正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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南京事件・戦時国際法上合法説の詳解

『南京事件・戦時国際法上合法説の詳解』より引用
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/

■戦時国際法上合法説

事実の証明・確定について、多くの日記や証言等は十分に史料批判が
なされていないとして安易に証拠価値を認めず、
最早現在では完全な事実の証明は不可能としつつも、
当時のハーグ国際法を解釈することによって日本軍は合法的に処理したとし、
虐殺に当たる行為は否定されると主張する説。

軍事目標主義 (ハーグ25条)においては、
南京城内は安全区も含め防守地域であり、
この地域に無差別に攻撃をしたとしても合法だとする
(一般市民の犠牲があった場合は、戦死に準じた扱いとする)。

にもかかわらず、日本軍は、安全区には無差別攻撃を仕掛けず、
安全区に侵入した中国軍の便衣兵の個別の選別・摘出行為に出たと主張する。

また、 便衣兵の摘出・処刑 について、
憲兵により摘出が行われている事実が認められ、
この事実に上官の命令に基づいて処刑がなされているならば、
日本軍は、裁判( 軍律会議 )を行っていると主張する。

南京事件の原因 は、第二次上海事変を起こした蒋介石や、
日本軍の降伏勧告を無視した唐生智、
安全区に侵入した中国便衣兵、侵入を許した安全区委員会にあるとする。

■軍事目標主義
地上兵力による占領の企図に対し
抵抗しようとする(防守)都市に対しては無差別攻撃が許されるが、
無防守都市においては戦闘員及び軍事施設(軍事目標)に対してのみ
攻撃が許され、非戦闘員及び非軍事施設(非軍事目標)に対する
攻撃は許されず、これに反すれば当然違法な戦闘行為となるという原則。

■根拠条文:ハーグ陸戦規則第25条

「防守サレサル都市、村落、住宅又ハ建物ハ、
如何ナル手段ニ依ルモ、之ヲ 攻撃又ハ砲撃 スルコトヲ得ス。」

■防守都市の要件
【1】占領を企図する地上兵力が近接していること
【2】敵の占領に対し抵抗しようとする勢力が存在すること

■防守都市であった場合
無差別攻撃が許される。
(理由)
敵の占領の企図に対して抵抗する都市に対しては、
軍事目標と非軍事目標とを区別する攻撃では、
軍事上の効果が少く、所期の目的を達することができないから。

■1937年12月の南京は防守都市か?

【1】占領を企図する地上兵力が近接していること。
日本軍の存在。

【2】敵の占領に対し抵抗しようとする勢力が存在すること。
南京防衛軍の存在。

A. 南京は防守都市であったことは、否定しようがない。

Q.では、南京城内に設けられた安全区はどうか?
【1】の要件は充たす、
【2】の要件は充たすか?
便衣兵を始めとする敗残兵が
降伏せずに侵入しているので、この要件も充たす。

A. 南京安全区も防守都市である。
(なお下記「12月8日上海における日本大使館報道官声明」参照)

■12月8日、上海における日本大使館報道官声明

南京城内に設置された安全地帯の境界が判然とせず、
これを管理する国際委員会に支那軍の安全地帯への
侵入を阻止する実力がないことを指摘し、
「昨今の南京発の外国通信は、いわゆる南京中立地帯の
委員なるものの活動状況、ならびに避難民流入の状況を伝えているが、
日本当局としては実に異常の困難に鑑み、遺憾ながら、
いわゆる安全地帯の設置につき何等の保障を与えることは
能わざりしことは周知のごとくである。

事実、南京の地勢、及び防御状況よりみて、
南京はそれ全体としていわば一大要塞を構成するものというべく、
かかる地域の中にいわゆる安全地帯なるものの存在することは、
むしろ観念上の矛盾といわざるを得ず、

もとより帝国軍隊としては屡次声明の通り外国人の生命財産については勿論、
一般支那人民に対しても、
故意に戦争の惨禍を蒙らしめる意思は毫もない次第である。
南京のいわゆる安全地帯なるものについては、
如上の理由に基づき、何等の保障を与うること能わず。

之に避難する者は総て自己の危険においてなすものと諒解せられたく、
万一戦闘の影響が右地帯に波及するとも、
責任を問わるべき地位に無きことを、
この際、特に鮮明ならしめておきたい次第である」と声明した。

■日本軍は、安全区に対して無差別攻撃を仕掛けたか?
(なぜラーベの「感謝状」なのか?)

