正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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東京裁判 弁護側資料 清瀬一郎、高柳賢三、ウィリアム・ローガン

東京裁判 弁護側資料 【清瀬一郎弁護人冒頭陳述】

『東京裁判 日本の弁明[却下未提出弁護側資料]』小堀桂一郎氏編より引用

【清瀬一郎弁護人冒頭陳述】

昭和22年2月24日、部分却下、一部朗読禁止

キーナン検事とやりあう清瀬一郎弁護人
キーナン検事とやりあう清瀬一郎弁護人

(以下は朗読禁止部分)

日本は1945年7月26日、
聨合国より申入れたポツダム宣言を受諾し其後降服をしたのであります。

本裁判所は此の降服文書の条項に基いて創設せられました。
聨合国申出のポツダム宣言を全体的に受諾したりという意味に於て
無条件に降服したりということは誤りではありませんが
我々はポツダム宣言それ自身が
一の条件であるという事を忘れてはなりませぬ。

ポツダム宣言はその第5条に
「以下が我々(聨合国)の条件である。
我々は断じてこれを変更することなかるべし」
と明言して居ります。

無条件降服という文字は
ポツダム宣言ポツダム宣言第13条と降服文書第2項に使用せられて居ります。
これはいずれも日本の軍隊に関することでありまして
我軍隊は聨合国に無条件に降服すべきことを命じて居るのであります。

ここに無条件降服という文字を使用したるがために
ポツダム宣言の他の条項が
当事者を拘束する効力を喪うのであると解すべきではありませぬ。

而して本件に於ては同宣言第10条に於て
使用せられた「戦争犯罪」という文字の意味が重要な問題となって居ります。

そこで弁護側は日本側、換言すればポツダム宣言を受諾するに決定した時の
日本の責任者が宣言受諾の時この問題たる字句を
いかなる意味に解したかを証明するでありましょう。

又1945年の7月末又は8月初に於て日本並に世界の文明国に於て
この文字を一般にいかに解して居ったかということを
立証する証拠も提出せられます。

これにより国際法に於て用いられる右語句は
「平和に対する罪」及「人道に対する罪」を包含しない事が明かとなります。

以上は当裁判所がこれを設定したる基礎たる憲章中の
第5条のA及Cの犯罪につき管轄を有せずとの
主張を支持するが為に必要であります。

ポツダム宣言受諾により
日本は当時現に戦われつつあった太平洋戦争に降服したのであります。
降服のときに満洲事件、張鼓峰事件、ノモハン事件について
降服する考えはなかったのであります。

これを証するため満洲事変が
昭和10年までの間には一段落となったという書証、
ノモハン、張鼓峰事件については各々其の当時妥協が成立したという証拠、
ソ聯と日本との間には1941年4月に
中立条約が成立したという事実を証する書証が提出せられます。
中立条約付属の宣言書は最も重要であります。

これには其の一部に於て
「ソビエツト聯邦は満洲国の領土的保全及び不可侵を尊重し」
なる字句があります。

ポツダム宣言の解釈及適用につきなおこれに付加した証拠を提出致します。

(以上は朗読禁止部分)

それはこういう考えから必要なのであります。

ある国が、一方においてある種の戦闘方法を使用しつつ相手方に、
降服を勧告する場合には自ら使っておる手段を
正当なものとする立前で降服勧告をするものと解釈すべきは当然であります。

もし降服条件中に「犯罪」という文字がありとすれば
この「犯罪」中には勧告者自身が勧告継続中に
用いつつある方法は含まれないと為すべきであります。

これは文書又は宣言の解釈上正当のことと存じます。
それ故聨合軍が公然と日本に対して使いましたところのものと
同一型の戦法はポツダム宣言中の「犯罪」中より
当然除外さるべきものと解釈されねばなりません。

これによって当裁判所で犯罪として
取扱われるべきものの限度が確定するのであります。
そのためにこの期間中に聨合軍が採用した戦術を
証明するために記録や写真や多数の証人を提出いたしたいと思っております。

(以下朗読禁止部分)

国家の意志により戦争が行われた場合に
その国家の官職に在った個人が其の行為のために
犯罪者として責任を負うべきや否やということは
国際法上実に重大なる問題となります。

聨合国側はこの戦争は国際法の維持を
その目的の一として戦ったと主張しております。
それ故国際法の厳格なる解釈については
聨合国側においても異存のないことと存じます。

検察官はその劈頭陳述に於て繰返しこの点につき論及せられて居ります。

殊にこの事件は未だ前例のなき所に進むことの
危険を知ると認めながらなおその主張を支持せんとせられて居ります。

然しながら我々としては1928年より1945年までの間の国際法は
国家の行為に対し
その官職の地位に在りたる個人の責任を何等問うていないと確信致します。
問うものであるとは信じ得ないのであります。

国際法の最新の表現たる国際連合の憲章も
かくの如き理論を表明しては居りませぬ。

従って本法廷チャーターのこの規定は
ポツダム宣言が予期せざるものでもあり、遡及法でもあると主張します。

従って起訴に係る期間に於ける国際法が
国家の行為に対し個人の犯罪責任を罪と認めざりしとの証拠を提出します。

(以上朗読禁止部分)

