正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1927年11月5日、田中・蒋会談

1927年(昭和2年)8月に国民党政権統一の条件として
下野(国民革命軍総司令を辞職)した蒋介石は、9月末に来日した。
そして11月5日、田中義一首相を訪問し、森恪も交えて約2時間会談した。

この会談では大体、次のような2点を中心に話し合われ、
双方で円満な了解が成立した。

1.共産党と分離し、ソ連と断った後の国民革命の成功、
支那の統一を日本が認める。

2.満州に対する日本の特殊地位と権益を認める。

蒋介石も記者会見でこう述べている。
「両国民は一致して東亜の平和に努力するため、
まず支那国民革命の完成を図り、真正なる両国歓喜の基礎を立てねばならぬ。
かくしてここに同文同種、共存共栄の持論は始めて実現しうるのである」

日本にしてみれば、もしこの通りに進んでいれば、
張作霖爆殺事件も満州事変も支那事変も要らなかった。

日本が恐れたのはとにかく、
共産革命が起こって皇室廃止という事態に立ちいたることだった。
そこで田中首相も森恪も蒋介石に
「とにかく共産党と分離してくれればあなたを助ける」といったのだ。

会談では、驚くべきことに、蒋介石は、
「ソ連は支那に干渉しているのだから、日本も干渉援助して欲しい」
と語った。

帰国した蒋介石は国民革命軍総司令に返り咲き、第二次北伐を開始する。
2009/02/08 09:00|年表リンク用資料
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