A. 仕掛けていない。

いわゆる ラーベの感謝状
「私どもは 貴砲兵部隊が安全地帯に砲撃を
加えなかった立派な遣り方に感謝し、安全地帯の中国人一般市民の
保護に関する今後の方策について貴下との接触を確立するために、
この手紙をお送りしております。」

(第一号南京日本軍司令官への手紙一九三七年十二月十四日付、
執筆者は安全地帯国際委員会委員長のジョン・ラーベ氏)

Q.なぜラーベの「感謝状」なのか?

A.防守都市で無差別攻撃が可能であった安全区に対し、
日本軍は砲撃による無差別攻撃を自制したことを
証明する重要な文書であるから。

それは同時に、南京城内で数万人規模の虐殺が行われ得ないことの状況証拠
でもある(中国の主張する城内30万人虐殺説の有力な否定証拠である)。 

なぜなら、手っ取り早く虐殺するには、一か所に集まっている安全区に
砲弾で無差別攻撃を仕掛ければ済むからである。
日本軍は一般市民を虐殺する意図は
持っていなかったと完全に証明できる文書なのである。

この文書があるおかげで、数万以上の虐殺を主張する説は、
日本軍は砲弾を使わず、一人一人日本刀などを使って数万人殺したと、
間抜けな論を展開せざるを得ないのである。

ゆえに、ことさら感謝状というところに難癖をつけて、
この文書の本当の重要性を覆い隠し、
この資料の価値をすり替えようと姑息な努力をしているのである。

しかもこの努力は、無知な一般人に対し、ある程度報われている
(一般人は軍隊経験もなく軍事目標主義などというものは知らない)ので、
残念なところである。

■便衣兵の摘出・処刑

【結論から言えば、便衣兵の摘出・処刑については、合法 である。】

以下の事実を評価せずに行った日本軍に対する
非難のすべては妥当性をもたない 。

それは、【1】南京城内は安全区も含め防守地域であり、
この地域に無差別に攻撃をしても合法であった事実
(ハーグ25条・軍事目標主義) と、
【2】日本軍は、安全区の無差別攻撃を自制し(ラーベの感謝状参照)、
安全区に侵入した中国軍の便衣兵の
個別の選別・摘出行為に出たという事実である。

これらの事実が認められる以上、
日本軍は賞賛されこそすれ 非難される理由が皆無であるといえる。

一言でわかりやすくいうならば、
たとえ日本軍の処置に問題があったとしても、
それが無差別攻撃を回避したがために起因し、
より少ない不利益であるのなら許容されるべき。ということである。

※佐藤論文では、軍事的必要概念をもって、日本軍の行為を正当化するが、
私個人的には、無差別攻撃を自制した人道的見地 から、
それ(無差別攻撃)以下の行動が許容されるのではないかと考える。
この考えを認めなれば、
軍隊が人道的な行動を取る機会を狭めることにならないだろうか。

むしろ 非難されるべきは 、安全区に侵入した中国軍・便衣兵 や、
侵入を許し杜撰な管理を行った 安全区委員会 だろう。

【南京における便衣兵の問題点】

【1】軍服を脱いだこと。
【2】安全区に侵入したこと。←戦時重犯罪の現行犯
(ハーグ23条ロ号違反)
特に、【2】については、従来の議論が全くなされていないところである。 

【便衣兵の摘出・処刑についての各主張に対する反論】

【【1】】便衣兵は、いなかった。

百聞は一見に如かず。便衣兵はいました。

南京城内中山路に集められた中国軍投降兵たち。
南京城内中山路に集められた中国軍投降兵たち。
撮影した特派員は、
「避難民にまぎれて逃亡を企てた約五千~六千名の正規兵」
と説明している。
手前右に日本軍野戦憲兵の姿がみえる。毎日新聞社提供。

■『南京戦史資料集』P550

◆六旅団作命甲第138号 12月13日午後4寺30分

◆南京城内掃蕩要領
3、遁走する敵は大部分、便衣に化すると判断せられる をもって、
その疑いがある者はことごとく検挙し適宜の位置に監禁す。

◆掃蕩実施に関する注意
1、軍司令官注意事項を一兵に至るまで徹底せしめたる上、
掃蕩を実施すべし。

2、外国権益の建物を敵がこれを利用しある場合の外、立ち入りを厳禁す。
重要なる箇所には歩哨を配置すべし。

3、掃蕩隊は残敵を掃蕩を任とし必ず将校(准尉を含む)の
指揮する部隊をもって実施し、下士官兵以下、各個の行動を絶対に禁ず。

4、青壮年は全て敗残兵または便衣兵とみなし、全てこれを逮捕監禁すべし。
青壮年以外の敵意の無い支那人民、とくに老幼婦女子に対しては
寛容の心をもって接し、彼らをして皇軍の威風に敬迎させよ。

