正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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ブライアン不承認主義

1915年(大正4年)5月25日に日華条約が結ばれると、
すぐにアメリカがこの条約に難癖をつけてきた。

日華条約に関係ないアメリカの国務長官・ブライアンは
日華両国に「支那の政治的領土的保全
及び門戸開放主義に関するいかなる協定も承認せず」と通告した。

これがその後「不承認主義」として
有名になった門戸開放主義に立つアメリカの極東政策の先駆けである。

このブライアンの不承認主義は、やがて満州事変でのスチムソン国務長官の
スティムソン・ドクトリン(1932年1月7日)として継承され、
一層知れ渡り、後年、支那事変から日米交渉においては
ハル国務長官の硬直した原理尊重主義となって
日米関係を大きく阻害し、ついに戦争を引き起こすことになる。

反日に向かっていたアメリカ政府は支那支援を表明し、
アメリカのマスコミも日本非難を行った。

アメリカはこの後、
日本のあらゆる政策・行動に不承認を唱えてくることになる。

在支那アメリカ公使がポール・ラインシュであったことも不幸を重ねた。
ラインシュはひどい親支反日派で、ラインシュの一連の日本非難の
電報によってアメリカ人の心に日本は邪悪な国との固定観念を作り上げ、
ついには日米戦争の確率を高めることに大きく貢献した。

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第一次大戦と『対華21ヵ条の要求→日華条約』
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-218.html
第一次大戦と『対華21ヵ条の要求→日華条約』(『大東亜戦争への道』より)
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-559.html
『対華21ヵ条の要求』と日華条約
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日華条約が結ばれると、すぐにアメリカがこの条約に難癖をつけてきた。
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2009/02/21 09:00|年表リンク用資料
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