●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1927年11月5日、田中・蒋会談
1927年(昭和2年)8月に国民党政権統一の条件として 下野(国民革命軍総司令を辞職)した蒋介石は、9月末に来日した。 そして11月5日、田中義一首相を訪問し、森恪も交えて約2時間会談した。 この会談では大体、次のような2点を中心に話し合われ、 双方で円満な了解が成立した。 1.共産党と分離し、ソ連と断った後の国民革命の成功、 支那の統一を日本が認める。 2.満州に対する日本の特殊地位と権益を認める。 蒋介石も記者会見でこう述べている。 「両国民は一致して東亜の平和に努力するため、 まず支那国民革命の完成を図り、真正なる両国歓喜の基礎を立てねばならぬ。 かくしてここに同文同種、共存共栄の持論は始めて実現しうるのである」 日本にしてみれば、もしこの通りに進んでいれば、 張作霖爆殺事件も満州事変も支那事変も要らなかった。 日本が恐れたのはとにかく、 共産革命が起こって皇室廃止という事態に立ちいたることだった。 そこで田中首相も森恪も蒋介石に 「とにかく共産党と分離してくれればあなたを助ける」といったのだ。 会談では、驚くべきことに、蒋介石は、 「ソ連は支那に干渉しているのだから、日本も干渉援助して欲しい」 と語った。 帰国した蒋介石は国民革命軍総司令に返り咲き、第二次北伐を開始する。 |
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