正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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スマイス調査

「スマイス調査」からは、日本軍の犯罪は何一つ判りません。

スマイス調査の戦争被害調査の死亡原因は、都市部集計の場合
『事故』と『戦争』の2通りしかありません。

また、農村部集計の場合、『暴行』と『病死』のみです。

いずれも、加害者が日本兵なのか支那兵や不逞支那人なのか全く不明であり、
全て支那兵や不逞支那人の犯行だったと考えられます。

スマイスの戦争被害調査の都市部集計における死因区分は、
『事故』と、『冲突(戦争)』の二種類だけであり、
調査の段階では、『事故』、『戦争』という死因区分が、
集計の段階では『軍事行動』と『日本兵の暴行』という死因区分に
見事に摩り替わってしまったのです。

もう少し分かり易く説明します。

スマイスの戦争被害調査の都市部集計において使用された調査票には、
死亡状況の原因が、『事故』と、『冲突』の二種類になっています。

『事故』=『軍事行動』=『砲撃、爆撃、戦場における銃撃』○です。

『冲突』=『砲撃や爆撃などの軍事行動以外の【戦争】』○です。

『冲突(戦争)』=『日本兵による暴行』×では、決してないのです。

したがって、集計の段階において『戦争』=『日本軍による暴行』×に
摩り替えたのは、極めて悪質な改竄です。

支那事変全般に目を向けても、
支那人犠牲者の大半が支那軍によって殺されているのに、
死亡原因の『戦争』を、『日本兵による暴行』とするのは、
あまりにも強引で悪質な改竄・歪曲です。

日支両軍が衝突した12月12日の夜には、
市民の全員がすでに安全区に避難していたのですら、
日本兵による暴行で死んだ者などいませんでした。

南京における支那人犠牲者の主な死亡原因の真相は、
【1】支那軍徴兵後の戦死。
【2】支那軍または不逞支那人による殺害。
【3】軍事行動に伴う事故。
【4】病死。
などです。

それなのに、スマイスの「戦争被害調査・市部」では、
死亡原因の最終結果を、
『軍事行動(事故)』と『日本軍による暴行(戦争)』
の2通りに限定しているのですから論外です。

聞き取り調査の段階で、
「【1】支那軍徴兵後の戦死」や「【2】支那軍または不逞支那人による殺害」
などを以って『戦争』と回答された死亡原因を、
集計の段階で全て『日本軍による暴行』と摩り替えたのです。

また、農村部集計における死因区分は『暴行』と『病死』のみです。
暴行の加害者が日本兵であるという注記はないので、
野盗化した支那兵などの加害行為等が『暴行』に含まれ、
日本軍による虐殺にカウントする出鱈目ぶりです。

支那軍は、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするために、
食料などを奪い、民家などを焼き払う「清野作戦」(焦土戦術)を行いました。

南京においては、南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と
南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの
村落と民家を強制的に焼き払いました。

日本軍が到着する前に、支那軍に食糧を奪われて家を焼かれた農村の住民達が
その場に留まって日本軍に虐殺されたということは有り得ないし、
「清野作戦」(焦土戦術)の対象とされなかった農村部の住民も
支那軍や支那人盗賊によって襲撃されたのであって、
日本軍によって虐殺された具体的な証拠など何もありません。

ちなみに、国民党国際宣伝処長だった曾虚白の自伝には、
スマイスはティンパリーと同じく国民党国際宣伝処から
カネを受け取って日本軍の犯罪を宣伝したと述べられています。

当時、支那のことをよく知っていた人物の
スマイス報告(調査)に対する認識を示す資料があります。

興亜院政務部 昭和15年7月調査報告会速記録内、
吉田三郎 「支那に於ける第三国人の文化施設」

『「南京事件」の探求』P176より引用

「これ(スマイス報告)はその時にもらった資料でありまして、
南京地方に於ける戦争による
フィールド・リサーチ以下各種の統計的研究であります。
こういうものを世界中に配って基金を集めているのです。
その中には南京地方に於ける農産物の調査、南京地方の人口調査等、
所謂科学的調査を標榜しつつ、
そのことによって日本が飛んでもないひどいことをやっているような
印象を世界中に統計を通して与えている、
しかしよく見ると科学的な研究という面を被った排日宣伝文書であります」

「たとえばこういうことをやっている。
南京地方に於ける損害の統計を作る場合に、
戦争の直接の被害、火災によるもの、日本の軍隊の掠奪によるもの
というような項目が挙がっており、
火災の場合についていえば、支那軍が逃げるときに放火したために
焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。
数字としては極めて確かだけども、
これで見ると皆日本軍がやったことのように見えるのです。
斯様に巧妙なる科学戦争というものが世界中に、
この機関を通してまかれている事実を見たのであります。
ベーツ教授は私がミリカンの友達というので
直ぐこういうものを出して呉れたわけであります」