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東京裁判 弁護側資料 【高柳賢三弁護人冒頭陳述】

『東京裁判 日本の弁明[却下未提出弁護側資料]』小堀桂一郎氏編より引用

【高柳賢三弁護人冒頭陳述】

第1回目の昭和22年2月24日は全文却下(全面朗読禁止)された。
昭和23年3月の最終弁論は全文朗読が許された。以下その部分を抜粋。

高柳賢三 弁護人(英米法学者)
高柳賢三

さてわれわれは、右の如き一般に認められた解釈の準則に従って
当時の責任ある政治家のなした声明を顧ることとしよう。

(イ)アメリカ合衆国

ケロッグ国務長官は、1928年4月28日の演説において次の如く述べる。

「アメリカの作成した不戦条約案中には、
自衛権を制限乃至毀損するが如き点は少しも存しない。
自衛権はすべての独立国に固有のものであり、
又あらゆる条約に内在している。

各国家はいかなる場合においても、又条約の規定いかんにかかわらず、
攻撃もしくは侵略から自国の領土を防衛する自由をもち、
自衛のために戦争に訴える必要があるかどうかは、
その国のみがこれを決定し得るのである。
正当な理由ある場合には、
世界はむしろこれを賞讃し、これを非難しないであろう」。

次でケロッグ国務長官は、右条約調印を勧告せられた各国政府に
あてた1928年6月23日の覚書において、フランスの強調した6項目の重大な
「考慮事項」に関連して条約に対する
彼自身の「解釈」を明らかにした後次の如く述べたのである。

「かかる事情の下に、余はここに貴政府の考慮をわずらわすため、
上述した変更を含む戦争放棄に関する
多辺的相互条約の草案を伝達するの光栄を有するものである」。

合衆国においては、周知の如く、本条約のモンロー主義に及ぼす効果につき
大きな懸念が抱かれたのであったが、
ケロッグ氏は1928年12月7日上院外交委員会に対して、
モンロー主義の保障は、本条約が自衛行為を排除せず、
且つ自衛行為であるか否かは合衆国のみが
これを判定する権利をもつことのうちに含まれているから大丈夫だといった。

氏はさらに、アメリカ政府は国家の防衛又は国家に危険を
及ぼすべきおそれある事態を防止するために
必要と信ずる処置をとる権利を有すると述べ、
この法則は全て他の国家にも均しく適用せられることを認めた。

国務長官は又、アメリカ政府は自衛の問題の決定を
いかなる裁判所に委ねることをも承認しないであろう、
又他国政府もこの点については同様承認しないであろうと述べた。

ボラー上院議員は、1929年1月3日の上院における演説及び討論について、
何が攻撃となるか又何が防衛の正当性を理由づけるかを
自ら決定する権利を放棄する国はないであろうと述べ、
又合衆国は、他国の行動が合衆国自身に対する攻撃の性質を帯びないかぎり、
これに関して自衛問題を決定することには関与しないであろうと明言した。

(ロ)英 国

1928年5月19日、英国政府はアメリカ政府に対して、
国策の手段としての戦争を放棄する部分を引用した後、
一定の地域の福祉と統合とは英国政府の平和と安全にとって特別の、
且つ死活的な利害をもつものであること、
並びにかかる地域に対する攻撃に対して
これを守ることは自衛手段に他ならぬ故、
右地域に対するいかなる干渉も
これを甘受しえざる旨を宣言した覚書を手交した。

右覚書中かかる地域の何たるかは指定されておらず、
将来いかなる地域を以てかかる地域とするかについて
完全な自由が留保されていることに注意すべきである。

右の覚書はケロッグ国務長官の演説中に
解説されている「自衛権」に関する英国政府の、より具体的な解明であった。

オーステイン・チェンバレンは将来の異議乃至論争に対して効果的な先手を
うつために、7月18日の覚書に次の如き明確な条件を付している。
いわく、「5月19日付覚書中、一定の地域の福祉と統合が英国の平和と安全に
とって特別の且つ死活的な利害をもつことに関する部分については、
英国政府は、新条約が右の点に関する英国政府の行動の自由を
なんらそこなうものでないことの
諒解のもとにこれを受諾するものである旨再言するに止める」。

なるほどソヴィエツト政府及びペルシャ政府は
英国の留保を認めることを拒絶した。

しかし将来英国政府がケロッグ・ブリアン条約違反の責を問われた場合に、
かくも細心な注意をもって起草され、
条約の本文と共に正式に国際聯盟に寄託せられた自衛に関する
その解釈を採用しないというが如きは、
想像できないことと考えられていたのである。

