●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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1941年(昭和16年)8月9日~14日、大西洋会談(大西洋宣言)
アメリカがイギリスに戦争協力を約束。 1941年8月9日から14日まで、アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトと イギリス首相のチャーチルは、ニューファンドランドの港に 停泊するイギリス戦艦プリンス・オブ・ウェールズ艦上にて会談を行った。 この会談の結果として発表されたのは戦後世界の構想を謳った「大西洋憲章」 なのだが、そんなものは表向きの成果に過ぎず、実はチャーチルが 期待していた協定は「対日戦争にアメリカを引き込むこと」だった。 このとき、日本は日米交渉打開のために 首脳会談をアメリカに申し入れつつあった。 1941年8月1日、日米首脳会談提案 近衛文麿首相は危機打開に腐心し、 危機一髪のときにアメリカ大統領と会談し、 日本の真意を率直に語り理解を得ようとしていたとき、 大西洋上でアメリカとイギリスの首脳は対日戦争の協力を協議し、 約束しあっていたのだ。 後にルーズベルトは大西洋会談で 「イギリスに何も約束していない。アメリカは戦争に近づいていない」 と言っていたが、チャーチルは1942年1月27日の英下院の演説の中で 会談内容を明らかにしてしまい、ルーズベルトのウソはばれる。 アメリカはこんなことをやっていたわけだから、 日米交渉が進展しないのはあたりまえだった。 ◆ルーズベルトの思惑 アメリカ世論はヨーロッパの戦争に参加することに反対だった。 そこでルーズベルトは「絶対に参戦しない」という公約で 大統領に三度目の当選を果たしていた。 ヨーロッパではイギリスがドイツに負けそうな状態だった。 ルーズベルトはイギリスが敗戦すれば アメリカが直接ドイツと対決しなければならなくなると考え、 何とかして参戦し、イギリスを支援したいと考えていた。 ◆チャーチルの思惑 ドイツには連戦連敗でもうドイツには勝てないと観念した。 唯一勝つ道はアメリカをドイツとの戦争に引きずり込むしかないと考えた。 しかし、アメリカ世論は戦争に反対し、介入してくれなかった。 そこで考え付いたのが、ドイツと同盟している日本とアメリカが戦争をする ことになれば必然的にアメリカはドイツと戦うことになるということ。 このためアメリカ、オランダ、支那と組んでABCD包囲陣を作り、 日本を経済的に追い詰めていく作戦を考えた。 ルーズベルトとチャーチルの思惑が一致した結果が大西洋憲章である。 このためアメリカは「太平洋からヨーロッパの戦争に参加した」 と言われている。 この宣言の中で、領土の変更は認めないと言っている。 「カイロ宣言」自体が大西洋憲章の精神に違反しているのだ。 大西洋会談中のルーズベルト米大統領とチャーチル英首相。 1941年8月、英戦艦プリンスオブウェールズ上にて。 ![]() |
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