正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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【まとめ】いわゆる「南京大虐殺」について

いわゆる「南京大虐殺」の最先端の議論では、
「虐殺あった派」でさえ「民間人の大虐殺があった」という人は、
もう、ほとんどいません。
最新の、いわゆる「南京大虐殺」の議論の中心は、
一旦とらえた敵兵の処刑に関する議論になっています。

■拘束した便衣兵(民間服を着た兵)の処刑。

組織的に降伏せず、軍人が民間服を着て逃亡を企てることは国際法違反で、
しかも敵対行為です。松井石根・中支那方面軍司令官は敵兵を対象とした
軍律を制定していなかったので、軍律審判の適用対象とはなりません。
仮に裁判にかけるとしても多人数を軍律審判にかける事は能力的に困難で
あったと考えられ、この様な場合は、
軍事的必要により無裁判で処刑したとしても違法ではありません。

■便衣兵と間違えて民間人を処刑した可能性は否定できない。

兵士が民間服を着ると、兵士と民間人の違いが不明確になり、
民間人の犠牲者が増えてしまうから、
兵士が民間服を着用することは国際法で禁じられているのですから、
民間服を着て逃亡を企てていた多くの中国兵の行為が原因です。

■拘束した「軍服着用の正規兵」が多数で共謀して逃走を企てた場合。

俘虜(=条約により待遇を保証された者)であっても、
多数が共謀して逃走を企てた場合は銃殺の対象となる。

『戦時国際法提要(上)』 信夫淳平博士(国際法学者)

・・・以上は俘虜の単独逃走に係るものであるが、
俘虜が多数共謀して逃走を企図する場合は自ら別である。
この場合は危険の重大性に鑑み、陰謀罪として俘虜収容国の
陸軍法規に依り之に刑罰を課するに妨げない。
その刑罰は概して銃殺である。
米国の「陸戦訓令」第77条第2項に
「然れども共同的若くは全般的の逃走を目的とする陰謀にして
発見せられたる場合には、陰謀者は之を厳刑に処すべく、
之を死刑に処するも妨げず。俘虜にして捕獲国の権力に対し
謀反を企図することが発見せられたる場合には、
その企図が同国人たる俘虜と共謀すると
他の人々と共謀するとを問はず、
死刑を之に加ふることを得。」とあり、
独逸の「陸戦慣例」にも同様の規定がある。

―――――――

1937年12月16日に起きた中国敗残兵収容所の火災が、逃亡のため、
多数が共謀して逃走を企てた火災であるなら処刑の対象となります。

もともと食糧不足だったことに加えて、
火事で収容所の3分の1が消失したことは、
敗残兵の管理を更に困難なものにする追い討ちをかけるような出来事でした。

多人数を軍律審判にかける事は能力的に困難であったと考えられ、この様な
場合は軍事的必要により無裁判で処刑したとしても違法ではありません。

■拘束した「軍服着用の正規兵」

大量の敗残兵をかかえた場合、食糧不足や収容施設の不足は、大量の敗残兵の
管理を極めて困難にする事態で、しかも蒋介石軍の精鋭部隊が多く紛れ込んで
いたことも勘案すれば、もし仮に釈放すると、また武器を取って敵兵となり、
また戦わなければならなくなり、味方に多くの戦死者が発生する恐れが
あります。よって軍事的必要により処刑したとしても違法とはなりません。

まだ戦争は終わっていなかったのです。

批判されるべきは、
◆支那事変の発端である第二次上海事変を起こした蒋介石
◆日本軍の降伏勧告を無視した唐生智
◆安全区に侵入した中国便衣兵
◆侵入を許した安全区委員会
のほうです。

いわゆる南京大虐殺などしていないと証言する元日本兵の方々。
http://www.youtube.com/watch?v=tU7NYLtqwe0
南京日本兵の証言
http://www.youtube.com/watch?v=tQ-ekDm2FyI
http://www.youtube.com/watch?v=_tJxDRV2s34

【1】まず、何といっても、まったく動機が見当たりません。
なぜ南京の多くの民間人を殺害する必要があるのでしょうか?
虐殺する理由がないのです。

【2】中国軍は便衣兵戦術を多用していました。
便衣兵というのは民間人の服装をして
急に攻撃してくる兵士で国際法違反です。

・民間人の服装をした遺体であっても、
戦闘で死亡した兵士である場合も多数ありました。

・中国兵が軍服を脱ぎ捨て、
民間人から服を奪う際に殺害した可能性もあります。

・便衣兵戦術は民間人の犠牲者が増えてしまいます。
でもそれは便衣兵戦術をしていた中国軍が悪いのです。

・投降してきて捕虜と認められた場合は「捕虜」になり、「捕虜」の扱いを
しなければなりませんが、南京陥落後、街に潜んでいる便衣兵の摘出作業、
掃蕩中にみつけて射殺した場合は戦闘中の戦死となりますし、
軍服を着用せずに民間人の服装で戦っている国際法違反の兵士は、
そもそも捕虜になる資格さえありません。

日本軍には便衣兵と民間人を区別する専門の担当者がいました。
自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をおこないました。
中国兵は上着が民間服でも下着が兵隊服のままの兵士が多く、
中国兵の多くは坊主頭でした。
体つきのほか、ヘルメットの日焼け跡、手の銃ダコの有無、
市民の証言などをも確認し、兵士なら階級まで確認しましたが、
もし間違われて処断された民間人がいたとしても、
便衣兵戦術を採用していた中国軍が悪いのです。

・たとえ投降してきた兵士がいても、戦闘中の場合などで、
捕虜を受け入れる事によって自軍が不利になる場合は、
投降を拒否しても、止むを得ないとされています。

・あまりに多くの捕虜をかかえた場合、捕虜の食料の確保など、
管理が難しく、だからといって自由にすると、
また敵兵となって攻めてきますので、
止むを得ない場合があったかもしれません。

―――――――――――――――――

人道的観点から考えるのなら、
中国兵たちは便衣に着替えて安全区に逃げ込み、
実際に安全区に避難していた一般市民を巻き込んだのですから、
この中国兵たちの行動は批判されなければなりません。
「あった派」の人たちは、この見地が完全に欠落しています。

―――――――――――――――――

1937年、南京攻略戦に参加した日本軍、松井司令官の横には、
国際法の権威であった齋藤良衛博士が必ずいました。
南京城壁を取り囲んだ日本軍は、
攻め込む前の12月9日、空から手紙を散布して中国側に降伏を促しています。
回答期限の12月10日の正午までに返事が得られなかったので、
残念ながら攻め込む結果になってしまいましたが、それでも
南京安全委員会から要請があった避難区と重要歴史物への攻撃は避けました。

下記は、防守都市で無差別攻撃が可能であった安全区に対し、
日本軍が砲撃による無差別攻撃を自制した事を証明する重要な文書です。
それは同時に、南京城内で数万人規模の虐殺が
行われ得ないことの状況証拠でもあります。
なぜなら、手っ取り早く虐殺するには、一か所に集まっている安全区に
砲弾で無差別攻撃を仕掛ければ済むからです。
いわゆる大虐殺をするのなら、
便衣兵の摘出(兵民分離作業)をする必要などなかったのです。

●国際委員会の委員長ジョン・H・D・ラーベ氏は、
国際委員会を代表して次のような書簡を日本軍に送りました。

「法廷証」323号=検察番号1744号抜粋で弁護人が朗読。
(極東国際軍事裁判速記録210号)

「拝啓 私どもは貴下の砲兵隊が安全地区を攻撃されなかったという
美挙に対して、また同地区における中国民間人の援護に対する
将来の計画につき、貴下と連絡をとり得るように
なりましたことに対して感謝の意を表するものであります。」

―――――――

国際法学者の佐藤和男氏は
「伏敗残兵の摘発・ 処刑は、違法な虐殺行為ではないと考えられる」
という見解を述べています。

2001年3月号 正論 P317

「南京事件と戦時国際法」 佐藤和男 著

兵民分離が厳正に行われた末に、変装した支那兵と確認されれば、
死刑に処せられることもやむを得ない。
多人数が軍律審判の実施を不可能とし【軍事的必要】・・・

軍事史研究家の原剛氏は、多数の便衣兵の集団を審判することは
「現実として能力的に不可能であった」と認めている・・・、

また市街地における一般住民の眼前での処刑も避ける必要があり、
他所での執行が求められる。

したがって、間題にされている潜伏敗残兵の摘発・処刑は、
違法な虐殺行為ではないと考えられる。

―――――

その二は、戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断である。
同じように戦闘中に捕えられながらも釈放された支那兵が
多数いたことを見れば(前出『南京戦史』第五表を参照)、

日本軍の側に捕えた敵兵を組織的に
絶滅させる計画的な意図が無かったことは明白である。

具体的な 熾烈な戦闘状況を調べてみると(本稿では詳述する余地がない)、
日本軍の関係部隊には緊迫した【軍事的必要】が
存在した場合のあったことが知られる。

―――【軍事的必要】とは?―――

『国際法Ⅲ 田岡良一著 P352』

「戦争法規は戦時に通常発生する事態における
【軍事的必要】のみを考慮して、
その基礎の上にうち建てられたものであるから、
より大きい【軍事的必要】の発生が
法規の遵守を不可能ならしめることは実際に必ず生ずる。
この場合に法規は交戦国を拘束する力を失う。」

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南京城に攻め込む前の1937年12月9日、松井石根大将は次のような
降伏勧告文を空から散布して中国側に降伏を促しました。

降伏勧告文 (日本語訳)

日軍百万既に江南を席巻せり。
南京城は将に包囲の中にあり。
戦局大勢見れば今後の交戦は只百害あって一利なし。

惟ふに江寧の地は支那の旧都にして民国の首都なり。
明の孝陵、中山陵等古跡名所蝟集(いしふ)し、
宛然(さながら)東亜文化の精髄の感あり。

日本軍は抵抗者に対しては極めて峻烈にして寛恕せざるも、
無この民衆および敵意なき支那軍隊に対しては寛大をもってこれを冒さず、
東亜文化に至りてはこれを保護保存するの熱意あり。

