●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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すばらしい日本
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1937年(昭和12年)11月、重慶政府樹立
南京攻略前に南京から逃げ出した蒋介石は、 最初は漢口、そして重慶に首都を定め、そこに逃げ込んだ。 重慶は山奥の都市で機関銃や大砲を作る工場もない。 日本軍に商工業の拠点すべてを占領され、奥地の重慶に撤退した蒋介石は、 普通なら武器弾薬の調達ができず、講和に望む以外なかった。 また、本来ならば汪兆銘の南京政府に対抗し続けるわけがない。 1940年(昭和15年)3月30日、汪兆銘、南京政府を樹立 しかしながら、この蒋介石の重慶政府に アメリカ、イギリス、ソ連(フランスもドイツに降伏するまで) が莫大な援助を行い続けた。 巨額な借款が供与され、援蒋ルートと呼ばれる道路や鉄道が開かれ、 重慶には膨大な兵器弾薬が運び込まれていた。 ソ連は陸続きで共産ゲリラを助け、飛行機も送り込んだ。 イギリスはインド・ビルマルートを通じて援助した。 アメリカは空軍部隊まで送り込んだ。 いずれも中立国にあるまじき行為だった。 特にアメリカの援助が崩壊寸前の蒋介石に抗戦を続けさせ、 日本軍を泥沼に引きずり込んだ。 日本のインドシナ進駐も、 この蒋援ルート(蒋介石の援助ルート)を止めるためであった。 海南島の占領も同じ目的であった。 1940年・昭和15年9月23日、北部仏印進駐 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-136.html http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-132.html |
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