(ハ)フランス

ブリアンは7月14日の覚書において左の如く言明した。

「これに加えて、共和国政府はフランスの立場から述べた各種の所見を
満足せしめるため合衆国政府が新条約に
たいして与えた見解を了承することを欣快とする。

かかる事態において、又かかる条件の下に、共和国政府は合衆国にたいして、
今や本条約に調印する完全な意図を有する旨を通告しうる事を欣快とする」。

パリ条約締結国の意思が次の如きものであったことは明らかである。

(1)本条約は自衛行為を排除しないこと。

(2)自衛は領土防衛に限られないこと。

(3)自衛は、各国が自国の国防又は国家に危険を及ぼす可能性ある如き
事態を防止するため、その必要と信ずる処置をとる権利を包含すること。

(4)自衛措置をとる国が、
それが自衛なりや否やの問題の唯一の判定権者であること。

(5)自衛の問題の決定はいかなる裁判所にも委ねられるべきでないこと。

(6)いかなる国家も、他国の行為が自国に対する攻撃とならざる限り
該行為に関する自衛問題の決定には関与すべからざること。

(中略)

本裁判の開始以前に、わが法曹界では、いわゆる裁判所条例なるものは、
裁判所に対し敵国の指導者を処罰する権限を与え
且つこれを命ずるために現行国際法の法則にお構いなく
包括的用語を以て規定せられた専断的な裁判指針にすぎないとか、

いわゆる裁判所なるものは、
司法的機関ではなく刑罰をふり当てる行政的機関にすぎぬとか、
条例に表現された聨合国政府の政策と抵触する場合には
国際法は当然無視されるであろうから
今更むきになって国際法の議論をしてもはじまらない、
といったような意見がしばしばささやかれたのであった。

しかし1946年5月3日、本裁判の開廷に当って裁判長が述べられた

「本日ここに会合するに先立ち、各裁判官は、法に従って恐れることなく、
偏頗の心をもつことなく、裁判を行う旨の合同誓約に署名した」、
「われわれの大きな任務にたいして、
われわれは事実についても法についても虚心坦懐にこれを考慮する」、
「検察側は合理的な疑の存せぬ程度に有罪を証明すべき立証責任を負う」

との言葉によって右のような迷想はほとんど解消したのである。

法に優越する何者をも認めない英米の法伝統を知る者にとっては、
裁判長のこれらの言葉の意味は明々白々であった。
懐疑主義者はたしかにこれは面喰ったが、
しかしなお「法に従って」とは「国際法に従って」
という意味に用いられたのではなく、
「条例に規定せられた法に従って」という意味にすぎないのだと言い張った。

しかしさらに主席検察官がその劈頭陳述において、
被告人達は国際法に関する行政府の決定によってではなく、
現行の国際法そのものによって断罪せらるべきであり、
本条例はかかる現行国際法を宣明せんと
するものに過ぎないゆえんを明白にされた。
これによってこの疑は完全に解消した。

主席検察官自ら、コモン・ロオに育まれた著名な法律家である。
私人に対する政府の特権を何ら認むることなく、
行政府の法解釈も公正な裁判所によって排斥されることを
認めるという英米司法裁判の特徴をなす
フェア・プレイの精神を体得しておられるのである。

そして政府の代表者も判決に於て自らの主張が
全部排斥された場合にも、欣然としてこれに服するのである。

かかるが故に弁護人側は、裁判所が被告人の有罪無罪を決定するに当って、
単なる条例の規定の字義通りの解釈によらず、
(これによれば「戦争犯罪人」としての責任追
及を免れうる日本人はほとんどないことになる)
被告人をも含めて万人周知の確立した国際法によって
裁判されるべきものと考えたのである。

かくして弁護人側は検察側の挑戦に応じて、現行国際法の法則によれば、
被告人は釈放せらるべきであることを証明せんと努力したのである。

かくして、検察側及び弁護人側の双方の共通信念によれば、
本裁判は、被告人のみならず、
全世界の政府が畏敬すべき国際法の尊厳を象徴すべきである。

われわれはこの歴史に先例のない刑事裁判において、
その画期的判決をなすにあたり確立した国際法のみに
基くべきことを裁判所にたいして強く要請する。

法の認めない犯罪にたいして
事後法に基き厳刑を科するがごとき正義にもとる処置は、
必ずや来るべき世代の人々の心情のうちに遺恨を残し
東西の友好関係と世界平和とにとって
不可欠な欠くべからざる恒久の和睦を阻害する原因を
作ることとなるであろうことは、
賢明にして学識ある裁判所は万々御承知のことであろう。

来るべき世代の東洋の人々が、いな人類全体が、
この画期的判決を広い歴史的視野からふり返って眺めるとき、
3世紀にわたる期間において西洋の政治家や将軍が
その行った東洋地域の侵略について処罰を受けたことが
一回もなかったことを想起して、
かれらは、東洋の一国の指導者にたいし
事後法に基く処罰を行うたことについて
大いなる不正が犯されたとの感想を抱くに至るかもしれない。

かかる事後法的処罰は又、今や最高司令官の聡明な指導の下に、
新憲法の厳格な遵守、
従って又その不可欠の一部をなす事後法による
処罰禁止の規定の厳格な遵守を誓約している日本国民にたいして、
残酷な模範を示し、
かれらの殊勝な熱意を冷却せしめることともなるであろう。

かくしてそれはかれらに、
勝利者の法と被征服者の法とは別物であるとの深い印象をあたえるであろう。
かかる不正は、それは正しい法の支配なる
「一つの世界」の建設に役立つことのない権力政治の
あらわれに過ぎぬものとみられるであろう。