しかし貴軍にして交戦を継続するならば、南京は勢ひ必ずや戦禍を免れ難し。
しかして千載の文化を灰燼に帰し、十年の経営は全く泡沫とならん。

依って本司令官は日本軍を代表して貴軍に勧告す。
即ち南京城を平和裡に開放し、しかして左記の処置に出でよ。

大日本陸軍総司令官  松井石根

本勧告に対する回答は十二月十日正午
中山路句容道上の歩哨線において受領すべし。

もしも貴軍が司令官を代表する責任者を派遣するときは、
該処において本司令官代表者との間に
南京城接収に関する必要の協定を遂ぐるの準備あり。

若しも該指定時間内に何等の回答に接し得ざれば、
日本軍はやむを得ず南京城攻略を開始せん。

―――――――

『世界画報』日支大事変号 第6輯(集)第14巻 第2号 掲載の投降勧告 関連記事
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城内掃蕩の命令文 『南京戦史資料集』 P550 より抜粋

◆六旅団作命甲第138号 12月13日午後4時30分
(略)
◆南京城内掃蕩要領
(略)
3、~遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられるをもって、
その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。

◆掃蕩実施に関する注意

1、軍司令官注意事項を一兵に至るまで徹底せしめたる上、
掃蕩を実施すべし。

2、外国権益の建物を敵がこれを利用しある場合の外、立ち入りを厳禁す。
重要なる箇所には歩哨を配置すべし。

3、掃蕩隊は残敵を掃蕩を任とし必ず将校(准尉を含む)の
指揮する部隊をもって実施し、下士官兵以下、各個の行動を絶対に禁ず。

4、青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。
青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては
寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。
(略)
http://www.geocities.jp/nankin1937jp/page071.html

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【3】中国軍は、自軍の兵士が逃げてきたら殺害する役目の
「督戦隊」が後方にいましたので、
自軍の「督戦隊」によって殺害された遺体も多数あったのです。

南京虐殺の嘘1/3
http://www.nicovideo.jp/watch/sm16837164

【4】たとえば佐々木少将の証言の中に、
「…その後捕虜続々投降し来り数千に達す…」
とありますが、国際法上は、敵に投降(捕虜となること)が
認められて収容された時点から「捕虜」となりますので、
「捕虜が投降する」という表現は正確ではありません。
このように安易に「捕虜」と書いている場合も
多く見受けられますので、注意が必要です。

第一六師団長の中島今朝吾中将の日記の、
「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ片端ヨリ之ヲ片付クルコトヽナシタルモ・・・」
の「片付クル」を勝手に「殺害する」という意味に捉える人がいますが、
私は「処理していく」という意味だと思います。
つまり、この場合、「武装解除して釈放する」という意味でしょう。

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ハーグ陸戦条約 第5章 休戦

◆第36条
休戦は、交戦当事者間の合意をもって作戦行動を停止するものとする。
期間の指定なき時は、交戦当事者は、
いかなる時点においても再び交戦を開始する事が可能である。
ただし、休戦条件に順じ、所定の時期にその旨を通告すべきものとする。

◆第37条
休戦は、全般的、もしくは部分的に行うことを可能とする。
前者は、交戦国の作戦動作を停止し、
後者は特定地域において交戦軍のある部分間を停止するものとする。

―――――――

休戦(戦闘状態の停止)というのは36条によって
両者の合意が必要であると規定している。

37条では特定地域において交戦軍は戦闘を停止する事ができるとあるから、
南京に限定して休戦することは可能であるが、南京戦において
両軍が休戦の合意をしていないことは歴史的事実であるし、
中国側の南京守備隊が全面降伏(ハーグ35条)した歴史的事実もない。

休戦が成立したとしても期限の定めが無い場合には相手に通告し、
いつでも攻撃は再開できるので、そもそも休戦が成立していない場合には、
両軍はいついかなるときでも攻撃することが可能な状態にあるといえる。

つまり、休戦も降伏もしていない南京の守備隊(兵士)がいる時点において、
南京は依然として戦闘状態であった。

降伏していない軍服を着ている兵士は、
そのまま攻撃を加えることができるのに対し、
便衣の人間を一般市民か兵士かを吟味し、
その後に攻撃しなければならないとなれば、
便衣兵戦術は有効な手段となり、
一般市民を盾とする便衣兵戦術を防止できず、
一般市民を戦闘に巻き込んでしまいやすくなることは明白である。

これは文民保護を定めるハーグ法の趣旨に反することになり妥当ではない。
(そもそも南京は防守地域(ハーグ25条)だったから、軍民無差別攻撃が
認められており、日本軍による軍民選別の法的義務は存在しない。
降伏勧告を無視して南京を戦場にした中国側の責任は重大である)

以上から、降伏も休戦もしていない便衣の兵士が保護される法的根拠は無い。

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ハーグ陸戦条約について

『国際法基礎講座』 筒井若水著

陸戦の法規慣例に関する条約の付属規則
(ハーグ陸戦規則-以下ハーグ規則と略称)
は第一条に適法な交戦資格として四つの条件をあげ、

(1)責任ある指揮者のある集団であること
(2)それとわかる標章・服装を着用していること
(3)公然兵器を携行すること
(4)戦争法を守ること

を求める。

捕らえられた場合、捕虜としての待遇を受ける資格のあるものは、
こうした条件をみたしつつ交戦に従事していた戦闘員であり、
それ以外のものは戦争犯罪人として適法に処罰される(多くの場合死刑)。

―――引用おわり―――――

いわゆる「南京大虐殺」では、

1.南京陥落前に、最高司令官・唐生智は武漢に逃亡。
これにより、支那軍は指揮官不在、
つまり「部下ノ為ニ責任ヲ負フ者」を持たない集団となった。

2.そして、指揮官不在の支那兵は軍服を脱いで安全地帯に潜伏した。
つまり、「遠方ヨリ認識シ得ヘキ固著ノ特殊徽章ヲ有スルコト」に違反した。

3.更に支那兵は、安全地帯内に武器を隠匿していた。
つまり、「公然兵器ヲ携帯スルコト」に違反した。

4.上記の事から、「其ノ動作ニ付戦争ノ法規慣例ヲ遵守スルコト」
に違反した事になる。

そもそも、なぜ「交戦者の資格」を定めたのかというと、
敵・味方、兵士と文民の区別を明確にし、
無辜の人々に危害が及ばないようにするためです。

これは戦争法規の大前提である「人道上」の根幹をなすものです。

それを交戦そのものの当事者である正規軍が
その条件に従わなくて良いなどという事は絶対にありません。

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「封印の昭和史」 P66-68 小室直樹 渡部昇一

さらに根本的なことを言っておきますと、
一つは、捕虜というのはたいへんな特権だということです。
これはもっとも大切なことであるにもかかわらず、
「南京大虐殺」を論ずるとき、日本の国際法の学者も指摘していません。

捕虜であるかないかということは、最終的には攻撃するほうが決定する。
だから、捕虜でないと決定すれば即座に殺してもいいのです。

それに、投降さえすれば捕虜になるのかというと、
けっしてそうではありません。
降参しかけたと見せかけて、ピストルを出してドンとやるかもしれない。
そんなことがどこでも起きているわけですから、
敵軍の軍司令官が正式に降伏し、「はい、受け入れました」と
両者で約束ができれば明らかに敵軍は捕虜となることができるわけですが、
ついさっきまで戦闘していて目の前で手を上げたから
「もう、捕虜なんだ」というようなことは断言できないわけです。

また、境界領域ということも重要です。
境界領域とは、どちらか分からない場合には
主権国家に有利に解釈されるという原則を定めたものです。

さらに言っておかなければならないのは、
軍隊は国際法に明確に違反しない限り何をしても合法となるということです。

なぜこんなことを言うのかといいますと、
殺したと一口に言っても次のように分けて考えなければならないのです。

【1】純然と戦争で殺した場合は合法です。
【2】戦闘員の資格を有しないで違法に戦闘する者を殺すのは合法です。
【3】捕虜を殺せば、非合法です。
【4】捕虜であるかどうか分からない者を殺した時には、
国際法上主権国家に有利なように解釈されます。
(これは、刑法とは正反対です)
つまり、明らかに捕虜でないものを殺すのは自由、
捕虜であるかどうか分からない者を殺すのも自由、
明らかに捕虜だということが明白な場合に、
これを殺すことは違法であるということです。

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『戦時国際法提要』信夫淳平著 1943年

第三目 乞降兵の殺傷及び不助命の宣言

又事実最後まで頑強に抵抗する敵に対しては勿論のこと、
会々その中に若干の乞降者ありとしても、一々之を識別して助命の斟酌を
之に加ふるなどは、戦場の実情が之を許すまい。

例へば敵が塹壕に拠りて頑強に抵抗し、我方之を撃破すべくそこに突入し、
或は手榴弾を投し、或は銃剣にて敵を縦横に斬捲くる際にありては、
敵の兵器を捨て降を乞ふ者と否とを識別するの余裕ある筈は無い。

最後の瞬間に於て乞降着の助命に気を取られたり、
俘虜として収容することに力を殺いだのでは、
急ぎ抵抗者に止めを刺すに機を逸し、
作戦上の迅速なる奏効を狂はすことにもなるから、
獅子猛進の突撃兵としてそれを顧慮などの遑なく、
必然壕内の敵兵を十把一束的に殺傷するは勢の到底避け難き所で、
それは作戦上の絶対必要が命ずるのであるから、之を違法視するは当らない。

