正統史観年表

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東京裁判 弁護側資料 三国同盟関連

『東京裁判 日本の弁明[却下未提出弁護側資料]』小堀桂一郎氏編より引用

【カニンガム弁護人冒頭陳述】

昭和22年6月12日、結果は全文朗読

三国同盟

1940年9月27日、日、独、伊間に三国同盟が締結されました。
検察側では、これが1938年及39年に右の参加国間に試みられた
いわゆる「防共協定の強化」のための交渉の延長或は復活であり、
この盟約はその本質において世界分割と
いわゆる「新秩序」の建設をめざす侵略国の計画の
最後的発展を包含していると主張しました。

若し許されるならば我々は、以下の事実を証明したいと思います。

第一に日本政府は「防共協定強化」の交渉を完全に打切った事。

第二に、独ソ不可侵条約が1939年8月23日締結され、
これが日本にとって大きな衝撃となり、
ために平沼内閣が倒れた事実であります。

その結果日独関係は完全に打切られたのであり、
ドイツのこの背信に対する日本政府及び軍部の非常な憤激と焦慮が
この関係破裂の原因でありました。

日本と独伊2ヵ国との関係には
検察側の主張されるような連関性はありません。
これは決定的に証明されるでありましょう。

右の事実は平沼内閣に次いだ阿部、米内内閣が外交方策の根本目標を
日米関係の向上においた事実を示す書類を提出することにより
確証されるでありましょう。

彼等はこの目的達成のため全力を尽したのであり、
日独関係はその間非常に冷淡でありました。
合衆国はこの日本の努力に報いず、日本に対する合衆国
その他諸国の経済的圧迫は日米通商条約の期限満了と共に強化されました。

検察側は、三国同盟の目的が、いわゆる「新秩序」の建設、
即ち世界から民主主義を消滅せしめ、
侵略国による世界諸国の征服にあったと主張されました。

この罪状の反証として、次の事実が証明されるでありましょう。
即ち日本政府は、三国同盟を世界平和維持のため、
自衛的、平和的目的を以て締結したという事実であります。

日本の終局の目的は、世界各国、殊にアメリカ合衆国と、
平等及び相互的尊敬の基礎の上に立つ友好関係を促進することでありました。
日本は、この目的達成の第一歩として、
当時日本が直面していた国際的孤立から脱却して、
その外交的位置の退化を防ぐことが必要であると考えました。

日本がアングロ・サクソン系諸国に対する接近政策に失敗し、
アメリカの圧力増大の結果、完全な国際的孤立に陥る危険をみてとり、
日本は、終局の目的、即ち日米国交の調節は、
先ず第一に日本の国際的位置を改善する事なくしては、
不可能であるという結論に達せざるを得なかったのであります。

多少の危険は覚悟の上で、
他の国家と連合してこの目的は達しなければなりません。
而して当時の国際情勢では、
ドイツとイタリーのみが同盟国として利用し得る国家でありました。

日本政府が、侵略的目的を有せず、又、三国同盟の結果として
欧州戦争に引き込まれぬよう出来るだけの用心をした事実は、
その交渉に対する政府の記録によって証明せられるでありましょうし、
又、これが今、我々の証明せんとする目的の一部であります。

「新秩序」という用語の解釈に関しては、
その語が、世界平和確立計画の一部として、
一区域的組織の実現を意味していたことが、
証拠により示されるでありましょう。

それは侵略的な性質のものではなく、
又現存の諸条約と義務とに違反するものでもありませんでした。
日本およびドイツの指導者が世界制覇又は世界分割をたくらんでいたという
主張の事実無根であることを証明する証拠が提出されるでありましょう。

三国同盟条約中に含まれた互助の契約は自動的に効力を発するとする
検察側の提訴に対しては、そうでなかったことが証明されるでありましょう。

三国同盟締結から太平洋戦争開始に至るまでの間の、
日独伊の国際関係に関しては、弁護側は、次の事実を指摘して、
相互援助の事実のなかったことを証明するでありましょう。即ち、

(一)ドイツは日本に、ドイツの対英戦争に参加することを望みました。

(ニ)ドイツは、独露戦争が開始され、ドイツ軍がモスコーに迫っていた時、
日本がロシアを攻撃することを望みました。

(三)ドイツは日米戦争を欲しなかった。
日本は単独に合衆国を攻撃したのであります。

弁護側は、日本が、ドイツからの対英戦争参加の要求を外交的手段により
常に拒否した事実を示す証拠提出するでありましょう。

このドイツ要求は、
三国同盟締結の際のドイツの確約に反するものでありました。

ソ連邦に対しては日本は三国同盟の条文
及精神を遵守しこれと友好関係維持に努力したのであります。
日本は対露戦参加というドイツ再三の要求を断乎退けました。

日本が、日本の反対にも拘らず起されたドイツの対ソ攻撃を
ドイツの背信行為と看做し、
更にかかるドイツの行為の結果三国協定の基礎自体が、
無に帰せるものと看做せる事を
立証する証拠を提出せんとするものであります。

日本の開戦決定が独伊との協議はいうに及ばず
何等の外部的影響とは無関係に、自衛を考慮した結果であり、
又、日本がその軍事作戦実施に当りて
これら両国から何等の援助も期待しなかった事が立証されるでありましょう。

逆に日本は開戦決定を厳重に秘匿し、真珠湾攻撃はドイツにとって
完全なる驚愕であった事実についても証拠が提出されるでありましょう。
2009/03/08 09:00|年表リンク用資料
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