【【2】】便衣兵・ゲリラと呼ぶのは正しくない。
「便衣」とは平服という意味。軍服の対義語。
「便衣兵」とは、平服を着た兵士。ゲリラ兵のこと。
便衣兵であるかどうかにつき、
兵士が実際に戦闘をしているかどうかは関係ない。
このような解釈は 詭弁 である。
よって、軍服を着ていない兵士を便衣兵=ゲリラと呼ぶことは正しい。

◆国際法辞典 筒井若水編 ゲリラ (抜粋)
伝統的な戦時国際法は、戦闘員資格をもつ正規軍による
敵対行為だけを適法とし、文民等その資格を欠くものはもとより、
正規兵であっても不正規軍の適法な構成員資格を
満たさない者の敵対行為は交戦法規に照らして違法としてきた。

【【3】】便衣兵は、ハーグ第23条ハ号に該当し攻撃することは出来ない。
第23条 特別ノ條約ヲ以テ定メタル禁止ノ外特ニ禁止スルモノ左ノ如シ
ハ 兵器ヲ捨テ又ハ自衛ノ手段盡キテ 降ヲ乞ヘル 敵ヲ殺傷スルコト
(c) To kill or wound an enemy who, having laid down his arms,
or having no longer means of defence,
has surrendered at discretion ;
便衣兵が、降伏したという歴史的事実は存在しない。
そもそも「降ヲ乞ヘル」のに軍服を脱ぐ必要性はまったくない。
便衣兵は、ハーグ第23条ハ号に該当せず攻撃することができる。

【【4】】便衣兵は、戦意がない敗残兵だった。
便衣兵は、降伏していない以上、軍事目標である。
戦意があったか否かではなく、降伏していたか否かで判断すべき。
下記の証拠からも戦意が無かったとは認められない。
以上から、かかる主張自体失当である。

【歩兵第七連隊の南京城内安全区掃蕩成果】
◆敗残兵の刺射殺数 6,670人
◆敗残兵から鹵獲した戦利品 
15センチ砲2門 同弾薬約600発
20センチ砲8門 同弾薬約1000発
小銃960挺 同実包39万発
水冷式重機関銃12挺
軽機関銃33挺
拳銃103挺 同弾薬261,350発
高射砲1門
高射機関銃1挺
山砲6門 同弾薬82発
迫撃砲10門 同弾薬57,218発
戦車4台 戦車砲弾39,000発
銃剣320挺
青竜刀2,020振
手榴弾55,122発
対戦車砲2門
機関砲1門
自動貨車16台
便衣服2,300着
夏衣袴25,300着

【【5】】戦闘は終了していたので、便衣兵を攻撃することはできない。
戦闘が終了したかどうかは停戦の合意の有無によって決まる(ハーグ第36条)
南京攻略戦前後において、両軍が停戦の合意をした歴史的事実はない。
よって、戦闘は終了していたとはいえず、
軍事目標たる便衣兵に対し攻撃を加えることができる。

■便衣兵を処刑するためには裁判(軍律会議)が必要か?
【便衣兵がゲリラであることについての拙稿】
2ch南京スレ テンプレより 一部修正

ネット上ではよく、摘出された便衣兵(便衣化した正規兵)は、
【戦闘】状態ではなかったから捕虜の資格を
保持しているという主張が見受けられます。
この点について拙稿ですが、反論と整理をしていきたいと思います。

まず、前提として、便衣の状態で【戦闘】行為を行っていた場合には、
交戦資格を得られないことは、
両者の間では異論は無いことを確認しておきたいと思います。

一応理由を簡単に言っておきますと、
戦時国際法においては、軍民分離原則を採用しているところ、
正規兵が一般人と見分けのつかない便衣の状態で交戦しますと、
相手側の軍隊は、正規兵と一般市民の見分けがつかなくなるため、
一般市民への被害が出てしまうことを防止するために
法は便衣戦術を禁止した趣旨であると思います。
(他には、攻撃目標を明確にすることにより、戦闘の早期終結を図る)。

