正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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九ヵ国条約

1921年11月12日~1922年2月6日のワシントン会議で結ばれた条約。

日本の支那における特殊権益が否定されることになり、
山東省の旧ドイツ権益を放棄させられ、
「対華21ヶ条」の「希望条項」を撤回させられた。

「九ヶ国条約」は日本、アメリカ、イギリス、イタリア、オランダ、
ポルトガル、支那(中華民国)、ベルギーの九国間で結ばれたもので、
支那権益の保護を目的とした条約だった。

これは「支那の為のマグナ・カルタ」と呼ばれた。
その時まで国際会議の正式メンバーとして活躍することのなかった支那は、
大喜びして例のない大勢の代表団を乗り込ませた。

日本にとって問題なのは九ヵ国条約が、
それまでの日本とアメリカとの了解事項に矛盾する内容だったことだ。
石井・ランシング協定で、日本とアメリカは、
自国の近いところに対しては特別の権益を持つとお互いに決めていた。

日本は満洲・朝鮮、アメリカはフィリピンに、
それぞれ特別な利害関係を持ち、
それをお互い尊重するというものだったのに、
九ヵ国条約では支那に関してどの国も平等となってしまった。

そして、昭和に入ると、細かいもめごとが支那大陸で起こるたびに、
この九ヵ国条約が引き合いに出され、日本非難の根拠に使われてしまう。

アメリカというのは、人に約束をさせて、
それに違反すると約束違反だと騒ぎたてる。
この九ヵ国条約は東京裁判にまで持ち越される。
東京裁判において、日本が破ったとされる国際条約のリストが作られたが、
その中でもっとも重要なのがパリ不戦条約と
この支那に関する九ヵ国条約だった。

この九ヵ国条約は実に大事なもので、
その後の日米の争いの基本的な争点をつくりあげたものである。
ワシントン会議は日米の政治的決闘とさえいわれている。

これに関しては日本の説明が下手だった。
支那で革命(辛亥革命)が起こってからは、
満州は支那ではないことを主張しなかった。

支那は革命ではなく、
満州族の王朝に対する被征服民族の支那人の独立運動だったのに、
それを世界に説明しなかった。

さらに問題を大きくしたのがロシア革命だった。

日露戦争後、アメリカの動きに対して、
日本とロシアは協約を結んで対抗し、支那大陸は安定していた。

しかし、ロシア革命が起きたため日露協約が消滅、安定の基盤が失われた。
そして昭和になると日本がコミンテルンの標的とされ、
支那大陸はきわめて不安定になっていく。

この九ヵ国条約には期限がなかった。
期限がない条約には、事情変更の原則が当てはまる。
国際情勢が変化すれば、この条約に縛られなくなるということである。

この条約にはソ連が入っていなかった。
そのソ連が五ヵ年計画を重ねて、
極東にも大軍を配置するとなれば話は別になる。

また、「ボイコットその他の不法行為をせず、各国との条約を守る」
という約束を支那は無視した。

また条約に反して支那は軍事力の拡大に走った。
このようにして条約締結時の事情は激変した。

そして満州事変が始まり、支那事変が始まれば、
日本がこの条約に縛られているわけにはいかないのは当然だった。

いずれにしろ裁こうと思えばいくらでも裁かれうる根拠がある国は、
実は連合国のほうなのだ。

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以下、Wikipedia「九カ国条約」より抜粋
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E3%82%AB%E5%9B%BD%E6%9D%A1%E7%B4%84
九カ国条約の根本的誤謬は、
中華民国の国境を明確に定めないで、その領土保全を認め・・・
フランス代表のアリスティード・ブリアンは
「シナとは何ぞや」という質問を発したが、
張作霖は東三省限りの代表をワシントンに派遣しており、
どの範囲までが中華民国の領域なのかが最後まで示されなかった。
満洲が中華民国に含まれるかどうかも疑問のまま放置された。
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「九ヵ国条約」の要点は、
「支那権益に関して、どの国も平等である」ということですが、
そもそも満州が支那なのかどうか不明瞭でしたから、
満州が九ヵ国条約の適用範囲なのかどうかさえ曖昧でした。

