正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1938年、反日世論形成

アメリカは支那事変が門戸開放主義に違反すると日本を非難しながら、
実はアメリカの対支那貿易は事変にもかかわらず増え続け、
また一方、日本は満州事変以来、
アメリカにとってはイギリス、カナダに次ぐ貿易上の顧客なのだった。

それゆえ、通商上からは支那事変は
決して日米開戦の十分な理由にはなり得なかった。

アメリカ商工業界が禁輸などの
強硬な対日経済圧迫に消極的だったのは当然だった。

アメリカの反日世論形成に努力したのは
支那で布教するプロテスタント宣教師とその関係団体だった。
彼らの支那びいきと日本非難が対日経済制裁を引き出す世論環境を用意した。

さらに1940年(昭和15年)7月から陸軍長官となるヘンリー・スチムソン
(満州事変でスティムソン・ドクトリンを唱えたあの国務長官)
が対日製剤報復を主張する有力な圧力団体の長であったことは
両国の不幸な前途を予兆するものであった。
2009/01/14 21:00|年表リンク用資料
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