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『国民のための戦争と平和の法』 色摩力夫著 P279

・・・・およそ国際法上三種類の人間がいることになります。即ち、

(1)戦闘には直接関係のない一般住民
(戦時法規では「文民」と呼んでいます)

(2)戦闘行為に従事している「戦闘員」の二つに大別される

他に、

(3)戦闘行為に従事していながら
戦時法規の定める要件をそなえていない「非合法」の戦闘員

がありえます。

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軍人が民間服に着替える行為は国際法違反に当たると判断して問題は無い。

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『新版『国際人道法』増補 有信堂 藤田久一著

なお、正規の軍人は一般に制服着用を必要とするが、
軍艦、航空機はそれに一定の外部標識を付ければ十分である。

―――――――

『国際法新版』 田岡良一著 小川芳彦改訂 P249

このように交戦者資格は原則として個人的に与えられるものであるが、
海軍および空軍にあっては、船舶または航空機が一つの戦闘単位をなすから、
陸戦における軍人がその資格を表示する制服を着用する必要があるように、
軍艦および軍用航空機の乗組員は、船内または機内にある限り、
個人的に交戦資格を表示することを必要としない。

―――――――

『現代戦争法規論』足立純夫著 P53 第2節 交戦者 25 武装部隊(交戦者)

・・・また、正規の交戦者たる資格は作戦動作
又は作戦地域の如何にかかわるものではない。

このため、例えば、敵の領域に対し又は敵の占領地域に対し、
高度の奇襲と強襲の訓練を積んだ空挺部隊又は特別工作隊が
敵対行為に従事する場合に、その隊員が武装部隊の構成員であり、
かつ、制服(部隊の各種の制服)を着用している限り、単独で行動するも
正規の交戦者であり、捕獲されたときは捕虜の特権を享有する。

―――――――

『新版 国際人道法』 藤田久一著 P110 第三節 攻撃(爆撃)対象の規制

・・・換言すれば、戦闘員と非戦闘員(一般住民)の区別、
軍事目標と非軍事物の区別により、それぞれ後者(非戦闘員と非軍事物)を
敵対行為の直接の影響から保護しなければならない原則が存在する。
この区別原則はかなり古くから認められているが、
とくに近代国家の国民軍制度の普及により正規軍以外の文民
ないし一般住民は直接戦闘に参加しないから戦闘の惨禍から保護される必要が
あるとして非戦闘員(一般住民)不可侵の原則となり、
また、物的対象についても、攻撃しうる軍事目標の定めることによって、
それ以外の非軍事物を攻撃から免除することになった。

―――――――

『現代戦争法規論』 足立純夫著

9.戦闘員及び非戦闘員の識別

大部分の戦争法規は、
戦闘員と非戦闘員とを識別することに準拠して構成されている。
この識別に従えば、交戦国の国民は戦闘員(武装部隊の構成員)と
非戦闘員(一般住民)との2つの概括的な部類に分かれ、
各部類はそれぞれ武力紛争時において特定の権利義務を有し、
また、いかなる個人も同時に2つの部類に属することなく、
これらの部類の中間的なものもない。

P28 注釈 7)

ここにいう「非戦闘員」とは、武装部隊に所属せず
又はそれに随伴しない状態の平和的住民の意味である。

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俘虜は国内法により【帝国の権内】におかれると規定されている。
【帝国の権内≠部隊の権内】
帝国の権内におかれるまでは俘虜ではない。

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(国際法) ハーグ陸戦法規 第一條

締約國ハ其ノ陸軍軍隊ニ對シ本條約ニ附屬スル陸戰ノ法規慣例ニ
關スル規則ニ適合スル訓令ヲ發スヘシ

―――――――

(国内法) 俘虜取扱法 第一条

本規則ニ於テ俘虜ト称スルハ【帝国ノ権内】ニ入リタル敵国交戦者
及条約又ハ慣例ニ依リ俘虜ノ取扱ヲ受クヘキ者ヲ謂フ

―――――――

『戦争と国際法』 城戸正彦著

捕虜は、これを捕らえた個人または
部隊の権力下におかれるのではなく敵国の権力の下におかれる。

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捕えた敵兵を全て「俘虜」として扱う規則ではなかった。

『日本の捕虜取扱いの背景と方針』 立川 京一 P17
http://www.nids.go.jp/exchange/forum/pdf/forum_j2007_08.pdf

日本軍に捕獲された捕虜は、
まず、捕獲した部隊が属する現地軍の管理下にある
臨時の捕虜収容所などの施設に収容され、
そのうち正式の捕虜となり得る者は、
陸軍大臣が統括する正式の捕虜収容所に移され、そこに収容される。

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交戦資格のある者のみが捕虜資格を有する。

『戦争と国際法』 城戸正彦著 (国際法学者) P184

捕虜については、捕虜資格を認められる範囲と、捕虜に与えられる待遇が
重要な問題とされるが、捕虜資格は交戦資格をもつ者が捕えられた場合に
認められるもので、両者は不可分の関係にある。

―――――――

『国際人道法』 藤田久一著 (国際法学者) P141

9世紀の後半以降の戦争において不正規兵の戦闘参加の状況が目立つように
なるにつれ、交戦者資格の条件が問われ、その条件をみたす者のみが捕らえ
られた場合に捕虜資格を与えられるという方式が
1874年にブリュッセル宣言案やハーグ規則で採用された。

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リーバー法『アメリカ陸戦訓令』(1863年)
『国際人道法』有菱閣 藤田久一著 P13

「パルチザンは~省略~
公の敵ではなく、それゆえ捕えられれば、捕虜の特殊な資格を有せず、
公道での盗賊または海賊として即決処分されねばならない」(82条)

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軍人である証を捨てれば交戦者特権(=俘虜資格)を失う。

―――――――

『戦時国際法論』 立作太郎著 日本評論社 1931年 P54

正規の兵力に屬する者も、不正規兵中、民兵又は義勇兵團に
必要とする後述の四條件を備へざることを得るものではない。

正規の兵力たるときは、是等の條件は、
當然之を具備するものと思惟せらるるのである。
正規の兵力に屬する者が、是等の條件を缺くときは、
交戰者たるの特權を失ふに至るのである。

所謂交戰者たるの特權の主要なるものは、
敵に捕らへられたる場合に於て、
俘虜の取扱を受くるの權利を有することに在る
(ハーグ陸戰條規第三條第二項参照)。

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「戦争犯罪者」には「俘虜の資格」がない。

『戦時国際法論』 立作太郎著

一国の兵力に属する戦闘員又は非戦闘員が敵に捕へられたる場合には、
(戦時犯罪又は其他犯罪を犯したる場合に非ざれば)
俘虜の取扱を受くるの権利を有すべきことは、
今日に於て明確に認めらるる所である。

―――――――

『国際法新版』 田岡良一著  (小川芳彦改訂) P248-249

第三節 害敵手段の制限、第一項 交戦資格、一 概説

害敵手段は交戦国が正規に任命した軍人によって原則行われる。
交戦国の国民であると中立国の国民であるとを問わず、
また自己の発意によると交戦国政府あるいは軍人の命令によるとを問わず、

私人が、敵国陸海空軍兵力に対する攻撃、敵国領土の占領、
敵国領土内または敵軍の占領地帯内に存在する建物および工作物の破壊、
これにの地帯内における軍事情報の収集、敵船舶および敵航空機の拿捕、
敵国を利する行為に従事する中立船舶
および中立航空機の拿捕等の各種の行為に従事するときは、
敵交戦国の手に捕えられた場合には、戦時犯罪人として処罰される。

これらの行為に従事して、しかも敵に捕えられたとき
戦時犯罪人としての取扱を受けず、捕虜の待遇を受ける者を、
交戦資格ある者という。

―――――――

つまり私人が軍人のような行為を行なって捕まったら
捕虜ではなく戦時犯罪人として処罰される。

しかし軍人が軍人の行為を行なって捕まっても
戦時犯罪人とはならず「捕虜となる資格」がある、という意味である。

戦争中に兵士が敵兵を殺害することは犯罪ではないが
捕まえて捕虜にできるなら捕虜にする。

しかし民間人が敵兵を殺害することは犯罪なのである。

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『国際人道法の再確認と発展』 竹本正幸著

戦闘員が敵の手中に陥ったとき捕虜として保護されるという規則は、
戦闘員の観念と捕虜の観念とを直結せしめ、
両者を同一物の表裏として眺めさせることとなった。

19世紀中の主要な関心が合法的な戦闘員の範囲確定の問題に向けられたのは、
そのためであった。

その傾向は、1899年のヘーグ陸戦規則の構造そのものの中に、
端的に表現されているといえよう。

すなわち陸戦規則の
第一章では、合法的な交戦者資格について規定し、
第二章で捕虜の享有する保護の内容について定めているが、
何人が捕虜とみなされるかについて全く言及していない。

第二章にいう捕虜は、第一章に定められた交戦者であることが
当然のこととして前提されているのである。

―――――――――――――――――

敵兵を捕えた瞬間から捕虜として扱う義務があったのなら、
何人を捕虜とみなすのか検討する必要はなかった。

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『南京事件と戦時国際法』 佐藤和男教授(※国際法学者)

まず初めに、捕虜の定義であるが、支那事変当時日支両国間に
適用されるハーグ陸戦規則には、具体的に示されてはいない。

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戦場において兵士が民間服を着ることは許されない。

『戦時国際法講義』第二巻 P383、P384 信夫淳平氏

敵の制服の擅用禁止に関する本へ号の条句は、
文字の上に不備の点が少なくも二つある。

その一は、本号禁止の制服は単に敵のそれに係り、
中立人の制服又は平服の擅用に関しては何等説及してない。

その二は、本号は単に敵の制服の擅用を禁ずるに止まり、
敵兵が一般に平服を擅用することに関しては、
これ亦明現する所ないことである。

戦場に於て敵兵が常人の平服を擅用することに関しては、
本へ号の上では明晰を欠くも、
本規則(※ハーグ陸戦規約)第一条に於て交戦者たる正規軍の要求する条件の
精神から推して、それは許されざるものと解釈すべきであらう。

