正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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降伏文書調印式

1945年(昭和20年)9月2日、戦艦ミズーリ上での降伏文書調印式の式中、
ミズーリの甲板は2枚の星条旗で飾られ、1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウス
に飾られていた連邦48州の星が描かれた星条旗で、もう1枚は1853年の
黒船来航で江戸湾に現れたマシュー・ペリー艦隊の旗艦、蒸気外輪フリゲート
「サスケハナ」が掲げていた連邦31州の星が描かれた星条旗であった。

また、戦艦ミズーリが調印式のときに碇泊していた位置は
1858年に不平等条約の日米修好通商条約が洋上で調印された緯度・経度と
全く同じ位置であった。

90年越しの勝利とする米国の意識が感じられる。

下記の写真は1945年(昭和20年)9月2日、戦艦ミズーリ上での降伏文書調印式。
写真の奥にペリー・フラッグが掲げられている。旗は布が
こびり付いていて表側にできないため、裏側のまま額に入れられている。
降伏文書調印式のために海軍士官学校博物館より、ダグラスマッカーサーの
要望で持って来られて掲げられた。現在、ペリーフラッグは、
メリーランドのアナポリス米国海軍兵学校に保管されている。
1945年(昭和20年)9月2日、戦艦ミズーリ上での降伏文書調印式。写真の奥にペリー・フラッグが掲げられている。旗の布がこびり付いているため表側にできないので裏側のまま額に保管されている。

調印式が行なわれた戦艦ミズーリ2Fデッキ床の記念プレート
戦艦ミズーリが調印式のときに碇泊していた位置は1858年に不平等条約の日米修好通商条約が洋上で調印された緯度・経度と全く同じ位置であった。(写真は戦艦ミズーリ2Fデッキ床の記念プレート)

戦艦ミズーリが調印式のときに碇泊していた位置は1858年に不平等条約の日米修好通商条約が洋上で調印された緯度・経度と全く同じ位置であった。(写真は戦艦ミズーリ2Fデッキ床の記念プレート)
2009/02/27 09:00|年表リンク用資料
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