そればかりでなくさらに、この歴史的なそして又劇的な裁判において、
かような前例が設けられることは、
本裁判所に代表せられている戦勝諸国における刑事裁判の将来にも
深刻な影響を与えることとなるかもしれない。

そうした場合には、
「血なまぐさい教訓は、必ずもとに戻って教訓者を苦しめる」
という格言が妥当することもあるからである。
それ故厳格に法を遵守することこそは、
司法的勇猛心の表現であるばかりでなく、
裁判所のとるべき正しく且つ賢明な道である。

周知のそして確立した国際法の原理を固守することによって、
又これによってのみ、
「文明」そのものの不可分の要因をなす法至上の灯光は、
永久に国際社会を照らし、揺めく灯としてでなく不動の灯明台として、
嵐吹きすさむ世界に指標を与えることとなるのである。

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東京裁判 弁護側資料 【ウィリアム・ローガン弁護人冒頭陳述】

『東京裁判 日本の弁明[却下未提出弁護側資料]』小堀桂一郎氏編より引用

【ウィリアム・ローガン弁護人冒頭陳述】

●昭和22年2月25日

部分却下となり、陳述で予告された後日の書証提出の多くが却下。

ローガン弁護人
ローガン弁護人

第一

降服、本裁判所の創設、諸条約、
並びに日本の憲法その他諸法規に関する基本的証拠書類の最終部分から。

(書証提出却下部分)

日本の諸国策の樹立されたのは、
軍事的諸事件発生後のことにして、その前にあらざることを立証致します。

かくて、その後の諸政府は、
当時の状況をそのまま受け容れざるを得ざりしものであって、
これら諸事件の局地的解決のために・・・の企てが為されたのであります。

第二

国際法を創設するものとしての諸条約に関し
他の諸国家の為せる行動及び声明、個人的責任の存せざること、
外交上の責任免除、並びに訴追され居る犯罪の性質、に関する証拠より
検察側諸国家中には自己の行動並びに権限によって、
自ら、各種条約の規定約定を犯し、且つこれを無視したるが故に、
これを日本に強要せんとすることは禁反言の原則により
為し得ざるものなることが立証せられます。

例えば特に、ロシアのフィンランド侵略、ロシアの国際聯盟よりの追放、
ロシアのバルト諸国侵略、ロシアの満洲侵略
及び、イギリスとロシアのイラン占領に関する証拠を提出致します。

諸国家代表の公式声明、及び諸委員会の議事録を証拠として提出致します。
これはある種の条約の効力並びに解釈に対する
諸国家の意義並びに意図に関する疑念を一掃するものであります。

何故に或る種の条項が国際法に照して、一部は採択され、
一部は拒否せられたかの理由及び決定を明らかにするものであります。

更に条約違反に対する個人的責任を創定したり、
或はそれに対し個人的処罰を規定したりするような意図乃至は協定は、
諸列強に絶対に存せざりしことが
検察側諸国の代表の行動及び声明中より立証せられます。

これは周到なる準備がなされたるにも拘らず、
遂に採択せられざりし、ブカレスト約款によって立証せられます。

同様の禁止例は1922年の潜水艦戦闘条約、
ヴェルサイユ条約に伴って持たれた会議及び委員会会合
並びにハーグ条約第2章、第3条の4項中に証明されております。

更に、太古より、外交官に対しては責任免除の権限を与えんと
諸国家が常に企図せることは、エ・ラ・シャベル条約、ウィーン条約、
及びウェストファリア条約の立証する通りであることが示されます。

起訴状中に訴追され居る各種犯罪の性質に関し法廷のご参考となす為、
各国代表者の声明を提出致します。
特に戦争中の殺人は、その始めの状況の如何に拘らず、
昔から殺人罪を構成するものではありません。
このことを立証する実例並びに類似例簡単に提出致します。

諸国家は、明白なる条約侵犯に対する対策として賠償を考えしも、
個人的責任を他国家によって裁くことは考えざりしことを証明するため、
パネー号並びにレディーバード号事件に関して証拠を提出致します。

1933年の会議、侵略戦争を定義せんとする試みは
失敗に終わったということも立証されます。

(書証提出却下部分終わり)

第四

日本の国民経済並びに、
太平洋及びアジア地域に於ける世界諸列強による日本包囲に関する証拠より
・・・・・日本は生存上大量の輸入を必要とする国であり、
従ってその外国貿易は昭和七年に於ける「英帝国優先」なる
オタワ会議の決定によって、特に損害を蒙ったのであります。

ちなみに本決定は米国を始めとし、英帝国以外の
ほとんどあらゆる交易国より非常なる非難を受けたのであります。

朝鮮を含む日本の経済状態に関する証拠は、
かかる目的に対する検察側が主張したるが如き細工、
組織化或は統制の皆無なりしことを、
一点の疑いもなく示しているのであります。

