●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1941年8月8日、日本側から日米首脳会談を提案したがアメリカは冷ややかな反応。
南部仏印進駐、アメリカの日本資産凍結、 対日石油禁輸などの諸事態により日米関係は著しく険悪化した。 近衛文麿首相は危機打開に腐心していたが、 8月に入ると自らアメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトと 会見する決意を固め、陸海軍の賛同も得た。 危機一髪のときにアメリカ大統領と会談し、 日本の真意を率直に語り理解を得ようとの意図からであった。 日米首脳会談の提案は1941年(昭和16年)8月8日、 野村大使よりアメリカ側に伝達されたが、 ルーズベルトはチャーチル(イギリス首相)と洋上会談(大西洋会談) のため不在で、伝達は国務長官のコーデル・ハルになされた。 ハルは「日本の政策に変更のない限り、これを大統領に取り次ぐ自信がない」 「首脳会談には予備会談が必要」などと述べて冷ややかな対応を示した。 大西洋会談でイギリスへの戦争協力を決定しているため、 こんな反応しかしなかった。 |
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