●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1940年10月18日、ビルマ・ルート再開
ビルマ・ルートとは援蒋ルートのひとつ。 支那事変中、支那沿岸が日本軍によって封鎖されると ビルマ・ルートは軍需物資補給路として注目され、 支那政府は1939年(昭和14年)に道路を完成させ、 援蒋ルートとして利用された。 しかし、ヨーロッパの戦局が急変し、 イギリスが危機に陥った1940年(昭和15年)6月、 日本はビルマ・ルートによる援蒋武器輸送の停止をイギリスに求め、 折衝の末、イギリスはこれに同意し、 7月17日、ビルマ・ルート三か月停止のための協定が日英間に結ばれた。 イギリスのこの決定に不満なアメリカの国務長官・コーデル・ハルは、 ビルマ・ルート閉鎖は世界貿易に対する不当な妨害であり、 アメリカは独自の政策を遂行するとの所見を述べた。 中立義務違反に等しい援蒋行為さえもが、 通商の自由であるとのハルの臆面もなき主張には辟易するが、 門戸開放主義の悪用も極まった感がある。 一方、日本に譲歩したイギリスも、 日本の北部仏印進駐と日独伊三国同盟を理由として、 ビルマ・ルート一時閉鎖の協定を更新することを拒否し、 10月18日より公然とビルマ・ルートによる援蒋を再開したのであった。 |
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