問題は、【戦闘】行為とはどういう状態であるか【戦闘】の定義 が、
両者の間でずれがあり問題になっていると思います。

便衣兵に捕虜の資格があると主張する説は、
便衣の状態で具体的な害敵手段を起こした段階で捕らえた場合にのみ
捕虜の資格を得られないと極めて限定的にとらえています。

これに対して、便衣兵に捕虜の資格はないと考える説は、
これより広い概念でとらえ、抽象的に戦闘状態であるときととらえています。
これはハーグ陸戦協定を根拠とすることができます。

第五章 休戦

*第36条:休戦は、
交戦当事者間の合意をもって作戦行動を停止するものとする。
期間の指定なき時は、交戦当事者は、
いかなる時点においても再び交戦を開始する事が可能である。
ただし、休戦条件に順じ、所定の時期にその旨を通告すべきものとする。

*第37条:休戦は、全般的、もしくは部分的に行うことを可能とする。
前者は、交戦国の作戦動作を停止し、
後者は特定地域において交戦軍のある部分間を停止するものとする。

休戦(戦闘状態の停止)というのは
36条によって両者の合意が必要であると規定しております。
また、37条に、特定地域において交戦軍は
戦闘を停止するということができるとあるので、
南京に限定して、休戦ということは可能ということになります。

南京戦において、両軍が休戦の合意が
成立していないということは歴史的事実です。
また中国側の南京守備隊が
全面降伏(ハーグ35条)した歴史的事実もありません。

休戦が成立したとしても期限の定めが無い場合には
相手に通告していつでも攻撃再開できます(ハーグ36条2項)ので、
そもそも休戦が成立していない場合には、
両軍はいついかなるときにでも攻撃することは可能な状態にあるといえます。
つまり、休戦も降伏もしていない南京の守備隊(兵士)がいる時点において、
南京は依然戦闘状態であるといえるのです。

降伏していない軍服を着ている兵士は、
そのまま攻撃を加えることができるのに対し、
便衣の人間を一般市民か兵士か吟味して
その後に攻撃しなければならないとすれば、便衣兵戦術は有効な手段となり、
一般市民を盾とする便衣兵戦術を防止できず、
一般市民を戦闘にまきこむのは明白であります。
これは文民保護を定めているハーグ法の趣旨に
反することになり妥当でないと考えます。

(そもそも南京は防守地域(ハーグ25条)だったので、
軍民無差別攻撃が認められており、
日本軍による軍民選別の法的義務は存在しません。
降伏勧告を無視し南京を戦場にした中国側の責任は
大変重いものと考えます。)

以上から、降伏も休戦もしていないのに
便衣の兵士が保護される法的根拠は皆無であり
便衣兵はゲリラであると結論づけられると思います。

小川法務官の日記には、以下のように記されています。
「◎十二月一日
中支那方面軍軍律、中支那方面軍軍罰令
及ビ中支那方面軍軍律審判規則発令セラル…
戦闘中ハ反逆者タル帝国臣民以外ノ人民ニ対シ
直ニ之ニ適当ノ処分ヲ為スコトヲ得シモ
敵国トノ戦闘休止ノ状態ニ至リタルトキハ戦争中ノ如ク
適宜処分スルハ穏カナラザレバ
一種ノ軍政タル本則ニ基キ軍律ニヨリ帝国軍ノ利益ヲ
保護セントスル趣旨ニ出タルモノナリ」(P90) 

ここから、 戦闘中においては、軍律裁判は不要。
戦闘休止状態になって初めて軍律裁判が必要であるといえます。

南京攻略戦においては、休戦協定は結ばれていませんので、
軍律裁判は不要であったと結論付けられます。
ただ、入場式以後*は掃討作戦は一段落しており、
休戦状態と同様の状態とみなし、軍律裁判は必要と考えます。

(*修正:戦闘詳報には24日まで掃討作戦は続いていた模様よってそれ以降)
(*再修正:大本営が中支那軍の戦闘序列を
解いた1938年2月14日が南京攻略戦の終了にあたる)

日本軍もおおよそそのような処置がなされたのではないかと考えます。

【【6】】便衣兵は、捕虜として扱うべきだった。
便衣兵は、捕虜の資格要件(ハーグ第3条)であるところの、
戦闘員の資格の要件(ハーグ第1条参照)を充たしていない。
よって便衣兵を、捕虜として扱うべき義務はない。
(正規兵は無条件で捕虜資格が与えられる。)