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戦争中は仕方がない場合もある。
「戦数(せんすう)=戦時非常事由=交戦条理=クリーグスレーゾン」

▼『日本大百科全書』 「戦数(せんすう)」
クリーグスレーゾン、戦時非常事由または交戦条理といわれることもある。
戦争に際して、交戦国が戦争法規を遵守することによって
重大な利益が危険となるような緊急事態があるときは、
戦争法規の拘束から解放され、
そのような場合の違法行為は違法性を阻却されるという理論。・・・(後略)
http://bit.ly/1Kc8SpC
▼『デジタル大辞泉』 「阻却(そ‐きゃく)」
しりぞけること。さまたげること。
http://bit.ly/1VVexae
▼『デジタル大辞泉』 『違法性阻却(いほうせい‐そきゃく)』
違法と推定される行為について、
特別の事情があるために違法性がないとすること。
http://bit.ly/1RdFMeP

―――――――――――――――――

『南京事件と戦時国際法』 佐藤和男著 (国際法学者)

次に、ハーグ陸戦規則第二十三条(ハ)は
「兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段尽キテ降ヲ乞へル敵ヲ殺傷スルコト」を禁止し、
同条(ニ)は「助命セサルコトヲ宣言スルコト」を禁止している。

しかし、激烈な死闘が展開される戦場では、
これらの規則は必ずしも常に厳守されるとは限らない。

『オッペンハイム国際法論』第二巻の第三版一九二一年)は
「戦闘に伴う憤怒の惰が個々の戦士にこれらの規則を忘却、
無視させることが多い」と嘆いているが、

このまったく同一の言葉が、同書の第四版(一九二六年)にも、
さらには弟六版(一九四〇年)にも、
第七版(一九五二年)にさえも繰り返されている。

学説上では、助命を拒否できる若干の場合の
あることが広く認められている。(P314)

第一は、敵軍が降伏の合図として白旗を掲げた後で
戦闘行為を続けるような場合である。

一般に、交戦法規は交戦国相互の信頼に基づいて成立しているので、
相手方の信頼を利用してそれを裏切ることは、
「背信行為」として禁止されている。

具体的には、休戦や降伏をよそおって相手方を突然に攻撃すること、
戦闘員が民間人の服装をして攻撃すること、
赤十字記章や軍使旗を不正に使用すること、
などがその代表的な ものである。(P314-P315)

なお、優勢に敵軍を攻撃している軍隊に対して、
敵軍が降伏の意思を示すペき白旗を掲げた場合、
攻撃軍の指揮官は、白旗が真に敵指揮官の降伏意思を示すものであると
確信できるまでは、攻撃を続行することが法的に許されており、
攻撃を停止しなければならない義務はなく、
戦場における自己の安全の確保のために
交戦者の主体的判断が尊重される事例となっている。

―――――――――――――――――

『ハーグ陸戦規約 前文』

・・・締約国の所見に依れば、右条規は、【軍事上の必要の許す限り】、
努めて戦争の惨害を軽滅するの希望を以て定められたるものにして、
交戦者相互間の関係及人民との関係に於て、
交戦者の行動の一般の準縄たるべきものとす。・・・

―――――――

『戦時国際公法』 立作太郎著

第四節 戦数

但し緊急の危険を免るる道なき場合には
緊急状態が存在するものにして
戦時法を守らざるも其の行為は免責行為と為るべきものとす。

―――――――

「軍事的必要」や「戦数」や「緊急」の全てを
認めていない国際法学者は存在しない。

戦数(戦争の必数)
http://bit.ly/1P11qFK
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-697.html

━─━─━─━─━─━―━―━―━―━―━―━

日本軍に捕えられた中国敗残兵が無裁判で処断されたから
国際法違反であるという意見への反論。

_/_/_/_/_/

軍法会議の対象は自国の軍人軍属。

戦地・占領地で相手国の軍人・民間人を裁くのは
軍律審判(軍律法廷)である。

軍律は占領軍司令官の自由裁量により制定される。

南京戦時に制定された軍律は、
民間人を対象にした中支那方面軍軍律のみで、
相手国の軍人を対象にした軍律は制定されていない。

ハーグ陸戦法規には、捕えた戦争犯罪者を処罰すべき旨の規定はない。

松井石根・中支那方面軍司令官は、
敵兵を対象とした軍律は制定しておらず、
敗残兵の徹底的な掃討を命じていた。

たとえ軍律が制定されていたとしても、11170人もの大人数を
軍律審判(※軍律法廷)にかける事は能力的に不可能だったと考えられる。

非常に多くの人数が軍律審判の実施を能力的に不可能とした状況は、
「軍事的必要」が認められ、国際慣習法規の妥当性は失われるので、
安全区内における潜伏敗残兵の摘発・処刑は違法行為とはいえない。

--【第41項】『軍法会議』と『軍律審判』--
http://oira0001.sitemix.jp/frame41.html
--【第42項】支那敗残兵と『軍律審判』【前編】--
http://oira0001.sitemix.jp/frame42.html
--【第43項】支那敗残兵と『軍律審判』【後編】--
http://oira0001.sitemix.jp/frame43.html

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『いわゆる「南京事件」の不法殺害』 原剛著

しかし、軍法会議・軍律会議とも本来少人数の違反者を対象にしたもので、
多数の捕虜集団や便衣兵の集団を裁判し
あるいは審判することは能力的に不可能であった。
予想もしない大量の捕虜・便衣兵が発生してこれに対応できなかった点は
斟酌すべき面もあるが、だからといってこれが合法であったとは言い難い。

―――――――

原氏は「審判することは能力的に不可能であった」事を認めている。
しかし同時に、無裁判で処刑した事については
「合法であったとは言い難い」とも述べている。

しかし「法規の遵守を不可能ならしめる」ような事態が発生した場合は、
「法規は交戦国を拘束する力を失う」事がある。

―――――――

『国際法Ⅲ』 田岡良一著 P352

戦争法規は戦時に通常発生する事態における軍事的必要のみを考慮して、
その基礎の上にうち建てられたものであるから、より大きい軍事的必要の
発生が法規の遵守を不可能ならしめることは実際に必ず生ずる。
この場合に法規は交戦国を拘束する力を失う。

―――――――

「軍事的必要」+「法規の遵守を不可能ならしめる事態」
この2つが組み合わさった時、
「法規は交戦国を拘束する力を失う」事になる。

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『昭和史の論点 文芸春秋』 秦郁彦 P96-98

南京でも、形式的にせよ軍律裁判を開けば問題はなかったはずです。
ところが、松井石根軍司令官以下、軍律裁判に無関心だったというのは、
なんとも理解に苦しみます。
―――――――
※形式的:形式だけを重んじ、内容を問題にしないさま。

秦郁彦氏は、南京での裁判は形式的なもので構わなかったと述べている。

―――――――――――――――――

『諸君!』 2001年2月号 『決定版 「南京事件」最新報告』
『問題は「捕虜処断」をどう見るか 秦の発言』

捕虜としての権利がないから、
裁判抜きで殺していいということにはならない。
自然法に照らしても不法でしょう。

―――――――

上記は、いわゆる「便衣兵の処刑」について語ったものだが、
上2つの秦郁彦氏の法解釈をまとめれば、

便衣兵を無裁判で処刑する事は「自然法」に照らせば不法であるが、
裁判自体は「形式的なもの」でよい、
つまり「形式的な裁判」さえ行なえば「自然法」に合致する、
と考えておられる。

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戦時国際法は努力義務(倫理規定)であり、絶対的義務ではない。

捕らえた敵兵を必ず保護しなければならないとなると
大量の兵で偽装の投降をすれば相手国は
その管理に多大な手間を取ることになるため、
相手国の攻撃能力を低下させる戦術が可能となる。

そうなると捕虜をとること自体が自国の不利になるので、
そんな条約を締結するわけがない。
だから各国の自由裁量とされているのである。

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★投降を無条件に認める義務はない。

ハーグ陸戦条約 第3章 軍使

第32条
交戦者の一方が他方との交渉を行うため、
白旗を掲げて来た者を軍使と規定する。
軍使、及び、それに随従する喇叭手、鼓手、旗手、通訳は不可侵権を有す。

第33条
軍使を差し向けられた部隊長は必ずしもこれを受ける義務は無い。

―――――――――――――――――

便衣に着替えて避難しているという事は投降
(「敵対する意思はない」という意思表示)を拒否しているという事です。
投降を拒否している以上「敵対する意思がある」とみなされます。
「戦う」「戦わない」に関係なく、
「敵対する意思がある者」が逃亡を選択した以上、戦闘行為に該当します。

逃亡して自軍に合流しようとする、交戦した日本軍の情報を伝える、
逃亡して日本軍の兵力を捜索に費やさせる事により兵力分散を図る、
すべて立派な戦闘行為です。

それから便衣であれば捕虜として扱う法的根拠が存在しません。
陸軍刑法によれば捕虜として扱われるのは
「帝國ノ權内ニ入リタル《敵國交戰者》
及《條約又ハ慣例ニ依リ俘虜ノ取扱ヲ受クヘキ者》」です。

俘虜取扱規則 明治37年2月14日 陸達 第22号 第1章 通則
第1條
本規則ニ於テ俘虜ト稱スルハ帝國ノ權内ニ入リタル「敵國交戰者」
及「條約又ハ慣例ニ依リ俘虜ノ取扱ヲ受クヘキ者」ヲ謂フ