太平洋戦争以前の日本の対外貿易が8割まで聨合王国、オランダ
及び合衆国を相手としていたことを立証致します。
これにより法廷は、ABCDブロックの輸出禁止令及び資産凍結令が、
日本の経済に対し如何に甚大なる打撃を及ぼしたかお分りになりましょう。

殊にそれは、日本をして中国に於ける降服を
余儀なくせしめんとの差迫った脅威を伴っていたのであります。
証拠は、日本に対する経済的包囲、並びに日本の実状
及びかかる制限及び制裁が日本経済に及ぼした
惨憺たる結果を示すでありましょう。

証拠は更に、侵略戦争と主張せられた戦争遂行の為の
これら被告による予備的経済侵略及び同じく彼等による、
これに関する共同謀議の欠如を明らかに致します。

日本が世界の諸列強により経済的且つ領土的に漸次包囲せられ、
日本の存続が危機に直面したことを地図及び図表によって立証致します。
即ち日本は純然たる必要に迫られておりました。

―――――――

●昭和22年8月4日、結果は全文朗読

日本に対する聨合国の圧迫

我々は法廷に対し次の如き供述を致し、これにより日本に対する聨合国側の
圧迫に関する日本側の見解についての証拠を爾後我々が提出します時、
これを法廷御一統が充分に御了解下さいます事を希望いたします。

我々の第一の目的は、次の事実を証明することであります。
即ち、先ず欧米諸国は、
日本の権利を完全に無視して無謀な経済的立法を行う事、
又、真珠湾に先立つ数年間、右の諸国は、故意に、計画的に、
而して共謀的に、日本に対して経済的軍事的圧力を加え、

しかも、その結果が戦争となることは充分に承知であり、
そう言明しながら、彼等が右の行動をとったという事実であります。

又肯定的弁護として次の事実が証明されるでありましょう。
即ち、情勢はいよいよ切迫し、益々耐え難くなったので遂に日本は、
欧米諸国の思う壷にはまり、日本から先ず手を出すようにと彼等が予期し、
希望した通り、自己の生存そのもののために、
戦争の決意をせざるを得なくなったのであるという事実であります。

その結果から見て、かくの如き希望が果して正しかったか否かということは、
将来の歴史のみが大局的に判定するでありましょう。
今ここで我々が問題とするのは、
日本を遮二無二戦争に駆り立てるために用いられた手段であります。

1911(明治44)年以来日米両国間に結ばれて来ました通商航海条約は
1939(昭和14)年米国側の廃棄するところとなり、
1940(昭和15)年1月を以て失効することとなりました。

対日物資輸出禁止は米国の政策の一つとして採用されました。
月を経る毎に益々多くの品目がこのリストに付加されました。
かかる差別待遇に対して日本側からは厳重な抗議がなされました。
米国軍部と国務省官辺とは日本に対する措置について
屡々意見を異にしながらも協力して事に当りました。

1941(昭和16)年7月26日の最後的対日経済制裁を
米国大統領が真剣に検討していた時、
彼はかかる措置の当否について軍部首脳の意見を求めました。

これに対する軍部の答申は断然
「対日貿易はこの際禁止すべからず、もし禁輸を行えば、
恐らく極めて近い将来に於て日本はマレー
及びオランダ領東インド諸島を攻撃するに至り、
而して恐らく米国を近い将来に太平洋戦争の渦中に
投ずることとなるであろうから」
というのでありました。

「現実主義的権威筋が殆どこぞって」、
日本に対し「徹底的経済制裁を加える」ことは
「重大なる戦争の危険を意味」することを主張したのみならず、

忌憚なき日本側の米国国務省官辺に対する批判もまた、
かかる行動は「日本をして早晩ゴム其の他の物資確保の為め
マレー半島及び蘭印に南下する以外に途なき」状態に
立ち至らしめるであろうと言うのでありました。

かかる日本の反応は、大統領の、
米国は飽くまで英国を援助するであろうという明白な声明と共に、
戦争の実際的発端は果して真珠湾攻撃にありや否やの疑問に対し
明確なる返答を与えて居るのであります。

1941年(昭和16年)7月26日、遂に凍結令が発せられるや
英帝国及び蘭領印度もまた時を逸せずこれに倣いました。
彼等は条約上の義務に反して即時同様の手段を採ったのであります。

これ等の凍結令は直ちに日本に対し恐るべき衝撃を与えました。
かかる状態がある程度継続するならば日本の経済は
不具状態に陥ることは明らかでありました。

かかる「輸出禁止」及び凍結令は
日本の全経済を麻痺せしめうる能力を持っていたのであります。
これ等の手段は生産能力及び原料の徹底的な消耗により
日本が支那に於て屈服してしまわねばならない様に
目論まれたものであります。

日本に致命的打撃を与える主要物資の一は石油であります。
これ無くしては日本の国内経済も、
全ての国家的安全性も圧殺されるのでありました。

かつて日本が蘭印から充分の石油を得ようとした平和的企図は失敗しました。
日本から観ればこれ等の輸出禁止や凍結令は
日本の生存権を拒否するに等しいものでありました。

