●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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他サイトの内容を100%支持している わけではありません。完全に意見が 一致する人など存在していません。 ならば、なぜリンク紹介しているの かというと、大東亜戦争後、日本国 内が、あまりにも、いわゆる左巻き の論調に偏ってしまっているので、 全体的に見ると少数ながら存在して いる保守側の意見を、いろいろな 角度から知ってほしいからです。 ブログ記事の右下の日付について
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
カラハン宣言
ソ連は1919年(大正8年)7月25日に外務人民委員代理のカラハンが 支那との友好を求める宣言を発表した(第1次カラハン宣言)。 実に紳士的な態度を示し、 ロシア帝国が得た権益はすべて支那に返すと言い出した。 これによって権益を返さない他の列国は悪者に映る。 しかし、ソ連は実際に返したわけではない。 たとえば、返すもののひとつに東支鉄道(東清鉄道)を挙げていたが、 翌年、1920年10月27日に発表した第2次カラハン宣言では、 「東支鉄道の運行に関し、ソ連の必要を適当に尊重して特別条約を結ぶ」 といって前言を翻している。 要するに、実行しない約束をしておいて支那人を感激させ、 民族主義を煽り、ソ連への親近感を持たせるというやり方である。 |
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