つまり、南京の状況をよく知っていた当時の人の認識によれば、
スマイス報告は【科学的な研究という面を被った排日宣伝文書】
と断言できるものでした。

ただし、この資料を見ると、吉田三郎氏も、実はベイツこそが
宣伝工作員の中心人物だったことまでは見抜いていなかったようです。

スマイス調査の農村部調査は、農村部の人口を推定し、
それに死亡率をかけて死亡者数を推定しました。

しかし、算定の基に使用された人口は、
1932年に行われた調査による南京農村部の人口(107万8千人)であり、
1937年11月から12月にかけて支那軍が行った清野作戦によって
所によっては無人と化すほど大幅に減少した
当時の南京農村部の人口とは大きくかけ離れて多いものでした。

したがって、その1932年の人口(107万8千人)に
死亡率をかけて算出された死亡者数は、1938年春に
南京農村部で死亡した実際の人数より遥かに多い数字となりました。

当時の南京農村部の人口は不明でしたが、
1932年に調査した南京農村部の人口107万8千人よりは
大幅に少なかったことは間違いありません。

つまり、スマイス調査の農村部調査の総人口
【農村部調査の総人口=バックの人口データ×(1-不在率)】
は全く信頼できないデータでした。

そうなると、スマイス調査の死亡者数
【農村地帯の100日中の死亡率は2.9%だから
「107万8千人×2.9%」で死亡者数3万1千人】
も自動的に出鱈目ということになります。

さらに、病死者率の0.38%も根拠薄弱で、
もっと病死者率は高かったかもしれないのです。

さらに、その上、死因が暴行による死者についても、
全てが支那軍や不逞支那人による仕業と考えられます。

このように、スマイス調査なんて、
とても使えない出鱈目のインチキなのです。

スマイス調査(農村部)の出鱈目ぶりは、以下に示す
『南京事件の日々――ミニー・ヴォートリンの日記』中にある
「句容県」に関する記述との対比だけでも明らかです。
――――――――
【『南京事件の日々』:12月6日付ミニー・ヴォートリンの日記】
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、
きのう句容へ行ってみたが、
人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。
中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、そのあと村を焼き払っているのだ。
まったくの「焦土作戦」だ。農民たちは城内に連れてこられるか、
そうでなければ浦口経由で北方に追いやられている。
――――――――
【スマイス調査・南京地区における戦争被害】
(県名)句容
住民総数  227,300人
死因・暴行の総数 8,530人 (男6,700人・女1,830人)
――――――――
このように、1932年に行われた人口調査の人口に出鱈目な不在率を掛けて
当時の人口を推定したため、
支那軍の清野作戦によって無人(人口0人)と化した句容で、
なんと8,530人が日本軍によって虐殺されたことにされてしまったのです。

サンプル調査で不在率を算定し、1932年Buck調査の人口(107万8千人)に
不在率を掛けて1938年春の南京農村部の人口を推定する方法が
如何にインチキだったかが良く分かります。

大都市の近郊や周辺地域というのは、
中心部に近ければ近い程多くの住居が在るものですし、
中心部から離れれば殆ど道路沿いにしか住居はないものです。

支那軍によって「清野」「焦土」にされたのは、
南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と
南京城から半径16キロ以内にある道路沿いの村落と民家ですから、
1932年Buck調査の総数にいい加減な不在率を掛けても全く意味がありません。

(参考)

スマイスの農村部調査の手順は、
【1】サンプル調査で不在率を算定。
【2】1932年Buck調査の総数に不在率を掛けて人口を推定。
【3】更に、推定人口に死亡率を掛けて死亡者数を推定。

しかし、この推計方法が成り立つのは母集団に大きな変化が無い
=南京農村部の人口が1932年調査時点から変化していない場合だけであり、
1937年11月から12月に支那軍によって行われた清野作戦で
大幅に減少した後の南京農村部の人口や死亡者数を推定するのは無理です。

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スマイス報告の検証
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Smy.html

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1940年、日本の興亜院政務部が南京の調査を行なった報告の中で
スマイス報告のことが述べられている。(報告者:吉田三郎)
―――――――
これはその時にもらった資料でありまして南京地方に於ける戦争による
フィールド・リサーチ以下各種の統計的研究であります。
こういうものを世界中に配って基金を集めているのです。

その中には南京地方に於ける農産物の調査、南京地方の人口調査等、
所謂(いわゆる)科学的調査を標榜しつつ、
そのことによって日本が飛んでもないひどいことを
やっているような印象を世界中に統計を通して与えている。

しかしよく看ると科学的な研究という面を被った排日宣伝文書であります。

たとえばこういうことをやっている。

南京地方に於ける損害の統計を作る場合に、戦争の直接の被害、
火災によるもの、日本の軍隊の略奪によるもの
というような項目が挙がっており、
火災の場合についていえば、支那軍が逃げるときに放火したために
焼けたものまで皆その中に一緒に入れてある。

数字としては極めて確かだけれども、
これでみると皆日本軍がやったことのように見えるのです。

その様に巧妙なる科学戦争というものが
世界中にこの機関から通してまかれている事実を見たのであります。

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いわゆる南京大虐殺・URL図書室
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-518.html
2009/01/06 21:00|年表リンク用資料
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