正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1940年(昭和15年)11月30日、日華基本条約否認声明

日華基本条約によって日本が汪政権を承認するや、
アメリカの国務長官・コーデル・ハルはまたしても即日、
日華基本条約否認を声明し、
また同日、大統領のフランクリン・ルーズベルトは
蒋介石の要望に応じて対支1億ドルの借款供与を発表した。

アメリカはこの借款の代償として支那の錫などの
軍需金属を得るはずと発表したが、秦の目的が、
日本の南京国民政府(汪政権)承認に対する
反対の意思表示にあることは明白だった。

対支援助は軍事面にも及んだ。
50機の追撃機が直ちに重慶側に引き渡されることになり、
さらにできるだけ多くの追撃機の追加供与が約束された。
飛行士または飛行教官として支那に渡航を
希望するアメリカ市民に対しては旅券が発行されることにもなった。
2010/05/04 12:11|年表リンク用資料
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