また、そもそも満州事変は
支那側から武力攻撃を仕掛けてきて始まったものです。

日本の満州権益は1904年2月8日~1905年9月5日の
日露戦争の戦後処理条約
『ポーツマス条約(1905年9月5日)』

『満州善後条約(1905年12月22日)』
によって得られた正当なものでした。

1931年(昭和6年)9月18日、
奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖付近で、
敵兵が南満州鉄道の線路を爆破(柳条湖事件)。

現場に駆けつけた日本の鉄道守備隊(関東軍)に
対しても敵兵は攻撃を仕掛けて逃げました。
日本の鉄道守備隊は軌条に沿って追いかけ、
敵兵は張学良の本拠地である北大営に逃げ込みました。
その北大営からも日本の鉄道守備隊に銃撃してきたので、
関東軍が本格的に報復軍事行動を起こして
満州事変が勃発しました。
攻撃されて反撃するのは国際慣習法上の自衛行為です。

このように柳条湖事件は
「犯人は支那軍」というのが本来の通説であり、
日本(関東軍)犯行説が出たのは大東亜戦争後です。
関東軍指導者が殆ど逝去された後に、
本当かどうか検証のしようがない「証言」のみが出て、
なぜか通説になってしまっている状態です。
物的証拠も状況的証拠も確たるものはなく、
主犯とされる石原莞爾も一貫して否定しています。
1931年9月15日、奉天総領事の林久治郎が「推察」として
「関東軍が近く軍事行動を起こす」旨の
機密電報を幣原外相に送ったことにより、
それを抑えるためとして建川美次少将が満州・奉天に
派遣されますが、「推察」の根拠が検証されなければ
証拠にも論拠にもならず、
派遣されたこと自体は何の根拠にもなりません。

鉄道爆破・守備兵襲撃などされたら
応戦膺懲するのは当然の事であり、
鉄道破壊犯討伐という鉄道守備の行動でした。

満洲事変は1933年5月31日の
『塘沽(タンクー)停戦協定』で終結しました。

4年後の1937年になって
満洲事変を理由に盧溝橋事件や第二次上海事変など、
まったく別の場所で
武力攻撃を仕掛けてくることは不法です。

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『アメリカの鏡・日本』 ヘレン・ミアーズ著 P280-1

中国からみれば、九ヵ国条約は中国の主権を保障するどころか、
否定するものだった。
何よりも先ず、中国における西欧列強の特権的地位を
「固定化」し「合法化」するための合意である。
これらの条約は、中国にとって、屈辱的であるばかりでなく、
恒常的な不安定要因であった。
中国は何年にも亙って、不平等条約を解消しようとしてきた。
条約に抵抗して1925年、イギリス排斥運動を起こした。
1927年、中国革命軍は九江と漢口のイギリス租借地を武力で奪取した。
1928年、蒋介石は列強が行動を起こさなければ、
1931年までに自分の責任に於いて、条約を破棄すると通告した。

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ジョン・アントワープ・マクマリー:国際法の専門家。
ワシントン会議では米国代表団の主要メンバー。

『平和はいかに失われたか』 ジョン・アントワープ・マクマリー原著
(原書房、アーサー・ウォルドロン編、北岡伸一監訳、衣川宏訳)P6~7

米国の大部分の人々はそのころ、
日本がアジアを戦争に巻き込むドラマの悪役であると信じていたが、
マクマリーはこの考えに賛成ではなかった。
日本の1930年代の新しい強引な政策は、
一方的な侵略とか軍国主義のウィルスに冒された結果などではなく、
それに先立つ時期のアメリカを含む諸国の行為が
もたらしたものだと熱心に説いたのである。

ワシントン会議は、
確かにアジアでの国際協力を達成することのできる枠組みを決定した。

しかし1920年代において、日本がワシントン条約の条文と精神を
厳密に守ろうとしているのに、この合意のもう一方の当事者、
特に中国と米国が条約諸規定の実施を繰り返し阻害したり、
拒否する事実のあったことを彼は指摘した。

