本を訪れたジョン・S・ルービン氏でした。
氏はイギリスの貿易商で、三笠がイギリスの
バーロー・イン・ファーネス造船所で建造されていた時、
現地で宝石商、時計商を営んでいた人でした。

三笠の乗組員が、この人の店を訪れてから親しくなり、
ルービン氏もまた自分の住む町で
三笠が造られたことに愛着と誇りを持つようになりました。

三笠が完成しバーロー港を出てから57年目の昭和30年の夏、
氏は商用があって、75歳の老体にもかかわらず、元気に来日しました。
その時彼が再開の喜びに胸をおどらせながら、
まづ第一に訪れたのが、横須賀の三笠でした。
しかしそこで見た三笠は前述の通りの無残な姿に荒れはてていたのでした。

ルービン氏は憤然として帰り、
直ちに一文を、ジャパン・タイムズ紙に寄稿しました。

「何と言う日本人は忘恩の国民なのだ。
戦い敗れると、対馬の英雄トーゴーとミカサのことも忘れてしまったのか。
神聖なるミカサが丸裸となり、
ダンス・ホールやアメリカ兵相手の映画館になったのを黙って見ているのか。
何たる日本人は無自覚であることか」

この原稿は同年の9月20日の紙上にのり、
たちまちアメリカ人、オーストラリア人から反響があり、
彼らは、
「ミカサの復活こそ、日本国民の精神復興の試金石であるべきだ」
と説きました。

■ニミッツ元帥の思い

昭和33年になると、「文芸春秋」の随筆欄に、
「三笠と私」と題するニミッツ元帥の文章が載りました。

ニミッツは、日露戦争直後東郷提督と会ったことがあり、
以来東郷元帥を尊敬し、東郷戦法によって日本帝国海軍を
全滅させたといわれる米・太平洋艦隊司令長官であります。

そして日本敗戦後の9月2日、アメリカ合衆国の全権の一人として
ミズーリ艦上で、日本降伏受託書に署名した人物でもあります。

彼は調印式が行われる前日、三笠がどんな様子になっているか、
気になって自分自身でそれを確かめるため、横須賀に赴きました。
その時のことを元帥はこう述べています。

「管理人の話では、真鍮や銅の付属品は戦争中に軍需資材として、
全部取り除かれたとのことだった。
そのほかに歴史的価値ある部分がどさくさに持ち去られた跡も見られた。
東郷元帥を尊敬するものの一人として、昔から有名なこの軍艦が、
これ以上荒らされるべきでないと思い、私は米海兵隊に命じて歩哨を立て、
三笠を破損したり、歴史的な物品を持ち去ることを防ぐことにした。」

「この有名な軍艦がダンスホールに使用されたとは嘆かわしい」

「どういう処置をとれと差出がましいことはいえないが、
日本国民と政府が全世界の海軍軍人に賞賛されている東郷提督の
思い出をながらえるため、適切な方法を講ずることを希望する。」

「この一文が原稿料に値するならば、
その全額を東郷元帥記念保存基金に私の名で寄付させて欲しい。」

これ等に刺激されて、日本人の間にも三笠保存の動きが急速に盛り上がり、
昭和33年11月、三笠保存会設立準備委員会の創立となりました。
ニミッツは米海軍を督励して、横須賀にあった廃艦一隻を日本に譲渡し、
スクラップにして得た金約3000万円を三笠の復元に充てさせました。

かくして36年5月、復元は実を結びました。
これが今見る「記念艦三笠」の姿であります。

ともかく現在三笠とその周辺は、戦前以上に立派なものに再建されました。
しかし一部を除く小中高校の教科書には、
相変わらず三笠も東郷も出てきません。

日本人は公平な目で見ることができなくなり、
自らの力で、自分を処理する能力を欠いていたのでしょうか。
日本人の意識を正常化するためには、外圧に頼るよりほかないのでしょうか。

例えばイギリスあたりに頼んで
「栄光の戦艦三笠は、イギリスで造ったものである。
東郷元帥もイギリスで7年間学んだ。
このようにイギリスと関係が深く、世界的に評価されているものを
教科書で教えないとは何事か。教科書を書き直せ」

とサッチャーあたりに柳眉を逆立てて貰わなければならないのでしょうか。

戦艦三笠「進水式」日本経済新聞 夕刊 2008年5月22日(木) 掲載
1900年(明治33年)11月8日、英国中西部にあるヴィッカース社の
バロー・イン・ファーネス造船所での進水式。
英国に発注した4隻の戦艦の最後に竣工(しゅんこう)した。
大砲を据え付け、2年後に舞鶴港へ。すぐに日露戦争に投入された。
兵器込みでざっと1200万円、今のお金で約300億円。

日本経済新聞 夕刊 2008年5月22日(木) 掲載
2009/03/14 09:00|年表リンク用資料
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