正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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南京大虐殺の背景

『南京事件・戦時国際法上合法説の詳解』より引用
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/

南京大虐殺 (本来ならば南京事件問題とする方が政治色がなく妥当)

南京大虐殺は、中ソ共産党( 西安事件 )やナチスドイツにそそのかされて、
蒋介石が上海に攻め入ったことが、そもそもの発端です( 第二次上海事変 )。

よく日中戦争は盧溝橋事件から始まったといわれていますが、
それは疑問です。

戦争とは偶発な事件が発端で行き当たりばったりで
引き起こされるのではなく、綿密な計画によって遂行されるものだからです。
事変ではなく日中戦争という言葉をつかうのでしたら、
全面戦争に突入した 第二次上海事変 からとすべきです。

当時、南京と上海の間には、
第一次世界大戦の経験から改良されたトーチカ要塞線が
網の目のように張り巡らされていました( ゼークトライン )。

これは、国民党の軍事顧問であるナチスドイツ将校らによって、
上海停戦協定 を中国側が破って作られていました。
中国は、事前に日本と全面戦争をしようと準備していたのは明白です。

中国は、このトーチカ線に日本軍をおびきだし、消耗させる作戦でしたが、
当時の日本軍の参謀たちをはじめ、
この要塞線を突破するとは誰も予想していなかったみたいです。
この第二次上海事変では、日本軍の5~10万の兵力に対し、
中国軍は兵力を30~60万人も投入したといわれています。
外交ではドイツルートで和平工作が開始されていました
( トラウトマン工作 )。

しかし、すべての人の予想に反し、
現地日本軍は、この要塞線を見事突破してしまいます。

前線が崩壊したため、中国軍は総崩れとなり南京に退却していき、
それを日本軍が追いかけていきました。

中国兵が上海から南京に退却する途中、逃亡する大勢の中国兵による、
一般民に対する略奪暴行等があったのは、間違いがありません。
しかし、このような中国に都合の悪い所業は、
戦後すべて日本軍がやったことになりました。

南京大虐殺や日中戦争は、
中国の責任によるところが大であるにもかかわらず、
現在ではその責任を追及しようとする中国側の学者はいません。
この点に関しては日本側も同様で、
喧嘩両成敗という言葉を忘れているみたいです。

日本軍が南京に到着する直前に、
蒋介石を初め首脳陣は南京を見捨てて重慶に逃亡します。

さすがにナチスドイツ軍事顧問団も南京を巻き込んでの戦争には
反対しますが、蒋介石の命令を受けた南京防衛軍総司令官の唐生智は、
日本軍の降伏勧告を突っぱねて、南京防衛戦を敢行します。
南京の四方を焼き払い焦土作戦を敢行し、
城内外で漢奸(日本側のスパイ)狩りをして、住民を処刑したりしました。

このようにして、南京は戦場になったのですが、
この戦場のド真ん中に、安全地帯を作った人達がいます。
これが、安全区委員会と呼ばれ、リーダーがナチスドイツ党員のラーベです。

安全地帯は、完全なる中立が求められるのですが、
守備陣地のド真ん中に作られたので、
日本側は、安全地帯とは認めませんでした。

しかも、戦場と中立地帯の境界があいまい、管理もずさんで、
南京攻略戦がはじまると、多数の敗残兵が一般市民の服を奪い取って、
安全区に逃げ込みました( 便衣兵摘出問題の原因)。

この南京の中に安全地帯を設けたのは、明らかに安全区委員会のミスです。
そしてこの時、南京に居た人たちは
遠方に逃げることができなかった貧民層でしたが、
彼らを肉の盾として逃亡の時間稼ぎとして使った中国軍の責任も大です。

日本軍の南京占領後、安全区委員会のメンバーは
責任を問われ全員罷免されますが、戦後彼らは責任を
すべて日本軍に負わせるため、ありとあらゆる方法で日本軍を貶めました。

これらは第一次近衛内閣にて行われており、
以後日中戦争は泥沼化することになります( 近衛上奏文 )。

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南京事件・戦時国際法上合法説の詳解
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-512.html
戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断
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戦争法の基本問題
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原剛氏による虐殺否定論者に対する批判についての考察と反論
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2008/12/27 18:00|年表リンク用資料
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