ロシアの5ヵ年計画成功の報道は日本にもう一つの脅威を与えました。
然し日本経済の国際的孤立を語るだけでは
未だ状勢の説明には不充分であります。

まだ語らなければならぬものがあります。
即ちこれと同時に列強の軍事当局も
いわゆる「オレンジ」に対し戦争を目論んでいたのであります。
「オレンジ」とは日本を指す彼等の常套語でありました。

すでに早くも1938年後半、
合衆国及び英国海軍の巨頭はロンドンに於て秘密会談を催し、
日本に対し太平洋に於て相互に協力し
作戦すべきことを討議し立案して居りました。

これらの計画は1941年初頭にワシントンで開催された秘密会談に於て
討議され、更に具体的なものとされたのであります。

尚我々の引用せんとする証拠は日支紛擾に対する米国の介入は
未だ如何なる非交戦国間にもみられなかった程度の
ものであった事実をも明らかにするでありましょう。

中国に対する全面的援助はアメリカの大胆な政策となり、
それが文字通り日本をして益々多くの血を
中国の土に流さしめる結果をもたらしたのであります。
中国に対する援助は次の如きものであります。

弁済の期待が殆ど無きに拘らず即時借款を提供したこと、
米国飛行士が米国機によって中国のために対日空中戦に従事する事実を
巧妙に官辺が黙認し暗に奨励したこと、
或は蒋介石に対する経済、軍事顧問の派遣、
戦争資材、食糧の提供等でありました。

この期間米国は決して太平洋上に於ても眠って居ったのではありませぬ。
増援軍は絶えずフィリピンに送られて居りました。
比島周辺海面への機雷の敷設、シンガポールの要塞化、
遠距離基地の急速なる改良等が着々進行して居りました。

●昭和23年3月10日、最終弁論

日本は徴発挑戦されて自衛のために決起した。

1:日本が真珠湾を攻撃し、
太平洋に於ける公然の戦争行為の開始を告げた時より13年前、
アメリカに於きましては著名なる政治家の一団が、
今は有名なケロッグ・ブリアン平和条約に対し
アメリカがこれを批准することの是非を議する為に
ワシントンの国会議事堂に集まって居ったのであります。
そしてこの一団中には同文書共同草案者の一人たる
時の国務長官フランクB・ケロッグその人が交って居りました。

2:その時に行われました審議は議事録に収められ居るのでありますが、
その審議の進行中、ケロッグ長官は
「国家が攻撃されるのではなくって―経済封鎖を受けるとしたら――?」
という質問を受けました。
ケロッグ長官は「戦争しないで封鎖などということはありません」
と答えました。
その時一上院議員が「そういう事は戦争行為です」と云いますと、
ケロッグ長官は「断然戦争行為です」と云ってこれに同意しました。

3:同じ会議中、ケロッグ長官は上院議員一同に対して次の如く述べました。
「先にご説明申上げました通り、
私は今日、或る国家にとって回避することの出来ない問題である、
[自衛]若しくは[侵略者]という語についてこれを論じ定義する事は、
地上の何人と云えども恐らく出来ないであろうと思うのであります。

そこで私は次の結論に達したのであります。
即唯一の安全な方法は、どの国家も、自国が受けた攻撃は不当なりや否や、
自国が自衛の権利を有するや否やを自国の主権に於て
自ら判断することであって、ただこれに就いては、
その国家は世界の輿論に答えなければならないという事であります」

4:右はこれを以てアメリカの政治家達又は政治指導者達に対する
兎角の批判の材料によるとして引用したのではなく、
唯一国家の経済安定に干渉することは
恐るべく且つ劇烈な行動なのであるという考え方は、
少なくともアメリカ合衆国には確固として
存在する思想なのであるという事を示さんが為であります。

5:バリ条約の草案者自身がかかる経済干渉を以て断然戦争行為であると
見做して居りました事実を、本法廷に対して指摘いたします為に、
我々はこの偉大にして博識なるアメリカ人が、一国家がその実際に
遭遇している状勢に立脚しての自国の自衛権の有無を判断するのは、
国家としての当然の権利であるということを、
極めて率直に容認した事実を簡単且つ明瞭に示す為に、
そのケロッグ長官自身の言葉をここに引用いたしたのであります。

6:次に申し述べます意見は本法廷が戦争の開始せられました
1941年12月8日以前の暗黒期に於て、太平洋域に存在しました状勢の真相を
把握せらるるための御便宜に供せんとして、提言致すものであります。
我々は次の諸問題を提出致したいと思うのであります。

即、日本はあらかじめたてた計画の帰結として、
即ち日本がそれまであたかも小児的信仰を以て、
自国の経済維持の源泉として依存して来た諸強国に対し、
これを打破し且つ支配することを、
その唯一の目的とする野望的計画の実現化として、
欧米列強に対する侵略戦争を教唆し遂行したのでありましたろうか。

それとも日本は日本存立を脅威する諸外国の侵害に対して、
国際上承認せられた自衛権――即、如何なる筋に於ても、
これを彼等の主権に属する処として異議を差しはさむことの
ないものでありますが――これの行使を試みたものでありましたろうか。