便衣の敵兵は交戦資格を有しませんので「敵國交戰者」に該当しません。
またハーグ条約に違反する便衣の敵兵を
「俘虜ノ取扱ヲ受クヘキ者」とする慣例も存在しません。

―――――――――――――――――

捕虜になるには投降・降伏しなければなりません。
投降も降伏もしていない以上、ただの「敵兵」です。
また、投降・降伏してきても日本軍がそれを受け入れる義務はありません。
便衣になって投降・降伏を拒否した敵兵が日本軍の攻撃続行によって
死亡した場合、その敵兵は「戦死」したということです。

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■当時、敵兵を拘束した段階では俘虜ではなかった。

ハーグ陸戦条約において、『俘虜』は保護規定が定められていますが、
当時の解釈では『敵兵を捕えた段階』では、
まだ『俘虜』と認められたわけではありませんでした。

その根拠は下記国際法学者の見解と、
歴史学者立川氏の調査結果を読めば明白です。

◆まず、国際法学者の見解によれば、南京戦時においては敵兵を拘束した段階
では『俘虜(=ハーグ陸戦規約により保護規定がある)』とはなりません。

―――――――

『南京事件と戦時国際法 佐藤和夫』

まず初めに、捕虜の定義であるが、支那事変当時、
日支両国間に適用されるハーグ陸戦規則には、具体的に示されてはいない。

―――――――

『国際人道法の再確認と発展 竹本正幸著』

陸戦規則の第一章では、合法的な交戦者資格について規定し、
第二章で捕虜の享有する保護の内容について定めているが、
何人が捕虜とみなされるかについて全く言及していない。

―――――――

『現代戦争法規論 足立純夫著』

1929年の捕虜条約の規定の解釈では、捕獲した敵要員を
いつから捕虜とするかは捕獲国軍隊指揮官の自由裁量とされていたが、
1949年条約はその考え方を根本的に修正し、
敵要員を捕獲した瞬間から最終的にそれらの者が解放送還されるまでの間、
捕虜の待遇を与えるよう、その始終期を判然と定めた(第5条第1項)。

※『判然』 ⇒ はっきりとわかること。

ジュネーブ条約 第5条
The present Convention shall apply to the persons referred to in Article
4 from the time they fall into the power of the enemy and until their
final release and repatriation.
この条約は、第四条に掲げる者に対し、
それらの者が敵の権力内に陥った時から最終的に解放され、
且つ、送還される時までの間、適用する。
―――――――
この条文が追加されたのは何故か?
それは、この条文が追加されるまでは、
敵兵を捉えた瞬間から俘虜待遇を与えると規定されていなかったからである。

―――――――――――――――――

◆歴史学者の調査結果を見ても、当時の日本においては
『陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所』に収容されて始めて
『俘虜』となる事が書かれています。

―――――――

『立川 京一:日本の捕虜取扱いの背景と方針』

日本軍に捕獲された捕虜は、
まず、捕獲した部隊が属する現地軍の管理下にある臨時の捕虜収容所などの
施設に収容され、そのうち正式の捕虜となり得る者は、
陸軍大臣が統括する正式の捕虜収容所に移され、そこに収容される。

―――――――

『日本軍のPOWを扱った機関とその資料 恵泉女学園大学教授内海愛子著』

日本軍では、捕虜とは陸軍大臣管轄下の正規の俘虜収容所に収容されて、
はじめて「俘虜取扱細則」による「正式な俘虜」になり、
捕虜の待遇を定めた条約の「準用」の対象となる。
すなわち俘虜収容所に責任をもつ陸軍大臣(軍政機関の責任者)は、
その管理する収容所における事件の責任は負う。
だが、収容所までの過程での出来事は陸軍大臣の
所管ではないということになる。

―――――――――――――――――

◆また、日本の国内法(※俘虜取扱規則)を見ても、
『俘虜』とは『帝国の権内に入りたる』者であると規定されています。
即ち、戦場で捕えた段階ではまだ帝国の権内には入ってないので、
俘虜として取り扱う事が規定されていなかったのです。

―――――――

舊俘虜取扱規則
(明三七、二、一四 陸達二二)改正加除 明三七陸達一六七、
明三八同七、大三同三一

俘虜取扱規則 第一章 通則

第一条
本規則に於て俘虜と称するは帝国の権内に入りたる敵国交戦者
及条約又は慣例に依り俘虜の取扱を受くべき者を謂ふ。

―――――――――――――――――

どこにも敵兵を捕えた瞬間から俘虜として
扱わなければならなかったとは書かれていません。
また、上記の日本軍による俘虜に対する規定が
国際法違反であったとする見解も存在しません。

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【重要】また、捕虜となった場合であっても、
ハーグ陸戦条約(1907年)やジュネーブ俘虜取扱条約(1929年)には、
「捕虜を裁判にかけなければならない」という規定はありません。

◆1907年ハーグ陸戦条約付属規則のなかで、
「裁判にかけなければならない」と規定しているのは、
間諜(スパイ)に対する処罰のみです。

下記4つがハーグ陸戦条約での裁判に関する事項ですが、
23条と43条はセットで、
捕虜に対するものではなく、相手国の国民に対するものです。

【第12条】
宣誓解放を受けた俘虜であって、その名誉を賭して宣誓を行った政府
又はその政府の同盟国に対して兵器を操って再び捕えられた者は、
俘虜の取扱を受ける権利を失うべく裁判に付せられることがある。

【第23条】
特別の条約により規定された禁止行為以外に、特に下記の物を禁ずる。
(中略)
相手国国民の権利消滅、停止、裁判の不受理の宣言。

【第30条】
間諜(スパイ)の現行犯は裁判を経て罰しなければならない。

【第43条】 占領地の法律の尊重。
国の権力が事実上占領者の手に移りたる上は、
占領者は、絶対的の支障なき限、占領地の現行法律を尊重して、成るべく
公共の秩序及生活を回復確保する為、施し得べき一切の手段を尽すべし。
―――――――
◆1929年ジュネーブ俘虜取扱条約(当時、日本は批准していなかった)には、
捕虜を裁判にかける場合の規定はありますが、
「裁判にかけなければならない」という規定は見当たりません。
※日本は大東亜戦争後の1953年4月21日に閣議決定、10月21日に公布。
―――――――
支那事変は支那から日本軍に攻撃してきて始まりましたが、
両国とも宣戦布告をしていませんので、
そもそも上記2つの条約が適用されるのか議論の余地があるところです。

―――――――

『南京事件と戦時国際法』 佐藤和男教授(※国際法学者)

この1929年ジュネーブ捕虜条約は、
1899年、1907年のハーグ陸戦規則中の捕虜に関する諸規定を
ある程度補足し改善する意義を有していた。
右条約は、支那事変当時、日支両国間の関係には適用されなかった。
支那(中華民国)は1936年(昭和11)年5月に同条約に加入していたが、
日本は未加入であったからである
(本条約は、条約当事国である交戦国の間で拘束力を持つ)。

―――――――

『戦時国際法論』 立作太郎博士(※国際法学者)

第3章 陸戦に於ける俘虜 第1節 俘虜に関する沿革

・・・ハーグの陸戦条規に於て、俘虜に関して、
此趣意に依る規定を見るに至った(同条約第1款第二章参照)。
世界大戦に於て、俘虜の取扱に関して、
交戦国は互いに敵国の措置を非難した。
世界大戦の経験は、俘虜を本国軍人と同様に待遇するの思想が
実行困難なることを教へたるものの如くである。
1929年7月俘虜の待遇に関する条約が結ばれ、
ハーグ陸戦条規の規定に変更を加へたが、我国は未だ之に批准せざるを以て、
主としてハーグ陸戦条規に依り説明せんと欲する。
(※上記の『世界大戦』とは『第一次世界大戦』の事です。)

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『戦時国際法提要(上)』 信夫淳平著 照林堂書店 1943年 P691~692

占領軍の行使する主權は敵國の主權で、自國の主權ではない。

敵國の主權は、その土地が占領地たることより一歩進んで
征服地又は割讓地となつたに非ざる限り、依然そこに存在する。

その存在し而して正當主權者に依るその行使不可能となれる。

敵國の主權をば、占領軍は軍自身の必要と住民の利益のために代行する。
それが占領である。

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憲兵により審問はなされていた。

―――――――

小川法務官の日記

十二月一日

中支那方面軍軍律、中支那方面軍軍罰令
及ビ中支那方面軍軍律審判規則発令セラル…

戦闘中ハ反逆者タル帝国臣民以外ノ人民ニ対シ
直ニ之ニ適当ノ処分ヲ為スコトヲ得シモ
敵国トノ戦闘休止ノ状態ニ至リタルトキハ
戦争中ノ如ク適宜処分スルハ穏カナラザレバ
一種ノ軍政タル本則ニ基キ軍律ニヨリ
帝国軍ノ利益ヲ保護セントスル趣旨ニ出タルモノナリ」(p.90)

―――――――

中支那方面軍軍律審判規則 第十条

本令に別段の定めなき事項は
陸軍軍法会議中特設軍法会議に関する規定に依る。

―――――――

陸軍軍法会議の特設軍法会議の流れ

1.捜査
2.予審(審問)
3.公訴
4.公判

―――――――

第312條
予審の請求は検察官の属する軍法会議の予審官に之をなすべし。

第313條
同一事件に付数個の軍法会議の予審官に予審の請求ありたるときは
高等軍法会議は検察官の請求に依り
決定を以て其の予審官中より予審を為すべき者を指定すべし。