『戦時国際法論』 立作太郎 日本評論社 1931年 P54
上述の正規の兵力に属する者も、不正規兵中、民兵又は義勇兵団に
必要とする後述の四条件を備へざることを得るものではない。
正規の兵力たるときは、是等の条件は、
当然之を具備するものと思惟せらるるのである。
正規の兵力に属する者が、是等の条件を欠くときは、
交戦者たるの特権を失ふに至るのである。

『上海戦と国際法』 信夫淳平 丸善 1932年 P114
現交戦法規の上に於て認めらるゝ交戦者は、第一には正規兵、
第二には民兵(Militia)及び義勇兵団(Volunteer Corps)にして
(一)部下のために責任を負ふ者その頭に立ち、
(二)遠方より認識し得べき固着の特殊徽章を有し、
(三)公然兵器を携帯し、
(四)その動作に付戦争の法規慣例を遵守するといふ四条件を具備するもの
(正規兵も是等の条件を具備すべきは勿論である)

◆ハーグ陸戦規則
第一章 交戦者の資格
第1条:戦争の法規、権利、義務は正規軍にのみ適用されるものではなく、
下記条件を満たす民兵、義勇兵にも適用される。
1.部下の責任を負う指揮官が存在すること。
2.遠方から識別可能な固有の徽章を着用していること。
3.公然と兵器を携帯していること。
4.戦争法規を遵守していること。

第2条:未だ占領されていない地方の民間人が、
敵軍の接近に伴い第一条を充たす(軍隊等を)編成する猶予なく
応戦するために公然と兵器を携帯し、
戦争法規を遵守している場合は交戦者の資格を有する。

第3条:交戦当事者は、戦闘員、非戦闘員をもって(部隊を)編成を
編成することが認められ、俘虜となった場合、
双方とも等しく俘虜としての扱いを受ける権利を持つ。

◆国際法辞典 筒井若水編

ゲリラ (抜粋)

伝統的な戦時国際法は、戦闘員資格をもつ正規軍による
敵対行為だけを適法とし、文民等その資格を欠くものはもとより、
正規兵であっても不正規軍の適法な構成員資格を
満たさない者の敵対行為は交戦法規に照らして違法 としてきた。

戦闘員 (抜粋)

国際法上、適法な害敵手段によって敵を攻撃し
(敵対行為に正当に従事でき)、敵に捕らえられた場合は、
犯罪人としてではなく、捕虜としての待遇をうける権利をもつもの。

【【7】】便衣兵は、武装解除して一旦捕らえたら、
捕虜として扱わなければならない。

武装解除して一旦捕らえた者は、
すべて捕虜として扱わなければならない義務の規定は1937年当時存在しない。
この義務が規定されたのは
1949年ジュネーブ第三条約(捕虜の待遇に関する条約)
第5条1項後段?2項?からである(1953年10月21日日本国効力発生)。

【佐藤論文抜粋】
一九二九年捕虜条約をさらに大幅に改善し拡大した
一九四九年のジュネーブ第三条約(捕虜の待遇に関する条約)の第五条は、
「本条約は、第四条に掲げる者〔捕虜の待遇を受ける資格のある者〕に対し、
それらの者が 敵の権力内に陥った時から最終的に解放され、
且つ送還される時までの間、適用する」、
「 交戦行為を行って敢の手中に陥った者が
第四条に掲げる部類の一に属するか否かについて疑いが生じた場合 には 、
その者は、その地位が権限のある裁判所によって決定されるまでの間、
本条約の保護を享有する」と規定している。

一九四九年捕虜条約は、一九二〇~三〇年代の捕虜に関する国際法規に
比較して飛躍的に進歩した内容を示していて、
もちろん支那事変当時の関連諸問題に直接影響を与えるものではないが、
少なくとも右の第五条に見られる 「敵の手中に陥った者」のことごとくが
「敵の権力内に陥った者」
(捕獲国から国際法上の捕虜としての待遇を保証された者)
とは限らないことを示唆している 点において、注目に 値しよう。