7:戦争の道具は多種多様であります。人間が進化すれば科学は進歩し、
各国は自国維持の必要上相互に依存し合う程度が
増大してくるのでありまして、そうなりますと戦争の仕方も、
火薬を爆発せしめそれによって敵を殺す方法ではなく、それとは異なり、
しかも相手国の抵抗力を減じ自国の意志に服従せしめんとする、
同様に恐るべき性質の手段を取るようになります。

今日我々は第三次の世界大戦という病気を未然に防止する為には、
経済療法が必要であるという叫びを
世界の至るところに於て聞くのであります。
一国からその国民の生存に必要な物資を剥奪することは、
確かに、爆薬や武力を用い強硬手段に訴えて
人命を奪うのと変るところの無い戦争方法であります。

と申しますのは、それは緩慢な行動を以て相手国の抵抗力を減じ
結局は在来の敵対行為として用いられた方法と同様確実に
これを敗北せしめることになるからであります。
そしてこの方法は、緩慢なる餓死という手段でおもむろに
全国民の士気と福祉を減耗する事を目的とするものでありますから、
物理的な力によって人命を爆破し去る方法よりも、
一層劇烈な性質ものであるという事さえ出来るのであります。

8:検事側は連合国は日本に対して専ら軍用品供給の削減を
目的とする経済封鎖を行ったと申立てて居りますが、証拠はこの経済封鎖が、
日本民間のあらゆる種類の物品や貿易、更に追て明らかにします如く、
食物にまで影響しいた事実を物語って居ります。

9:これは一国家を圧倒的優勢の船舶を以て包囲し
その貿易の自由を奪う従来の封鎖の方法以上のものでありました。
即それは経済的に有力、且つ非常に優越せる諸強国が、
その存立並びに経済を世界貿易に依存する
一箇の島国に対して採った行動であったのでありました。

10:アメリカが採った行動は、起訴状に於て告訴せられております如く、
日本の対中国侵略を抑制する手段であるとして
正当化しようとする検事側の理論に対しまして、
日本側は欧米諸国が東洋に於ける実状を理解することを
拒んだのであるという声明を以て、断乎これに答えて居ります。

一国の主張するところが正しかったか否かを論じますことは
重要でなく且不必要であります。
証拠としての実際の価値は次の事実にのみ存するのであります。
即ち、日本と欧米諸国との間に正当な論争点が存立したという事、
即国家主義的な考え方からでありましょうとも、
そうでない考え方からでありましょうとも、
何れにいたしましても日本が脅迫威圧せられて居ったという結論に
到達せしめうる問題が実際に存立した事を示すことに
証拠の価値は存するのであります。

もしこの敗戦国政府の指導者達が、
日本は脅威せられて居るという概念を抱きました事に対し、
その当時、正当な根拠があったのでありますならば、
一国家が危殆に置かれた場合は、自衛の為の決定権を有するという諸国家一致
せる国際的発言に従って、侵略という要素は消散するのであります。

この点を念頭に置きまして、我々は一歩進んで聨合国の対日経済活動を
指摘致し法廷の御参考に資したいと存じます。
而して我々は独り彼等のこの経済活動に関して
事実を明らかにしますばかりでなく、更に進んで同じく
聨合国の対日提携軍事活動について明らかに致すでありましょう。

11:日本はかかる事実を喜ばなかったとはいえ、
聨合国が行いました経済封鎖は日本に対する戦争行為に外ならないものである
と断定する権利をもっていたのであります。

が、それにも拘らず日本はその特有の忍耐力を以て、
円満にこの争を解決しようと試みたのでありました。

然るに経済封鎖は強化せられ、軍事的包囲の脅威と相俟って、
遂に日本をして自国の存立の擁護の為には、最後的手段として
戦争に訴えざるを得ないと考えしむるに至ったのでありました。

日本がこの聨合国の経済封鎖を以て
直ちに宣戦布告に等しきものなりと解釈する事なく、
平和的解決を交渉に依って忍耐強く追求いたしました事は、
永遠に日本の名誉とするに足る処であります。

更に我々が見逃し得ざる事は、
この期間中聨合国は軍事的活動をしていなかったのではなく、
その反対に、中立国の合法的行動としては
殆ど承認致し難い方向に向って彼等の計画を進めて居った事であります。

日本はこれらの行動を明瞭に敵性行為であると認めて
これに対する反対行動を起したのであります。
日本は長年の間東洋の諸問題に干与し来って居ったのでありまして、
西半球に於ける出来事、特にアメリカの事柄に干渉して
いたのではなかったということは、永久に忘れてならないものであります。
地球の向側の世界に対し強いて干渉を行ったのは
欧米諸国であったのであります。

12:検事側は侵略戦争の何たるかを論じたる冒頭陳述に於きまして、
侵略という語を左の如く定義して居ります。
即ち「最初に挑発せられずして行える攻撃乃至戦闘行為、最初の加害行為、
もしくは戦争乃至紛議を惹起せしめる最初の行為、襲撃、
又侵略戦争の場合の如き攻撃乃至侵略の実施」。

13:「紛争の解決に当り、調停を為すこと又は調停を受けること、
もしくは其他の平和的手段を受諾することを拒否し、
武力の行使もしくは戦争行為に訴えようとする国家」という定義であります。

