●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1928年12月29日、満州易幟(えきし)
張作霖爆殺後は、 息子の張学良が亡くなった父親に代わり満州を支配するようになった。 父を殺したと思った日本を恨み、 満州に権益を持つ日本と何の交渉もせずに蒋介石の国民党と手を組んだ。 張学良は突如、満州が支那(国民党)の一部であることを宣言するために 青天白日旗(当時の国民党政府[つまり支那]の国旗)を掲げた。 (これを「易幟(えきし)」という)。 これはつまり「満州は支那(中華民国)の一部だ」と宣言したことになる。 張学良は、12月29日、その旗を満州の主要都市に一斉に掲げさせた。 日本の意表をつく華々しいパフォーマンスだった。 これは日本と戦うと宣言したに等しい行為である。 この後、国民党の勢力が満州に入ってきて排日運動が激化し、 日本は多大な被害をこうむることになる。 北伐完了の余勢をかって国民党は 満洲権益を奪取しようとして排日政策を激化させた。 もともと満州は万里の長城の外で、支那ではなかったのだが、 満州が経済発展すると国民党は「満州を返せ」と言い始めたのである。 それまでの日本は満州と支那を切り離しておこうという考えだった。 そうすれば満州における日本の権益は守れる。 ところが張学良が青天白日旗(支那の国旗)を掲げたので、 そんなことは許しておけないということになり、 それがやがて満州事変につながっていく。 |
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