検察官と予審官が必要というのがわかる。

予審機関として
第61條
予審は予審官之を行う。

第63條
特設軍法会議に於いては長官は
陸軍の将校をして予審官の職務を行わしむることを得。

検察機関として
第70條
特設軍法会議に於いては長官は
陸軍の将校をして検察官の職務を行わしむることを得。

このように予審は二人の将校がいれば行うことができる。

そしてこの予審に基づいて、
公訴が行われ、公判が行われて審判がなされる。

公判でも証拠調べができるが、戦地ではほとんど行われず、
予審の取調べの証拠がそのまま判断の基礎になることが多い。

「審判」と違って「審問」は法務官がいなくても
2人の将校(予審官と検察官)が居ればできる。

審問は正確に言えば予備審問、予審であって
起訴すべきか否かを決めるものである。

審判は、たいてい審問の取調べ証拠に基づいてなされる。

憲兵が取調べている以上、審問はされている。

下記の写真は『南京事件』笠原十九司著 岩波新書 P107より
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『「南京事件」笠原十九司著 岩波新書 P107』
上の写真は5000~6000人ということですから、規模的に見て12月16日に
歩兵第7連隊が行った便衣兵摘出の光景と考えられます。
安全区で外見的特長から摘発された容疑者は、
安全区の外側に集められ憲兵による取調べを受けています。
毎日新聞のキャプションでもこの集団は「正規兵」となっていますから、
摘出されたほとんどの者が客観的に兵士に見えたということでしょう。
写真手前側の男が上着の胸をはだけて取調べを受けているのが分かります。
軍隊から支給された下着かどうかのチェックだと思われます。
兵士の多くは坊主頭だったそうです。
実際にこの写真で判別できる範囲の人間も、
ほとんどが坊主頭であることが確認できます。
これにヘルメット焼けや、銃ダコの有無、
その他の身体的特徴が重なった場合は「兵士」と考えたようです。
南京に避難した住民の多くは貧困層で、
首都防衛にあたって大規模な徴兵が行われた事などを考えると、
上記写真に写っている男性が「一般市民」である確立は
かなり低いと考えてよいでしょう。
(南京市民で徴兵された者も、徴兵された以上は兵士であり、
安全区に家族がいて無実を訴えたとしても市民としては扱われない)
実際に現場にいた毎日新聞の記者も「多数の一般市民」とは記しておらず、
逃亡を企てた正規兵とキャプションをつけています。
ということは客観的にみて便衣兵の摘出は概ね妥当に行なわれたと
考えてよいでしょう。誤認逮捕がまったくないという証明はできませんが、
一般市民が多数混ざっていたという根拠はありません。

―――――――――――――――――

『諸君 2002.4』 「ベイツの化けの皮」 東中野修道

市民が日本軍による「残敵掃討」の際に間違って捕らえられたのではないか、
という疑問が出て来よう。
しかし、その疑いは極めて低い。
なぜなら第7連隊は、手のタコや軍帽跡まで調べていた。
その上、
「本15日迄捕獲したる俘虜を調査せし所に依れば
殆ど下士官のみにして将校は認められざる状況なり」
と記して、将校がいないことに注意を喚起していた。
ということは、捕らえられた者が市民か兵士かを厳しく選別したうえ、
兵士とすれば階級まで確認していたことを意味するからである。

―――――――――――――――――

『南京戦史』P387
査閲の方法は、第十六師団参謀長・中沢三夫氏の
『極東裁判における宣誓供述書』によれば、
「日支合同の委員会を構成し日支人立会の上、一人宛審問し又は検査し、
委員が合議の上、敗残兵なりや否やを判定し、常民には居住証明書を交付し、
敗残兵と認定された者は之を上海派遣軍司令部に引き渡した」
ということであるが、師団副官・宮本四郎氏の遺稿によると、
捜査にあたった司令部の大行李長・瀬戸大尉の話として
「ズボンをまくりあげさせ、短ズボンを穿いていた奴は
太股に日焼けの横線がある。此奴は兵隊である。・・・・・・
紛らわしいのは逃亡兵の方に入れる。
それが逃亡兵でない時は、本人が言い張るばかりでなく、
難民区から見に来ている男女中国人が、この男は何町の呉服屋の店員だとか、
これは私の妹の子供だと泣きすがって
哀願する婆さんが現れたりして、決着がつく」と記している。
また、兵民分離査問に立会した
内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、
その実態を次のように述べている。
「中国人の言葉には地方訛りがある。
南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、
言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。
しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。
自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、
一般市民を狩り立てることはなかった。
上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」

―――――――――――――――――

上記のように日本軍は正確に便衣兵の摘出作業を行なっていたのですが、
その便衣兵摘出作業には参加していない、遠くで見ていた日本兵や、
正確な判別作業の現場を よく知らずに手伝った日本兵のなかには、
民間人の男性を処刑しているのではないかと
思い込んだ者もいたかもしれません。

―――――――――――――――――

南京で便衣兵の捜索をする日本軍の憲兵
チェック

88師での便衣兵摘出
http://www.history.gr.jp/~nanking/video01.jpg

南京捕虜収容所
南京捕虜収容所

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▲南京城内は安全区も含めて防守都市であり、
無差別攻撃が可能であった地域である。

▲停戦の合意や適式の降伏があるまでは、戦闘状態である。

▲安全区に侵入した中国兵は、
(戦闘を行っていたかどうかにかかわらず)戦時重犯罪の現行犯である。

▲交戦資格=捕虜資格であり、ハーグ陸戦規則・第1条にある次の4条件が
具備されていない便衣兵に捕虜の資格はない。
1.責任ある指揮者のある集団であること。
2.それとわかる標章・服装を着用していること。
3.公然兵器を携行すること。
4.戦争法を守ること。

【1】軍服を着て戦闘する敵兵 ←攻撃可能
【2】軍服を着て逃走する敵兵 ←攻撃可能
【3】軍服を脱いで逃走する敵兵 ←攻撃可能
【4】軍服を脱いで逃走した敵兵が安全区に侵入 ←攻撃可能

全部攻撃可能です。裁判は必要ありません。
たとえ無差別に攻撃しても合法になります。

―――――――――――――――――

原爆判決(下田事件 下田判決)
http://www.geocities.jp/bluemilesjp/genbaku.html

東京地方裁判所 昭和38年12月7日判決

出典:下級裁判所民事裁判例集 第一四巻第一二号
(二六一 損害賠償請求併合訴訟事件) 41-84頁

(七)それでは、防守都市と無防守都市との区別は何か。

一般に、防守都市とは地上兵力による占領の企図に対し
抵抗しつつある都市をいうのであつて、
単に防衛施設や軍隊が存在しても、
戦場から遠く離れ、敵の占領の危険が迫つていない都市は、
これを無差別に砲撃しなければならない軍事的必要はないから、
防守都市ということはできず、
この場合は軍事目標に対する砲爆撃が許されるにすぎない。

これに反して、敵の占領の企図に対して抵抗する都市に対しては、
軍事目標と非軍事目標とを区別する攻撃では、軍事上の効果が少く、
所期の目的を達することができないから、
軍事上の必要上、無差別砲撃がみとめられているのである。

―――――――――――――――――

南京の場合、占領を企図する地上兵力である日本軍が近接し、
それに対して抵抗しようとする南京防衛軍が存在していたのであり、
南京城内の安全区に、便衣兵が降伏せずに侵入していたので、
安全区を含めた南京城全体が、
軍事上の必要上、無差別砲撃が認められている防守都市だったといえる。

―――――――――――――――――

下記は、1937年12月8日、上海における日本大使館報道官の声明である。

南京城内に設置された安全地帯の境界が判然とせず、
これを管理する国際委員会に
支那軍の安全地帯への侵入を阻止する実力がないことを指摘したうえで、

「昨今の南京発の外国通信は、
いわゆる南京中立地帯の委員なるものの活動状況、
ならびに避難民流入の状況を伝えているが、
日本当局としては実に異常の困難に鑑み、遺憾ながら、
いわゆる安全地帯の設置につき何等の保障を与えることは
能わざりしことは周知のごとくである。
事実、南京の地勢、及び防御状況よりみて、南京はそれ全体として
いわば一大要塞を構成するものというべく、
かかる地域の中にいわゆる安全地帯なるものの存在することは、
むしろ観念上の矛盾といわざるを得ず、
もとより帝国軍隊としては屡次声明の通り外国人の生命財産については勿論、
一般支那人民に対しても、
故意に戦争の惨禍を蒙らしめる意思は毫もない次第である。
南京のいわゆる安全地帯なるものについては、如上の理由に基づき、
何等の保障を与うること能わず。
之に避難する者は総て自己の危険においてなすものと諒解せられたく、
万一戦闘の影響が右地帯に波及するとも、
責任を問わるべき地位に無きことを、
この際、特に鮮明ならしめておきたい次第である」

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◆戦争で兵隊が死ぬ→→→→→→→→→→合法
◆投降時に武装解除を拒否して殺される→合法
◆反抗した捕虜が殺される→→→→→→→合法
◆便衣兵が処刑される→→→→→→→→→合法
◆民間人に被害が出る→→→→→→→→→合法

◆民間人に紛れて選別の為に敵兵力を拘束する→戦闘行為
◆選別に敵兵力が拘束されている間に移動して戦力の再集結を図る→戦闘行為
◆日の丸の腕章を付けて誤認させ自軍の再戦力化を容易にする→戦闘行為
◆日の丸の腕章を付けた民間人を支那兵と誤認させる事によって、
選別の為の敵兵力の拘束時間の長期化を図る→戦闘行為

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支那事変(日中戦争)における日本軍の捕虜政策に関する公文書。

◆参謀本部「対支那軍戦闘ノ参考」(昭和12年7月21日付)
(防衛研究所図書館蔵)
第八捕虜ノ取扱、其一武装解除ニ関スル注意、其ノニ捕虜ノ処置

◆「俘虜取扱ニ関スル規程」(北支那方面軍昭和12年9月10日付)

◆上海派遣軍第13師団司令部 通達 昭和12年10月9日
『戦闘二関スル教示』、「11、俘虜ノ取扱二就テ」
多数の俘虜ありたるときは、之ら射殺することなく、
武装解除の上、一地に集結監視し、師団司令部に報告するを要す。
又、俘虜中、将校は、之を射殺することなく、
武装解除の上、師団司令部に護送するを要す。
此等は軍に於て情報収集のみならず宣伝に利用するものに付、
此の点、部下各隊に、徹底せしむるを要す。
但し、少数人員の俘虜は、所要の尋問を為したる上、適宜処置するものとす。

