●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1941年(昭和16年)、ABCD包囲網
盧溝橋事件に始まった支那事変はずるずると拡大し、 日本の外交関係も悪くなっていった。 そしていつの間にかABCD (アメリカAmerica、イギリスBritain、支那China、オランダDutch) 包囲陣に囲まれることになった。 これらの国が日本をつぶすために石油禁輸措置などを行った。 この包囲陣を画策したのは、 イギリスのチャーチルであることが最近の研究で明らかになった。 第二次世界大戦はドイツのポーランド侵攻によって始まったわけだが、 ドイツ軍の圧倒的な強さにイギリスは 風前のともしびといったありさまであった。 チャーチルが首相になったのも、 連敗に次ぐ連敗でチェンバレンが政権を放り出したからである。 このような状況を見てチャーチルが考えたのは、 イギリスを救うためには戦争にアメリカを引きずり込むしかない、 ということだった。 しかしルーズベルトは、 絶対に参戦しないという公約を掲げてアメリカ大統領に当選していた。 チャーチルはまず日本とアメリカの間で戦争が起きるように仕向け、 日本と同盟関係にあるドイツとアメリカが 戦うことになるように仕組もうと考えた。 そしてイギリスとアメリカは日本に対する石油禁輸措置を決定する。 石油をまったく輸入できなくて困った日本は オランダ領インドネシアに打信すると、 イギリスとアメリカは、今度はオランダをそそのかし、 1941年8月、ついに日本への包囲網を完成させた。 ABCD包囲陣では日本資産の凍結、 鉄鉱禁輸措置も取られたが一番影響があったのは石油である。 ●1941年8月1日、石油禁輸 大東亜戦争の直接かつ最大の原因といえるもの。 日本の南部仏印進駐を受け、1941年(昭和16年)8月1日、 アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは石油禁輸強化を発令、 日本を対象として発動機燃料、航空機用潤滑油の輸出禁止を発令した。 これによって日本は、すでに禁輸されていた高オクタン価ガソリンに加え、 オクタン価の低い石油の禁輸措置を受け、 日本への石油輸出はまったく停止されることになった。 この数日前にイギリス、オランダも日本に対し、 日本資産凍結、通商航海条約の廃棄などを実施しており、 これら英米蘭の日本に対する報復的制裁措置によって 対日ABCD包囲陣は一段と強化され、 日米関係は重大局面を迎えることになった。 ルーズベルトはこの対日石油禁輸が きわめて危険度の高い制裁手段であることを強く認識していた。 当時、海軍の専門家たちから 「石油禁輸はアメリカを戦争に巻き込むことになる」 「対日経済制裁は延期すべき。それをすれば近いうちに日本に攻撃される」 と忠告を受けていたのだ。 日本との戦争を決めていたルーズベルトは無視した。 当時、海軍作戦部長であったスターク提督は戦争中の1944年昭和19年)、 海軍軍事法廷での証言で、 「石油禁輸の後は、日本はどこかへ進出して 石油を取得する他なかったのであり、 自分が日本人だったとしてもそうしたであろう」 と述べた。 ルーズベルトは7月24日、南部仏印進駐についての説明に訪れた野村大使に 「これまで、日本に石油を供給するのは太平洋の平和のために必要だと 国民を説得してきたが、この状況では余は従来の論拠を失い、 もはや太平洋を平和的に使用できなくなる」と述べたのであるが、 この言葉は裏を返せば、対日石油禁輸が日米戦争を誘発する公算が極めて 高いことをルーズベルトが十分に予測していたことを物語るものである。 石油がなければ20世紀の国家は存続できない。 無為のまま石油を枯渇させ、白旗を揚げることなど考えられなかった。 それで対米戦争に難色を示していた海軍も覚悟を決め、 御前会議で正式に戦争準備に入ることが決定された。 同年9月、つまり大東亜戦争開戦のわずか3ヵ月前のことだった。 それでも日米交渉で日本が譲歩し、その代わり石油禁輸が解かれれば アメリカと戦争をする必要はなくなる。 海軍はその点に一縷の望みをかけていたのだ。 目下の石油備蓄量は約半年分。 海軍が日米交渉の最終期限を12月半ばに設定した根拠は、ここにある。 |
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