正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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カラハン宣言

ソ連は1919年(大正8年)7月25日に外務人民委員代理のカラハンが
支那との友好を求める宣言を発表した(第1次カラハン宣言)。

実に紳士的な態度を示し、
ロシア帝国が得た権益はすべて支那に返すと言い出した。
これによって権益を返さない他の列国は悪者に映る。

しかし、ソ連は実際に返したわけではない。
たとえば、返すもののひとつに東支鉄道(東清鉄道)を挙げていたが、
翌年、1920年10月27日に発表した第2次カラハン宣言では、
「東支鉄道の運行に関し、ソ連の必要を適当に尊重して特別条約を結ぶ」
といって前言を翻している。

要するに、実行しない約束をしておいて支那人を感激させ、
民族主義を煽り、ソ連への親近感を持たせるというやり方である。
2009/02/19 09:00|年表リンク用資料
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