正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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ほかの安全区国際委員会メンバー

国民党国際宣伝処からカネを受け取っていたティンパレーや、
国民政府の顧問だったベイツなどが、
南京虐殺のデマ宣伝をしたのは当然でしょう。

しかし、ベイツ以外の安全区国際委員会メンバーも、
出鱈目な報告や抗議によって日本軍の犯罪をデマ宣伝していました。

何故か。

南京の「安全区」ですが、
もともと、外国人(白人)と支那人の富裕層が住む地区でした。

「安全区」は、白人の会社・大学・病院・教会などの資産やその住居、
そして富裕支那人や支那官僚・高級軍人の住居が集中した地区でした。

しかし、南京戦が近づくと、
白人と金持ち支那人たちは、その地区を離れ、上海などに脱出しました。

替わりに、「安全区」(南京の高級住宅地街)に流入して来たのは、
南京を脱出することも出来ない超貧乏支那人と脱走支那兵(盗賊)でした。

主(あるじ)が居ない「安全区」(南京の高級住宅地街)の
白人や金持ち支那人の資産は、たちまち貧乏支那人や
脱走支那兵(盗賊)によって破壊・掠奪されまくったのです。

「安全区」を発案・管理していたラーベやベイツら
安全区国際委員会のメンバーの責任は重大でした。

しかし、15人の安全区国際委員会が、
支那人達の掠奪を抑えられる筈がありません。

安全区で、南京を脱出できなかった貧乏支那人避難民や
脱走支那兵(盗賊)たちが、南京を脱出した金持ちの資産を
略奪しまくっている事実を目の当たりにして
安全区国際委員会のメンバー達は、青ざめて頭を抱えていました。

彼らにしてみれば、白人や金持ち支那人の資産を掠奪した犯人が、
「安全区」に避難して来た支那人たちでは非常にマズイ。
何とかして、この事実を隠匿しなければなりません。

それには、全てを日本軍の仕業に転嫁するのが一番でした。
日本軍が入城する何日も前から起こっていた貧乏支那人と脱走支那兵(盗賊)
による掠奪などの犯罪だったが、日本軍が入城すると、
安全区委員会は日本軍の犯罪だとして一斉に外部に発信しました。

全ての掠奪を日本軍の仕業に転嫁する以上、
混乱の中で生じた強姦や殺害も全て日本軍の仕業にしなければ不自然です。

安全区国際委員会としては、とにかく、日本軍入城後、
日本軍が安全区などで、ありとあらゆる極悪非道を行ったことにして、
自分たちが責任を免れなければならなりませんでした。

ですから、日本軍入城後、
ベイツはダーディンなどの新聞記者にメモ(レポート)を渡したり、
他のメンバーたちも自国領事館に書簡で報告したり、
日本大使館に抗議文書を送って、
安全区における日本軍の大規模犯罪のデマ宣伝をしまくったのです。

日本軍関係者は、安全区委員会から発信される報告や抗議文書により、
掠奪などの大規模な犯罪の発生を知り、
懸命に犯人を探しますが、なかなか判りません。

判らないのは当然です。

以上が、いわゆる「南京事件」の真相であり、これで全ての辻褄が合います。
2009/01/05 21:00|年表リンク用資料
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