●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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他サイトの内容を100%支持している わけではありません。完全に意見が 一致する人など存在していません。 ならば、なぜリンク紹介しているの かというと、大東亜戦争後、日本国 内が、あまりにも、いわゆる左巻き の論調に偏ってしまっているので、 全体的に見ると少数ながら存在して いる保守側の意見を、いろいろな 角度から知ってほしいからです。 ブログ記事の右下の日付について
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1925年5月5日、『普通選挙法・改正』公布。
1924年(大正13年)に加藤高明を首相とする護憲三派内閣が成立すると、 加藤は「普通選挙法」を成立させた。 これによって納税額に関わらず、 25歳以上の男子全員に衆議院議員の選挙権が与えられた。 このとき女性には選挙権が与えられていない。 徴兵制のある国では、 兵役の義務を負っている男子にまず選挙権が付与され、 女性に対する選挙権付与は遅れるのが普通だからである。 徴兵制が敷かれているスイスなどで、 女性の選挙権が認められたのはなんと1971年である。 日本で女子に選挙権が与えられたのは 1945年(昭和20年)年だからスイスは四半世紀も遅れている。 徴兵制が敷かれていた国としては、日本は一番進んだ民主主義国だった。 外国から催促もされずに自発的にそこまで進んでいたのだ。 しかし、戦後の自虐・反日史観では こういった日本の良い点についてまったく触れようとしない。 1928年(昭和3年)、第1回の普通選挙が行なわれ、政友会が第一党となった。 |
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