●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1937年(昭和12年)12月12日、パネー号事件
日本は南京攻略に先立って各国に対し、 揚子江に停泊中の艦船を上流の安全地帯へ退避させるよう勧告していた。 攻略当日の1937年(昭和12年)12月12日、 日本海軍航空隊は遁走する支那軍の船とおぼしき船団を爆撃したが、 実はこれはアメリカの砲艦パネー号と、 同艦に誘導されたアメリカスタンダード石油会社の二層のタンカーだった。 パネー号は沈没、他の三隻も沈没あるいは大破、 アメリカ人死者3人を出した。 日本はただちにアメリカに対し、これは誤認による事件であることを説明して 遺憾の意を表するとともに賠償の意思を伝えるなど誠意ある対応を 示したため、アメリカ側も納得し、事件はすぐに解決した。 日本の退避勧告を無視して日支両軍の激戦地区へ 船団を侵入させ事件を惹起した責任はすこぶる大きい。 パネー号がアメリカ艦船の標識を付けていたとしても、 支那軍に外国旗を遁走に利用する習癖のあることが、 日本軍に米国旗への不信の念を抱かせた。 不利な時には外国旗の下に逃げ込む支那軍の戦争歩法には、 国際法的にも重大な責任があるだろう。 パネー号が護送してた米国タンカーは 支那空軍基地へ送るためのガソリンを積載していたといわれる。 事実上の戦場において交戦国の一方の軍需品を 堂々と輸送する神経は異常である。 アメリカがこれを門戸開放主義に基づく 正当な権利であると主張するのであれば、 それは日支交戦という現実を 故意に無視する常軌を逸脱した行動と言わねばならない。 パネー号事件に続いて南京が陥落するとアメリカの危機感はさらに深まり、 アメリカ国内に極東政策再検討の声が高まった。 パネー号事件後の世論調査では、 アメリカ国民の70パーセントが在支那アメリカ人と アメリカ軍の引揚を求めており、識者の中には、 19世紀以来、アメリカ極東政策の柱となってきた 門戸開放政策すら放棄すべしとの論さえ現れた。 昭和12年から13年当時、アメリカの在支那権益を守るために対日戦争に 訴えることを是認する世論はアメリカ国内にはほとんど存在しなかった。 |
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