正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

ホーム 全記事一覧 << 1941年9月6日、御前会議 大西洋会談(大西洋宣言) >>
1941年9月4日、アメリカがドイツを攻撃

日本で近衛内閣が崩壊し、東條内閣が対米交渉に向けて
努力しつつあった1941年(昭和16年)9月から10月にかけての頃、
アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは
対独参戦の意図をますます露骨に現わしつつあり、
独米は事実上、大西洋で交戦状態に入ったも同然だった。

独米の敵対関係を象徴するものは、
9月4日、大西洋でアメリカ駆逐艦グリーザ号が
ドイツ潜水艦に攻撃されたという事件であった。

だが、ドイツが意図的に攻撃を仕掛けたとの
ルーズベルトの説明に疑問を抱いた上院海軍委員会が
事件についての公聴会を準備し、スターク海軍作戦部長の報告を求めた結果、
先に攻撃したのはアメリカ側であったことがわかった。

6週間後の10月17日、またもやアメリカ軍艦カーニー号が
ドイツ潜水艦から攻撃を受けたという事件が発生した。
ルーズベルトは「アメリカは攻撃された」と国民に訴え、
反独世論を扇動するのに努めたが、事件の真相が漏えいするにつれ、
カーニー号は魚雷攻撃を受ける前にすでに3時間近く、
一群の潜水艦と交戦していた事実が明白になった。

その後も大西洋でいくつかの発砲・撃沈事件が発生したが、
もはや「アメリカは攻撃された」という言葉は精彩を失ってしまった。

他方ルーズベルトは大西洋での
連合国援助を強化するため、中立法改正を企てた。
2010/05/10 19:21|年表リンク用資料
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.