◆「北支那方面軍俘虜取扱ニ関スル規程(昭和16年11月20日付)
「昭和16年陸支密大日記」第62号の3(防衛研究所図書館蔵)

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『国家権力の解剖 軍隊と警察』 色摩力夫著 P313 (戦時国際法の専門家)

つまり、「軍隊」の権限規定は、「原則無制限」即ち、
「ネガ・リスト」方式である。
明示的に禁止されていないことは何をしてもよいということである。

―――――――

『国民のための戦争と平和の法』 色摩力夫著 P144 (戦時国際法の専門家)

軍隊の権限規定は、「ネガ・リスト」方式ですから、原則無制限です。
国際法で明示的に禁止されていない限り、 法的には何でもできる筈です。
軍事的必要に応じて、刻々変化する客観的情勢に応じて、
いかようにも対処できる筈です。
そうでなくては、軍隊の態をなしません。役に立ちません。
ひょっとすると無用の長物となってしまいます。
法的に明示的に認められていない限り何もできないのであれば、
それは警察であって軍隊ではないのです。

―――――――――――――――――

『国民のための戦争と平和の法』 色摩力夫著 P224

2 国際法の諸原則

一、国際法は、本質的に慣習法です。

「慣習法」というのは、必ずしも慣習が法となったもの
という意味ではありません。
慣習法というのは、その法の本質が慣習であるだけでなくて、
その「形式」も慣習そのものという意味なのです。
つまり、必ずしも法典化されていない、成文法として紙の上に文章として
書かれているとは限らない、いわば不文律ということです。

―――――――――――――――――

故に、不文律の領域においては、
国際法学者がどの様な見解を述べているかが重要となる。

―――――――――――――――――

『上海戦と国際法』 信夫淳平著 1932年 P114

現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、
第一には正規兵、
第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps)にして

(一)部下のために責任を負ふ者その頭に立ち、
(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、
(三)公然兵器を携帯し、
(四)その動作に付戦争の法規慣例を遵守する

といふ四条件を具備するもの
正規兵も是等の条件を具備すべきは勿論である。

―――――――

信夫淳平博士は、日本における国際法の泰斗と称される方である。

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【5】中国軍は投降してきたり負傷して動けない日本兵を、
ほぼ全員殺害していました。ほとんど捕虜を取った事はありませんでした。

【6】ウソの報告を信じた政府や軍の高官たち

南京安全区国際委員会にはウソの報告が多数寄せられ、
それをそのまま確認もせず、
タイピングして日本政府に送ったりしていたので、
それを信じてしまう政府や軍の高官がいました。
それをもとに注意の通達が出されていたのです。
(下記が参考資料です)

『「南京事件」の総括』 田中正明 著 小学館 より

南京安全区国際委員会から日本側への要望や日本軍の非行告発などの窓口は、
当時外交官補佐の福田篤泰(ふくだとくやす)氏であった。

福田氏はのちに吉田首相の秘書官をつとめ、代議士となり、防衛庁長官、
行政管理庁長官、郵政大臣を歴任した信望ある政治家で、
筆者ともに昵墾(じっこん)の間柄である(東京・千代田区在住)。

福田氏は当時を回顧してこう語っている。
「当時ぼくは役目がら毎日のように、
外人が組織した国際委員会の事務所へ出かけた。
出かけてみると、中国の青年が次から次へと駆け込んでくる。

「いまどこどこで日本の兵隊が15、6の女の子を輪姦している」。
あるいは「太平路何号で日本軍が集団で押し入り物を奪っている」等々。

その訴えをマギー神父とかフイッチなど3、4人が、
ぼくの目の前で、どんどんタイプしているのだ。

『ちょっと待ってくれ。君たちは検証もせずに
それをタイプして抗議されても困る。』と幾度も注意した。
時には彼らをつれて強姦や掠奪の現場に駆けつけて見ると、何もない。
住んでいる者もいない。そんな形跡もない。そういうことも幾度かあった。


ある朝、アメリカの副領事館から私に抗議があった。
「下関(シャーカン)にある米国所有の木材を、
日本軍がトラックで盗み出しているという情報が入った。
何とかしてくれ」という。

それはいかん、君も立ち会え!というので、司令部に電話して、
本郷(忠夫)参謀にも同行をお願いし、
副領事と3人で、雪の降る中を下関へ駆けつけた。

朝の9時頃である。

現場についてみると、人っ子一人もおらず、
倉庫はカギがかかっており、盗難の形跡もない。

「困るね、こんなことでは!」とぼくもきびしく注意したが、
とにかく、こんな訴えが、連日山のように来た。

テインパーリーの例の『中国における日本軍の暴虐』の原資料は、
フイッチかマギーかが現場を見ずにタイプして
上海に送稿した報告があらかただと僕は思っている」。

ちなみに、国際委員会書記長スミス博士も、
「ここに記された事件(日本軍非行425件)は検証したものではない」
と述べている。

前記したように、この61通の書簡の中に日本軍の非行行為425件が
記録されており、
この文章は、ティンパーリーの
『戦争とは何か=中国における日本軍の暴虐』と、
徐淑希の『南京安全区當案』に分けておさめられている。

福田氏は現地で、実際に中国人や国際委員会の抗議を吟味して
その内容の多くがでたらめであることを知っているが、
毎回続々と送られてくる日本軍の暴行に対する国際委員会の抗議を
受け取った当時の外務相東亜局の驚きはどんなであったか。

東亜局長石射猪太郎氏は、回顧録『外交官の一生』(読売新聞社出版部)
の中で次のように書いている。
昭和13年1月6日の日記にいう。

上海から来信、南京に於ける我軍の暴状を詳報し来る。
掠奪、強姦目もあてられぬ惨状とある。嗚呼これが皇軍か。
日本国民民心の頽廃(たいはい)であろう。大きな社会問題だ。
(中略)
これが聖戦と呼ばれ皇軍と呼ばれるものの姿であった。
私はその当時からこの事件を南京アトロシティと呼びならわしていた
(前掲同書305~6ページ)。

この文章は虐殺派がよく利用する。

石射氏がこのようなでたらめ抗議を信用し、
軍に反感を抱くにいたったには、それなりの原因がある。

昭和12年12月14日(南京占領の翌日)に開かれた「大本営連絡会議」で、
軍と激突し、次のように憤激している。

「こうなれば案文などどうでもよし、日本は行く処まで行って、
行き詰まらねば駄目と見切りをつける(同日の『日記』より)。
私はむしろサバサバした気持ちになり、反逆的な快味さえ感じた」
(前掲同書300~303ページ)。

このように「反逆的快味」すら感じていた石射氏にとって、
南京における陸軍の失敗は反撃のチャンスでありザマミロということになる。

「南京アトロシティー」は石射氏にとって
陸軍を攻撃する格好の材料であったのだ。

石射氏の陸軍に対する憎しみは反日的情念にまで結びついた感がある。

なにしろ、石射氏のこの回顧録を見ると、始めから終わりまで、
日本と中国の関係を「日中」ではなくて「中日」と記述しているのである。
すなわち中国を主として、日本を従とする思考様式である。

日本国天皇からもらった勲章には「愛想をつかしていた」(同459ページ)
が、
中国からもらった勲章は「光栄とし愉快とする」(同460ページ)
などと臆面もなく書いている。

このような人物が当時の日本外務省の東亜局長だったのである。

脇道にそれたが、最近、一橋大学教授藤原彰氏が
「南京大虐殺」(岩波ブックレット)という本を書いているが、
その論拠に石射氏の回顧録を何よりの証拠としているので、
あえて石射氏の思想的背景を紹介した次第である。

さて、国際委員会が抗議した425件の日本軍非行の中には、
非行でも何でもない事件もあり、
前述のように伝聞、噂話、憶測が大部分であるが、
これらをすべてクロとみて分類すると次の通りである。

殺人 49件
傷害 44件
強姦 361件 (多数3件 数名6件)
連行 390件 (多数1件 数名2件)
掠奪その他 170件

大虐殺などどこにも見られないのである。

渡辺昇一教授によると、
「“南京大虐殺”は英文の文献によると、
Rape of Nanking(南京強姦)となっているのが普通であり、
Massacre(大虐殺)という単語を使っている例はまず見当たらない」
(渡辺昇一著「萬犬虚に吠える」173ページ)という。

ともあれ左記の数字が、12月13日(占領日)から2月9日までの
約2ヶ月間にわたる南京における日本軍非行を記録した
国際委員会の総トータルである。
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-606.html

【7】中国軍の清野作戦(=三光作戦、焦土作戦、燼滅(じんめつ)掃討作戦)

中国軍は敗走時、日本軍が利用できる物を何も与えないようにするため、
民家から食糧など奪える物を奪ったあと、家屋を全て焼払う
「三光作戦」(=清野作戦、焦土作戦、燼滅(じんめつ)作戦)を行なっていた。
(逆らう者は殺害された)

三光とは、搶光・焼光・殺光をさし、
奪い尽くす・焼き尽くす・殺し尽くすの意味である。

井戸には毒を入れる事もあったため、
日本軍は井戸に「ぼうふら」が浮いているかどうかで
毒が混入されているかどうかを判断することもあった。

―――――――――――――――――
「満州」と「支那」を区別するために「中国」表記はしていません。
―――――――――――――――――

支那軍は、上海~南京、
また、南京城壁の周囲1~2キロにある居住区全域と
南京城から半径16km以内にある道路沿いの村落と民家を強制的に焼き払った。
―――――
●ラーベ
1937年11月16日、蘇州では、舞い戻ってきた中国の敗残兵によって、
ひどい略奪が行われたという。
済南の手前にある鉄橋が中国人の手によって爆破されたという。
日本人の進攻を防ぐため。