このように米国に教唆された中国は、
自らの国際的地位を保証してきた法的な枠組みを一貫して軽視し、
それによって日本の激しい怒りを招く結果となった。

日本にワシントン条約を遵守させるのはなかなか難しかったのだから、
日本の態度は評価されるべきだったとマクマリーは主張した。

しかしそうした評価が得られず、日本が自発的に参加した国際システムの
全体が崩壊して自国の利害を脅かされると感じたとき、
日本は「東アジアにおける正当な地位を保障するための強力な軍備」
に頼るようになっていったとマクマリーは考えたのである。

1930年代の中頃、マクマリーは事態が重大化したと考え、
もし米国が日本の苦情を認めないで中国への肩入ればかりを続けるならば、
結果的には間違いなく「日本との戦争」になってしまうと予言したが、
彼の外交官仲間たちの多くはこの意見に賛成しなかった。
日米戦争が勃発したのはこれが書かれた6年後である、
マクマリーは、まさに先見の明があったというべきであろう。

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『平和はいかに失われたか』 ジョン・アントワープ・マクマリー原著
アーサー・ウォルドロン編 P181~182

そして中国に好意をもつ外交官達は、
中国が、外国に対する敵対と裏切りを続けるなら、
遅かれ早かれ一、二の国が我慢しきれなくなって
手痛いしっぺ返しをしてくるだろうと説き聞かせていた。
中国に忠告する人は、確かに日本を名指ししたわけではない。
しかしそうはいってもみな内心では思っていた。
中国のそうしたふるまいによって、
少なくとも相対的に最も被害と脅威を受けるのは、
日本の利益であり、最も爆発しやすいのが日本人の気性であった。

しかしこのような友好的な要請や警告に、
中国はほどんど反応を示さなかった。
返ってくる反応は、列強の帝国主義的圧迫からの解放を
勝ちとらなければならないという答えだけだった。
それは中国人の抱く傲慢なプライドと、
現実の事態の理解を妨げている政治的未熟さのあらわれであった。

このような態度に対する報いは、それを予言していた人々の想像より、
ずっと早く、また劇的な形でやってきた。
国民党の中国は、その力をくじかれ、分割されて結局は何らかの形で
日本に従属する運命となったように見える。
破局をうまく避けたかもしれない、あるいは破局の厳しさを
いくらかでも緩和したかもしれない国際協調の政策は、
もはや存在していなかった。

協調政策は親しい友人たちに裏切られた。
中国人に軽蔑してはねつけられ、イギリス人と我々アメリカ人に無視された。
それは結局、東アジアでの正当な地位を守るには自らの武力に
頼るしかないと考えるに至った日本によって、
非難と軽蔑の対象となってしまったのである。

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『共同研究 パル判決書(下)』 東京裁判研究会編
(講談社、昭和59年2月、第一刷)より

その後、蒋介石政府官憲は、関税、郵便、電信、
および鉄道に関して、満州国と取極めを結んだ。
1935年6月に蒋介石は日本を対象として敦睦邦交令を公布した。
岡田内閣の外相広田氏は中国と交渉して、
満州ならびに華北における「現状」の承認をふくむ「広田三原則」を公表し、
またこの原則にもとづいて細目を論議することについて
中国政府の同意をえた。

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中国に関する九カ国条約

第一条
支那国以外の締約国は左の通り約定す

(1)支那の主権、独立並びにその領土的及び行政的保全を尊重すること

(2)支那が自ら有力かつ安固なる政府を確立維持する為、
最も完全にしてかつ最も障碍なき機会をこれに供与すること

(3)支那の領土を通じて一切の国民の商業及び工業に対する
機会均等主義を有効に樹立維持する為、各々尽力すること

(4)友好国の臣民又は人民の権利を滅殺すべき特別の権利
又は特権を求むる為、支那における情勢を利用することを、
及び右友好国の安寧に害ある行動を是認することを差し控ふること

