●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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◆1927年2月、武漢政府樹立。◆1927年4月、上海クーデター。
◆1927年2月、武漢政府樹立。 北伐が成功している中、 司令官の蒋介石は武昌、漢口、漢陽という武漢三鎮を陥落させ、 さらに何昌に軍を進めた。 しかし、国民革命軍内の共産党と国民党左派はこれに従わず、 1927年(昭和2年)2月、武漢に国民党政府を移転させて武漢政府を樹立した。 代表はソ連(コミンテルン)が送り込んだボロジンである。 武漢政府は左派ではあるが国民党との合同だったので、 まったくの共産党政権ではなかったが、 それに近い政府が支那に始めて誕生した。 ソ連は喜び、それ以降、 より積極的に支那の赤化(共産化)工作を行なうようになる。 武漢政府が樹立された翌月の1927年3月、 武漢政府は蒋介石から国民革命軍総司令の座を取り上げた。 これは支那の赤化工作の一環だったと思われる。 しかし、蒋介石は司令官の肩書はなくなっても 軍を保持したまま北伐を続行、上海や南京を占領する。 こののち、共産党に与しない蒋介石一派は 南京を拠点に武漢政府との対立を強めていく。 以上のような経緯で支那の国民政府は二分され、 互いに抗争を始めたわけだが、 この間、国民革命軍による排外的な暴力事件が生じている。 1927年(昭和2年)3月24日の南京事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-107.html 1927年(昭和2年)4月3日、漢口事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-108.html ソ連(コミンテルン)は喜び、国民党右派と徹底的に戦うよう指示した。 これに対して蒋介石は1927年(昭和2年)7月に 上海クーデターを実行し、南京政府を樹立する。 ◆1927年4月、上海クーデター 1927年(昭和2年)3月24日の南京事件から間もない1927年(昭和2年)4月6日、 北京の支配者・張作霖はソ連大使館を捜索、 潜伏していた支那共産党員多数を逮捕、 共産革命工作の秘密指令などの証拠書類を押収し、共産党員20名を処刑した。 これによって南京事件が スターリンの世界赤化政策によって発生したことが明らかになった。 そして上海でもボロジンの指導で赤い「市民政府」が組織され、 共産党による恐怖政治が進行していた。 ここにおいて蒋介石は反共意思を固め、 4月12日、上海において共産党勢力の大粛清(共産党員の処刑)を断行した。 そして1927年4月、直ちに南京政府を樹立した。 これで国民党は左右に分裂し、 共産党・国民党左派の「武漢政府」と反共の「南京政府」が対立し、 張作霖の「北京政府」をあわせると、 支那にはメジャーな三つの政府が並立することになった。 |
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