正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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1938年(昭和13年)11月13日、長沙焚城(長沙大火)

1938年(昭和13年)11月13日、長沙に居る支那軍兵士は長沙警備司令部より、
日本軍からの攻略を受けた場合には城内を焼き払うよう命じられていたが、
長沙城南門外の傷兵病院での出火をその合図ののろしと誤解してしまった。

当時日本軍はまだ長沙から数百里の地点にいたのだが、
すぐに各処で放火が始まり、市民からの支那軍お決まりの略奪が開始された。

支那軍の放火によって城内は大火災が巻き起こり、
三昼夜の延焼で名城は廃墟となり、20万人以上の死者が出た。

蒋介石は、「もし長沙が陥落したら、必ず全城を焼き払え」と命じていた。
支那伝統の攻城作戦の一つ、「焚城の計」を計画したのである。

16日、蒋介石が視察に来たら、住民から激しい抗議を受け、
蒋介石は長沙警備司令官・警備団長・省警察局長の3人を
スケープゴートにして銃殺した。

支那軍隊による焚城は、
支那事変を通じて長沙以外でもよく使われた戦術である。
南昌や武漢でも行われている。

なお、日本軍は長沙を3回にわたって攻撃したが攻略に成功しなかった。
国民党はこれを”勝ち戦”と見なし、
蒋介石みずから指揮をとり日本軍の猛攻を退けた、と宣伝している。

中国軍の清野作戦(=三光作戦、焦土作戦、燼滅(じんめつ)掃討作戦)
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以下、『抗日戦回想録』郭沫若 自伝より
―――――――
「お前たちはいったい何をしているんだ?」

私は腹を決めて大声でたずねた。

「放火です、命令です」

その連中は異口同音に答えた。
「敵は城内に入ったのか?」
「とっくに汨羅に迫って来ています」

火の手はますます増える。
(略)
しかし火の手がどっと一斉にあがり、たちまちにして全市は大火に包まれた。
駅に通ずる道路は両側から火に挟まれトンネルになった。
(略)
車に乗ったまま絶えず良心の呵責を感じていた。
沿道の情景はまったく目をおおうものだった。
公路は避難人びとで埋まっている。

子供たちを連れているもの、家財道具をかついでいるもの、泣くもの、
叫ぶもの、罵るもの、ふとんをかぶったもの、老人を背負っているもの、
傷ついたもの、身ごもっているもの、兵士、難民、
みな入り混じってごったがえしている。
警笛はひっきりなしに鳴り、車は絶えまなくぶつかる。
狼狽の情景はまさに形容のすべもなかった。
(略)
大火はまさに燃えさかっていた。
長沙全域は火煙に包まれ、火煙の勢いは空を呑みつくさんばかりだった。
「どうやら、敵は長沙には入っていないらしいな」
周恩来が感慨深げにいった、
「もし敵が長沙に入っていたら、きっとぎりぎりまで追って来るだろう、
まったく何の動きも見せないはずがない。・・・」
(中略)
長沙に火をつけたのは、国民党が蒋介石の指図でやった大仕事だった。
彼らは一度派手な手柄をたてようと、
クトゥーゾフがモスクワを焼き払ったのをまねて
長沙焼き払いをしでかしたのだ。

しかし、残念ながら日本軍はこれを道化役にしてしまい、
ナポレオンを演じに登場してはくれなかった。
全市に焼け棒杭の山を残し、百余万戸の家を焼き、
そればかりいまだに総数もわからぬ傷病兵や年寄り、子供、病人などの
市民を焼死させた責任は、いったい誰が負うのだろうか?

行政上の処分は――18日に
警備指令艷悌、警備第二連隊長シュークン、公安局長文重孚の3人が銃殺された。
長沙の人びとは真相がわからなかったので、
省主席の張文白(張治中)を怨んだ。
(略)
しかし、あだはかたきに、借金は貸し主にというもので、
張文白を怨むのは見当ちがいである。
張文白その他の連中は蒋介石の命令を執行しただけなのだから。
私たちがのちに手に入れた確実な情報によれば、
張文白は12日午前9時、
長沙全域を焼き払えという、蒋介石の密電を受けとったのだ。

したがって、長沙の大火に関する責任は蒋介石が負うべきもので、
「3個の人頭」ですら本当のところは冤罪だった。

――――引用ここまで―――――――――――――

※「満州」と「支那」を区別するために「中国」表記はしていません。

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中国の便衣兵、督戦隊(とくせんたい)、清野戦術
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中国軍の清野作戦(=三光作戦、焦土作戦、燼滅(じんめつ)掃討作戦)
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非道の中国軍から中国人を守った旧日本軍
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