正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1928年(昭和3年)、蒋介石、アメリカで反日宣伝工作。

蒋介石は、まず上海・浙江財閥の娘、宋美齢(そうびれい)と結婚した。
宋美齢は9歳からアメリカに留学した英語ペラペラのプロテスタント信者。

蒋介石は宋美齢をアメリカに派遣して、
各地で、ありもしない日本の「悪行」を涙ながらに訴えさせ続けた。
自分自身は、1928年にアメリカ人牧師からキリスト教の洗礼を受けた。

蒋介石は「異教徒の日本人と戦う敬虔なクリスチャン指導者」
というイメージを作り上げ、アメリカの信者を味方につけることに成功した。

アメリカの著名人・マスコミ・政治家は
すっかりこの夫婦に騙されてしまった。

ワシントンポストは、
「もし一般のアメリカ人が一般の支那人と同じように自由を愛し、
そのために戦い危険をおかし、働き犠牲をいとわないなら
将来のことを気遣う必要はない」
などと褒めちぎった。

アメリカ政府・戦略事務局の報告書には
「支那は世界で最も頑強な民主主義の一つ」とあった。

大東亜戦争後、イギリスで蒋介石が
「腐敗した少数の政治家達に囲まれた支那の内外にわたる
きわめて巧妙な宣伝に支えられたファシストの頭目」
と評されるようになってもアメリカは騙され続けた。

イギリス外務省極東部長がアメリカを訪れた際、
「現実の支那についての限りない無知」に驚愕した。
2009/01/29 09:00|年表リンク用資料
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