正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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1855年、日露通好条約(下田条約)

1855年(安政2年)2月7日に日露通好条約が締結された。
この条約で、日本とロシアは初めて両国の境界を確定した。

この条約によって北方四島(歯舞、色丹、国後、択捉)は日本の領土とされ、
国後島の北方のウルップ島からカムチャッカ半島の
すぐ南の占守島(しゅむしゅとう)まではロシアの領土とされた。

つまり、日露の国境は択捉島とウルップ島の間(つまり北方領土の北側)に
置くことが決められたわけだ。

樺太は日露の共同領有(雑居地)とされた。

このため2月7日は「北方領土の日」とされている。
2010/03/09 06:00|年表リンク用資料
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