第二条
締約国は、第一条に記載する原則に違背し
又はこれを害すべき如何なる条約、協定、取極又は了解をも、
相互の間に又は各々別に若しくは協同して一国
又は数国との間に締結せざるべきことを約定す

第三条
一切の国民の商業及び工業に対し、支那に於ける門戸開放又は機会均等
の主義を一層有効に適用するの目的を以て、支那国以外の締約国は、
左を要求せざるべく又各自国民の左を要求することを
支持せざるべきことを約定す

(a) 支那の何れかの特定地域に於て商業上又は経済上の発展に関し、
自己の利益の為、一般的優越権利を設定するに至ることあるべき取極

(b) 支那に於て適法なる商業若しくは工業を営むの権利
又は公共企業をその種類の如何を問はず支那国政府
若しくは地方官憲と共同経営するの権利を他国の国民より奪うが如き独占権
又は優先権或いはその範囲、期間又は地理的限界の関係上機会均等主義の
実際的適用を無効に帰せしむるものと認めらるるが如き独占権又は優先権

本条の前記想定は、特定の商業上、工業上、
若しくは金融業上の企業の経営又は発明及び研究の奨励に
必要なるべき財産又は権利の取得を禁ずるものと解釈すべからざるものとす

支那国は、本条約の当事国たると否とを問はず、
一切の外国の政府及び国民よりの経済上の権利及び特権に関する出願を
処理するに付き、本条の前記規定に記載する主義に遵由すべきことを約す

第四条
締約国は、各自国民相互間の協定にして支那領土の特定地方に於て
勢力範囲を創設せむとし又は相互間の独占的機会を享有することを
定めむとするものを支持せざることを約定す

第五条
支那国は、支那に於ける全鉄道を通じ如何なる種類の
不公平なる差別をも行ひ又は許容せざるべきことを約定す

殊に、旅客の国籍、その出発国若しくは到達国、
貨物の原産地若しくは所有者、その積み出し国若しくは仕向国、
又は前記の旅客若しくは貨物が、
支那鉄道により輸送される前若しくは後に於て、
これを運搬する船舶その他の輸送機関の国籍若しくは所有者の如何により
料金又は便宜に付き直接間接に何等の差別を設けざるべし

支那国以外の締約国は、前記鉄道中自国又は自国民が特許条件、
特殊協定その他に基づき管理を為し得る地位に在るものに関し、
前項と同趣旨の義務を負担すべし

第六条
支那国以外の締約国は、支那国の参加せざる戦争に於て
支那国の中立国としての権利を完全に尊重することを約定し、
支那国は中立国たる場合に中立の義務を遵守することを声明す

第七条
締約国は、その何れかの一国が本条約の規定の適用問題を包含し
かつ右適用問題の討議を為すを望ましいと認むる事態発生したるときは、
何時にても関係締約国間に十分にして
かつ隔意なき交渉を為すべきことを約定す

第八条
本条約に署名せざる諸国にして、署名国の承認したる政府を有し
かつ支那国と条約関係を有するものは、
本条約に加入すべきことを招聘せらるべし

右目的の為、合衆国政府は、非署名国に必要なる通牒を為し
かつその受領したる回答を締約国に通告すべし

別国の加盟は合衆国政府がその通告を受領したる時より効力を生ずべし

第九条
本条約は、締約国により各自の憲法上の手続きに従い批准せらるべく
かつ批准書全部の寄託の日より実施せらるべし。
右の寄託は、成るべく速やかにワシントンに於てこれを行ふべし

合衆国政府は、批准書寄託の調書の認証謄本を他の締約国に送付すべし

本条約は、フランス語及びイギリス語の本文を以て正本とし、
合衆国政府の記録に寄託保存せらるべく、
その認証謄本は同政府より他の各締約国にこれを送付すべし

右証拠として前記各全権委員は本条約に署名す

1922年2月6日ワシントン市に於てこれを作成す
2009/02/18 09:00|年表リンク用資料
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