14:本法廷に既に提出せられました申立の事実によりまして、
太平洋戦争は日本による侵略戦争ではなかった事が
検事側自体の下した定義に於て既に示されている、
ということが明確に立証されております。
其れは不当の挑発に基因した、
国家存立のための自衛戦争であったのであります。

136:日本が挑発されて、又事実自衛の為め昭和16年12月7日に
行動を起したのだという主張を重要視するに当っては、
被告等のかかる主張が後から考えた思案に依るものではないと云うことが
留意されねばなりません。

是までに述べて来た事柄は、
要するに昭和13年(1938年)に始った日本に対する経済封鎖
並に軍事的包囲に対して、日本の責任ある代表者により、
其の都度記録された抗議に関して書かれた
数多くの文書の内容に帰着するのであります。

枚挙し得ない程の頁数に亙る証言が多くの証人に依て
数多くの閣議や連絡会議や重臣会議や枢密院会議
並に軍事会議に就いて為されております。

而してこれ等は総て経済封鎖や軍事的脅威の及ぼしつつある結果、
日本が事態を緩和すべき何等かの手段を採るにあらざれば
将来も継続して生ずべき結果を中心として行われたものであります。

しかも其の手段を日本は辛抱強く外交交渉に依て試みたのでありますが
失敗に終ったのであります。輸入禁止は最初日本を憤激せしめたが、
漸次苛烈き頻発及び範囲を増大するに従て苦慮の状態に陥らしめ、
遂に日本は己の頸に架けられたこの締道具を外交交渉に依ては
最早断ち切れる希望が断たれたと覚り、
自尊心を持つ他の如何なる国民も採るに相異なかった行動に
出でざるを得なかった様に仕向けられたのであります。

其の発生の都度記録せられ、充分に立証されているこれ等の事実は、
昭和16年12月8日に煥発された詔勅に要約され、
日本が自衛のために採った行動なることが示されているのであります。

137:日本は正当であったか、又これ等の被告又は当時責任的指導者
であった被告が、日本の国家的存立が経済封鎖や軍事的包囲の為に
危殆に陥ったと衷心から正直に信じたか、アメリカの責任ある指導者達は
当時これを承知し且つ信じていた筈であります。

もしこれに対し反対の結論をなすならば、
それは全然事実を無視するものであります。
武力の誇示を伴った経済封鎖が、
これ程大規模に用意周到な計画的な統一的な正確さを以て遂行され、
その目的、即ち日本をして最初の一撃を行わしめんとする
明白な期待と希望とを挑発する目的が首尾よく貫徹されたことは、
歴史上未だ他に其の例を見ないのであります。

日本を刺激して攻撃に出でしめようとする、
その公言せられた目的が完成されたのでありますから、
この日本の攻撃が自衛手段でないと記録することは
実に歴史に一汚点を残すものであります。

138、英国内閣閣僚オリヴァー・リトルトン氏
及び合衆国前大統領ハーバート・フーヴァー氏の熟慮された言説――
直接報道された言説は恐らく最も適切に全般的状勢を説明しております。

即ち両氏はそれぞれ
「アメリカが強いられて日本と戦ったと云うならば
これは歴史上の笑草であろう」

「もし吾々が日本人を挑発しなかったならば
決して日本人から攻撃を受ける様なことはなかったであろう」
と言って居るのであります。

139、ABCD諸国は完全なる軍事的
及び経済的包囲を二つとも作って居りましたので、
我々は最初の打撃は真珠湾で打たれたのではないと思いました。

そして其れは久しい以前に経済戦争が
発足した時に打たれたと思うのであります。
経済戦争は頑強に不断に圧縮されました。

更に又それ以上効果的に且つ蹂躙的になりましたので、
それは日本の存在さえも脅威致しまして、
もしそれが続けられたなら日本を滅亡させたかも知れませんでした。

これらの人々は是を知り、それを信じ、それを信ずる理由を有し、
そして彼等のために行動したのであります。
これらの人々は日本人であります。

彼等は米国人でも又は大英聯邦国民の人々でもありません。
或は又オランダ人でも、ロシア人でもフランス人でもないのであります。

彼等は日本国を愛しました。
そして彼等の決定は祖国にとって生きるか死ぬかの決定でありました。
彼等は祖国を愛しました。
そして決定をしなければならぬ地位にありました。

我々はこの裁判をされる方に、
一寸彼等の立場になって考えて下さいとお願いします。

その立場に立ったら愛国者として貴方達は
他の決議をすることが出来るでしょうか。

その決定をすべき地位にあり、然も公正な信念及びその信念を
裏づける十分な理由があってなされた決定が善いか悪いか、
又それは犯罪者の信念であって愛国者の信念ではない等と称されましょうか。

もしその決定が犯罪的意図からではなく、
決定された方法が祖国を護持して行くに絶対必要であるという
強い信念と愛国心の動機からなされたならば、
我々はそれが犯罪であると法廷で裁きを行うべきでないと申し立てます。
2009/03/07 09:00|年表リンク用資料
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