●第九師団・第36連隊長・脇坂次郎氏
上海から南京に進軍中、我が部隊は常に先頭に立ったが、
沿道の部落の家屋が焼却され、毀損され、
また家屋内が略奪されていたのが相当認められた。
これは支那軍が退却に際し・ホ・破壊した、
支那軍民の常習たる戦時の略奪によるものであると、支那人民から聞いた。

●第九師団・山砲第九連隊・第七中隊長大内義秀氏
わが部隊は、蘇州へ向けて進撃すべく命をうけ、第一線部隊として進み、
蘇州到着までは、ほとんど敵の抵抗を受けなかったが、
蘇州に至る間の部落は酷く焼かれ、屋根のある家は少なく、
住民もいなかった。
このような破壊は、支那軍が退却に際して行ったものと認める。

●第三師団・野砲兵第五連隊・第一大隊観測班長大杉浩氏
上海から南京へ行く途中のある部落で、
稲の堆積されたものが、焼き棄ててあるのを見た。
部落民にその理由を尋ねたところ、
それは支那軍が退却の際、日本軍に渡さない為、焼却したと説明を受けた。

●ミニー・ヴォートリン(南京)
1937年12月6日
UP特派員のマクダニエルがきょう話してくれたところでは、
きのう句容へ行ってみたが、
人が住んでいる村はただの一つもなかったそうだ。
中国軍は村びとを一人残らず連れ出し、
そのあと村を焼き払っているのだ。まったくの「焦土作戦」だ。
1937年12月8日
中国軍に自宅から即時立ち退きを命じられ、
これに従わなければ、反逆者とみなされて銃殺される。
軍の計画を妨害すれば、家が焼き払われる場合もあるそうだ。

『郷土部隊と共に歩んだ「わが青春の中国大陸従軍譚」』片山兵二著(1977)

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『各社特派員決死の筆陣「支那事変戦史」』 後編 (昭和13年12月7日発行)

南翔堅塁脆くも陥つ 【1937年(昭和12年年)11月12日 朝日、園田特派員】

かつては前敵総司令陳誠が駐在し
江南戦線を指揮した敵の中央根拠地南翔は十二日完全に我が手に帰した。
記者は和知、浅間両部隊の奮戦地である約8キロ余の新戦場を辿り
占領直後南翔駅から鎮内に一番乗りした。

つい先程まで前方で物凄い銃砲声が盛んに起っていたのにぴたりと止んだ、
丁度南翔の南方4キロ余の地点姚家屯の部落に差し掛かった時だ。

この一帯が敵の最後の陣地で頑丈な掩蓋壕と戦車の進行を防ぐ
幅一間余の戦車壕が3キロ余に亙って掘られてある、
それから進むともう陣地らしい陣地はない、

この最後の線を抜かれてから敵は周章し其處此處に敵が陣地を
築き掛けているが我軍の追撃が急なため壕も半分堀り掛けて
潰走している有様で如何に両部隊の追撃が激しかったかが窺われる。

★戦いが終ったというので避難していたこの付近の農民は
「支那兵は恐ろしいが日本兵は無茶をしない」
と三々五々打ち連れ早くも我家に帰って来て進軍する我が将士を
道端に土下座をして迎えていたが、
★中には住家を支那兵のために焼かれたり壊されたりして
大声をあげ号泣しているものもあったのは哀れであった。・・・・・

駅から南翔の市街までは石畳のモダンな並木道路が約100メートル、
南翔の市街は北南2キロ、
その中央より稍北寄りに東西両方に街が伸び飛行機型をなしている。
人口は約五万といわれているところ、
★十字型に流れているクリークの橋は悉く支那兵によって破壊されている。

北南のクリークに沿って鎮内を進めば爆撃と砲撃で
町並の家屋が潰され支那人の姿は一人もない、・・・・
★目抜きの商店街に入れば足の踏場もないほどの乱雑さ、
支那兵が敗走する行きがけの駄賃に手当り次第に掠奪して行ったのだろう、
鎮内はまだ敗残兵が潜伏しているというので我兵が掃蕩に努めていたが
天井や竈の中に潜んでいる敵兵が続々と発見されていた。

鎮内には敵の陣地らしいものは全くないが
一歩東方の街道に踏出すとこれが所謂南翔陣地で、
幅20メートル余のクリークに鉄条網をズラリと張りめぐらし
小南翔までの間は塹壕が三重四重と続いている、文字通り難攻の堅塁である。

―――――――――――――――――

南市・南翔完全に占領
【上海東日大毎特電 1937年(昭和12年年)11月12日発】
南市の敵は左翼分子の小児病的指導に
マドリッドの如く守れと煽動されてなお抵抗するので、
我軍は空軍と共に敢然猛撃を浴せ遂に十二日早暁城内を占領掃討中である。

★支那軍は常套手段により各所に放火したため、火災は各所に起っている。
住民は上海四周の支那軍の敗退により平和裡に南市の明渡しを希望していた
にも拘らずこの混乱を招来したので、
南市死守を豪語した支那軍と警察局長蔡勁軍は全く怨府となっている。

これにより大上海の敵は消滅したが、
この指導に力を注いだ抗日共産分子の多くは租界に遁入したものの
漸次租界内の取締が厳重となるにつれ脅威を感じている。

一方全戦局は日本軍に続々有利に進展し北方にては京滬線の南翔駅を陥れ
次いで南翔鎮も12日早朝我が手に帰するに至った。

西南方面では杭州上陸は長駆青浦を陥れ
更にその北方に進出澱山湖畔に達した模様である。
かくて羅店北方揚子江岸より滬杭甬鉄道嘉善付近まで
蜿蜒50哩に亙る一帯は皇軍の支配下に入った。

暴戻な支那軍虐殺に上海の中心街は惨又惨、眼を蔽わしむる修羅の巷だ。
カセイ・ホテルの階段は血に染まり花崗岩の四壁には随所に血潮が飛散り、
東洋一といわれた華麗なホテルも今や全く見る影もない。

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日本の各教科書にみる、いわゆる「南京大虐殺」の記述。

◆東京書籍

戦火は華北から華中に拡大し、日本軍は、同年末に首都南京を占領しました。
その過程で、女性や子どもをふくむ中国人を大量に殺害しました。
(南京事件*注)。

◆大阪書籍

日本軍は、各地ではげしい抵抗にあいながらも戦線を広げ、
首都の南京占領にあたっては、婦女子をふくむ多数の中国人を殺害し、
諸外国に報じられて非難されました(南京事件*注)。

◆教育出版

ナンキン占領の際、日本軍は、捕虜や、子ども、女性などをふくむ
多くの住民を殺害し、暴行を行った(ナンキン虐殺事件)

◆日本文教出版

日本軍はナンキン占領のとき、大ぜいの中国民衆を殺していたが
(南京虐殺事件)、日本の国民には知らされなかった。

◆清水書院

とくに南京占領にさいしては、捕虜・武器を捨てた兵士、
老人・女性・子どもまでふくめた民衆を無差別に殺害した。

◆帝国書院

南京では、兵士だけでなく、女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害し、
諸外国から「日本の蛮行」と非難されました(南京大虐殺)。

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「兵に国際法を教えていなかったのではないか」という指摘に対して。

どこの軍隊でも、下っ端の兵に国際法は教えません。
自軍の規則を戦時国際法に合致するよう作成し、
兵への教育の中でその規則を教えます。
士官教育では国際法(慣習法)、戦時国際法(成文法)も
教えているようです。
現実問題として兵は出来の良い者ばかりではなく、
法理論など教えても皆が理解することは困難です。
普段、法を扱わない普通の人に
難解な法理論を言っても理解できない人が多いでしょう。
ですから、やって良い事、いけない事という規則で教育するのです。
だれでも覚えられ、理解でき、
守ることができるように考えられているのです。
したがって、兵に国際法(正確には戦時国際法陸戦法規)
を教えていなくても国際法の遵守は可能なのです。

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「南京大虐殺」を簡単に説明すると・・・

支那事変の南京戦での、いわゆる「南京大虐殺」と称されているものは、
簡単にいうと、戦争中に日本軍が中国軍の兵士を殺害したり、
戦闘に巻き込まれて犠牲になった南京の民間人もいたという話です。

大虐殺でも事件でもありません。

戦争で敵兵を殺害することは普通のことですし、
民間人が巻き込まれることもあります。

中国兵は何のために便衣(民間服)に着替えたのでしょう?
民間人だと思わせておいて攻撃してくるかもしれないのです。

戦闘中に便衣兵なのか民間人なのか、
一人一人、裁判を開いて判断していくわけにはいきません。
敵が組織的に降伏していない「戦争中」だったのです。

ある敵兵は降伏の気持ちがあるかもしれない、
しかし、ほかの敵兵は戦う気があるかもしれない。
そうはいっても戦争中に一人一人の敵兵に対応してはいられません。
便衣兵の掃蕩作戦中に一人一人の裁判を開いている暇はないのです。

前進したり、後退したり、隠れたりしながら戦うのが戦争です。
「敵が攻撃してきているときだけしか敵を攻撃してはいけない」
というのは、おかしな話です。

多くの敵兵が侵入している安全区もろとも砲撃しても良かったのですが、
それをせず、危険を承知で日本軍は
便衣兵の摘出作業(兵民分離作業)をおこなったのです。
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http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/8312/img062.gif

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中学【自虐】歴史教科書に反論!
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-615.html

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いわゆる南京大虐殺・URL図書室
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-518.html

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【まとめ】いわゆる「南京大虐殺」について http://bit.ly/1PidJgM
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-504.html
戦数 http://bit.ly/1P11qFK
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-697.html

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2009/01/01 21:00|年表リンク用資料
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