●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1926年(大正15年)7月、蒋介石が第一次北伐を開始
孫文の急死と共に国共合作の矛盾は表明化し、 その中で台頭したのが蒋介石だった。 彼は支那統一のため北伐を主張した。 辛亥革命で清朝が滅んだ後にも支那の北には 清朝の残党ともいうべき軍閥がうじゃうじゃおり、 蒋介石はこれを征伐して支那統一を考えたのだ 蒋介石は国民党の実権を握り、 国民革命軍は1926年(大正15年)7月、広東を出発して北伐を開始した。 汪兆銘はその前に支那を離れ、フランスへ出ている。 蒋介石と汪兆銘の一生にわたる争いはこのあたりから始まる。 この北伐軍(国民革命軍)は強かった。 何よりものをいったのは、ソ連の莫大な資金援助だった。 一回分の送金額が 北京の軍閥政権が持っていた軍事予算の数倍だったといわれている。 これでは各地の軍閥もどうにもならない。 国民革命軍は、1年も経たないうちに 日本人ビジネスマンが数多く居留する揚子江流域を制圧していく。 こうして1927年、国民革命軍は、急速にいくつもの軍閥軍を蹴散らして 2月に漢口(今の武漢)、3月に南京に達する。 ただし、その間、内部に亀裂が生じ、 支那共産党を中心とする「国共合作軍(共産党と国民党左派)」は 先に武漢入りしてボロジンを代表に武漢政府を樹立した。 国共合作によって国民党に入り込んだ共産主義者は、 北伐軍(国民革命軍)に従軍し、行く先々で勢力の扶植を行なっていた。 これに対して蒋介石が共産党の排除に動き出した。 ソ連や支那共産党のめざましい進出に警戒心を抱いた蒋介石は、 1927年4月に、上海で反共クーデーター(上海クーデター)を起こし、 左派の武漢政権に対抗して南京に右派の国民政府(南京政府)を樹立し 武漢政府を否認し、改めて共産党討伐を宣言した。 国民政府は二分され抗争を始めるが、その間、国民革命軍による 排外的な暴力事件(南京事件や漢口事件など)が生じている。 蒋介石の南京政府は揚子江沿岸の商業を押さえていたから、 1927年にはイギリスも日本も南京政府を承認した。 北伐は一応の支那全土統一がなる昭和3年(1928)まで続いた。 ◆北伐時の支那(中華民国)の状態 満州から北京にかけては張作霖が陣取っていた。 揚子江上流は直隷派の呉佩孚(ごはいふ)が押さえていた。 揚子江下流は直隷派の孫伝芳(そん でんほう)が仕切っていた。 張作霖に北京を追われた馮玉祥(ひょうぎょくしょう)は、 西安の奥、支那北西部に拠点を移していた。 山西省は閻錫山(えんしゃくざん)が支配していた。 このほか、毛沢東らの共産軍、蒋介石の国民党軍など、 支那大陸は大小の軍閥が入り乱れ、支離滅裂の状態だった。 「中華民国」という「国家」があったなどと考えるのは大間違いなのである。 一国として統一などまるでなく、国家の体などなしていなかった。 しかも、これら軍閥の背後には、 日本、イギリス、フランス、アメリカ、ソ連までもがうごめいていた。 この時代にはいくつもの政府が乱立していたのだ。 そして、どの政府も「われわれこそは支那全土を代表する」といいながら、 実際にはどの政府も外国に対して いかなる政治的責任も負うことができなかった。 したがって、この時代、いかなる国も支那と交渉するとき、 いったい誰を、どの軍閥を外交相手にしたらいいのか、 さっぱりわからないという状態だったのだ。 |
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