●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1941年(昭和16年)12月8日、あえて言う! 「東南アジア解放へ」
1941年(昭和16年)12月8日、真珠湾攻撃の少し前、 日本軍はマレー半島北端に上陸、イギリス軍を撃破した。 12月のうちにグアム島を占領、マレー沖開戦でもイギリスが誇る プリンスオブウェールズとレパルスを撃沈、イギリス東洋艦隊を撃滅する。 つづいて、フィリピンのルソン島に上陸、 香港を占領し、イギリス軍を降伏させた。 翌1942年(昭和17年)1月、アメリカ統治下フィリピンのマニラと、 ニューブリテン島ラバウルを占領、 2月にはオランダ領アンボン島とシンガポールを占領、 イギリス軍は降伏する。 3月、オランダ領ジャワと、ビルマのラングーンを占拠、 米フィリピン軍の司令官・マッカーサーがコレヒドール島から敗走し、 4月には、米フィリピン軍が降伏する。 そして、5月、ソロモン諸島のツラギを占領する。 このように、日本軍は驚くべき強さで連合国の植民地を次々と落としていき、 長い間白人の過酷な植民地支配をしていた地域を次々と開放した。 数百年にわたる西洋植民地体制が日本軍の一撃でもろくも崩壊した。 アジア諸民族からすれば、 神にも近い位置に君臨していた白人がついに負けたのである。 シンガポールが陥落したとき、イギリスに亡命していたド・ゴールも、 アジアの白人帝国、西洋植民地体制が終焉したと日記に書き記した。 日本は多数の国と戦争したわけだが、 支那、イギリスやオランダやフランスなどは問題ではなかった。 日本軍の本当の敵はアメリカだけだったのである。 日本の敗戦後、イギリス、アメリカ、フランス、オランダは ふたたび東南アジアに舞い戻ってきたが、時代はすでに変化していた。 かつて支配下においていた有色人種はいつの間にか変わっていたのである。 日本軍によって編成され、訓練された独自の軍隊が東南アジア各地にあり、 しかも人々はナショナリズムに燃えていた。 再来した欧米の支配者にはもう押さえる力がなかった。 |
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