正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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1845年、リメンバーアラモの砦

1836年、アメリカは当時まだメキシコ領だったテキサスのサンアントニオに、
独立運動の象徴アラモの砦を築かせた。

これはメキシコ軍が襲ってくるのを見越した上のことだった。

案の定、1845年、籠城した200人の人々は
メキシコ軍の攻撃を受けて全滅してしまった。

アメリカはこの事件を「リメンバー・アラモの砦」という合言葉で、
国民の戦意を鼓舞し、戦争を正当化して侵略戦争を起こした。

このメキシコとの戦争での勝利で、
アメリカはテキサス、ニューメキシコ、カリフォルニアなど、
当時のメキシコ領の半分に当たる広大な領土を奪った。

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これに味をしめたアメリカは、
1898年、同じ手口でスペインと先端を開く。
そのときの合言葉は「リメンバー・メーン号」である。

●1898年、米西戦争「リメンバー・メーン号事件」

アメリカはスペイン領キューバで起こった独立運動に乗じて
戦艦「メーン号」をハバナ港に送り、
何者かによって爆発させ260名の犠牲者を出した。

アメリカはこれをスペインの陰謀だと宣伝。
国民の敵愾心を高揚させ、宣戦布告し、
スペインと戦争を起こした(米西戦争)。

戦争の結果はアメリカが勝利し、
パリ条約によりスペインはキューバを放棄、
プエルトリコ、グァム、ミッドウェー、ウェーク、フィリピンを
アメリカに割譲させられた。

アメリカはフィリピンに対して、
スペイン撃退後に独立を約束していたのだが、
それを反故にしてフィリピンを侵略し併合してしまう。

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このアメリカの常套手段は日本の真珠湾攻撃時の
「リーメンバー・パールハーバー」と続く。

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●1945年、「リーメンバー・パールハーバー」

ルーズベルトの対日戦略挑発の罠だった。

日本が真珠湾攻撃する前に、
2隻の空母と新鋭艦19隻を外海に移動させ、
老朽艦16隻を残して日本軍の先制攻撃を誘導し、
2400名のアメリカ兵を平気で犠牲にした。

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湾岸戦争、イラク戦争も同じトリックが隠されている可能性がある。
アメリカ公文書館のアーカイブスがすべてを発表すれば明らかになる。

●1990年、湾岸戦争

平成2年(1990)8月にイラクがクウェートに侵攻したのに対し、
アメリカを中心とする多国籍軍を派遣した戦争。

当時、アメリカの駐イラク大使がイラクのフセイン大統領に
「クウェートに侵攻しても見逃す」といってイラクを安心させていた。

そしてイラクが実際に侵攻すると、
アメリカは手のひらを返して「侵略だ」と世界中に宣伝、

すでに待機してた55万の軍隊をアラビア半島に進攻させた。

日本はアメリカの要求で130億ドルを支出したが、
兵士を送らなかったということで感謝されず。

アメリカの収支は黒字だったと英国の専門家は結論付けた。

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「リメンバー・・・」
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2010/03/14 06:00|年表リンク用資料
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