正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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中国の便衣兵、督戦隊(とくせんたい)、清野戦術

上海・南京戦で日本軍が最も悩まされたのは支那独特の便衣兵である。

彼らは、戦い不利と見るや軍服を平服(便衣)に着替えて一般市民を装い、
武器を隠し持って市中に潜伏し、すきを見て日本軍を攻撃するのである。

このような卑劣な戦闘方法を事とする便衣兵は、
当然のことながら交戦法規から見ると
交戦者としての資格を有してはいないのである。

便衣兵は交戦者の資格なくして害敵行為を行うのであるから、
明らかに交戦法規違反である。

戦時国際法によれば、かくのごとき便衣隊に対して、
現行犯罪の場合は正当防衛として直ちにこれを殺害し、
または捕えて戦時重罪犯に問うても差し支えなし、としている。

日本軍が安全区に潜伏する便衣兵を狩り出して処刑したとしても、
戦時国際法から見て正当な行為なのであるが、
支那側は軍服を脱げば兵士も市民であるという恐るべき欺瞞の言を弄して、
これを”無辜の市民”の虐殺であると主張した。

軍服を脱いだ兵は兵にあらず。

子供騙しに等しいこのような詭弁の上に
「南京大虐殺」の神話がいつかしら作りあげられていった。

「便衣兵」以外のこの事変における支那軍の特徴的な戦いとしては、
「督戦隊(とくせんたい)」、「清野戦術」が挙げられる。

「督戦隊(とくせんたい)」とは、自軍部隊を後方から監視し、
命令無しに逃げてきたり、降伏をする自軍兵士を射殺する兵士たちである。

「清野戦術」とは、中国軍は敗走時に、
日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、
民家から食糧など奪える物を奪ったあと、できる限り全ての家屋を焼払う
「清野戦術」(=清野作戦、三光作戦、焦土作戦、燼滅(じんめつ)作戦)
を行なっていた。逆らう者は殺害された。

上海戦・南京戦で支那軍は、
この異常かつ非人道的な部隊を第一線の後方に配置したため、
退路を断たれた支那兵は命を捨てて頑強に抵抗せざるを得ず、
このため極めて悲惨な状況が展開した。

日本軍に追われ上海、南京、重慶へと逃げた支那軍は退却の際、
何もかも焼き払い、同胞も平気で犠牲にした。
そのため、退路周辺はたちまち荒廃に帰した。

日本軍は極力戦時国際法を遵守していたが、
支那軍はこれを正反対にして「日本軍が暴虐行為をしている」と
世界に向かって宣伝しまくった。
赤ん坊を廃墟に置いて撮ったヤラセ写真はあまりに有名である。

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中国軍の清野作戦(=三光作戦、焦土作戦、燼滅(じんめつ)掃討作戦)
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1938年(昭和13年)11月13日、長沙焚城(長沙大火)
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非道の中国軍から中国人を守った旧日本軍
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日本人の武士道精神
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2009/01/19 21:00|年表リンク用資料
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