【【8】】便衣兵を処刑するためには裁判(軍律会議)が必要である。
戦闘中においては、軍律裁判は不要。
戦闘休止状態になって初めて軍律裁判が必要。

【小川法務官の日記】
「◎十二月一日
中支那方面軍軍律、中支那方面軍軍罰令
及ビ中支那方面軍軍律審判規則発令セラル…
戦闘中ハ反逆者タル帝国臣民以外ノ人民ニ対シ
直ニ之ニ適当ノ処分ヲ為スコトヲ得シモ
敵国トノ戦闘休止ノ状態ニ至リタルトキハ戦争中ノ如ク
適宜処分スルハ穏カナラザレバ
一種ノ軍政タル本則ニ基キ軍律ニヨリ帝国軍ノ利益ヲ
保護セントスル趣旨ニ出タルモノナリ」(P90)

■軍律会議

軍法会議法
http://ja.wikisource.org/wiki/%E9%99%B8%E8%BB%8D%E8%BB%8D%E6%B3%95%E4%BC%9A%E8%AD%B0%E6%B3%95

手続の流れ
【1】捜査
【2】予審(予備審問) ←公訴提起するかどうか調べる。
第六十一條、予審は予審官之を行う。
第六十二條、予審官は法務官中より長官之を命ず。
第六十三條、 特設軍法会議 に於いては
長官は陸軍の将校をして予審官の職務を行わしむることを得。

第六十八條、検察官は法務官中より長官之を命ず。
第七十條、特設軍法会議に於いては
長官は陸軍の将校をして検察官の職務を行わしむることを得。

【3】公訴
【4】公判(審判)←軍律審判のこと。
日本の予審制度の下においては、
予審調書が公判における証拠として認められており、
証拠価値は高いものとされていた。(wikiより)

極秘
中方軍令第一号
中支那方面軍軍律左記の通定む
昭和十二年十二月一日
中支那方面軍司令官 松井石根
中支那方面軍軍律

第一条 本軍律は帝国軍作戦地域内に在る帝国臣民以外の人民に之を適用す

第二条 左記に掲ぐる行為を為したる者は軍罰に処す
一、帝国軍に対する反逆行為
二、間諜行為
三、前二号の外帝国軍の安寧を害し又は其の軍事行動を妨害する行為

第三条 前条の行為の教唆若は幇助又は予備、陰謀若は未遂も又之を罰す。
但し情状に因り罰を減軽又は免除することを得

第四条 前二条の行為を為し未だ発覚せざる前
自首したる者は其の罰を減軽又は免除す

極秘
中方軍令第二号
中支那方面軍軍罰令左記の通定む
昭和十二年十二月一日
中支那方面軍司令官 松井石根
中支那方面軍軍罰令
第一条 本令は中支那方面軍々律を犯したる者に之を適用す
第二条 軍罰の種類左の如し
一、死
二、監禁
三、追放
四、過料
五、没取
軍罰の軽重は前項記載の順序による
(第三条~第九条略)
第十条 二箇以上の犯行あるときは其の軍罰を併科し
又は一の重き軍罰のみを科することを得

極秘
中方軍令第三号
中支那方面軍軍律審判規則左記の通定む
昭和十二年十二月一日
中支那方面軍司令官 松井石根

中支那方面軍軍律審判規則

第一条 軍律会議は軍律を犯したる者に対し其の犯行に付之を審判す
第二条 軍律会議は上海派遣軍及第十軍に之を設く
第三条 軍律会議は之を設置したる軍の作戦地域内に在り
又は其の地域内に於いて軍律を犯したる者に対する事件を管轄す
(中略)
第四条 軍律会議は軍司令官を以て長官とす
第五条 軍律会議は審判官三名を以て之を構成す
審判官は陸軍の将校二名及法務官一名を以て充て長官之を命ず

第六条 中華民国人以外の外国人を審判に付せんとするときは
方面軍司令官の認可を受くべし

第七条 軍律会議は審判官、検察官及録事列席して之を開く
第八条 軍律会議に於て死を宣告せんとするときは長官の認可を受くべし
第九条 軍罰の執行は検察官の指揮に依り憲兵をして之を為さしむ

第十条 本令に別段の定めなき事項は
陸軍軍法会議中特設軍法会議に関する規定に依る

【【9】】便衣兵は、無裁判で処刑された。

【1】無裁判で【2】処刑されたという事実は、未だ証明されていない。
何を根拠にこのような主張ができるのか、しているのか、
正直私には理解不能である。

冒頭で示した写真から見てもわかるとおり、
憲兵が便衣兵を一人一人取調べているにもかかわらず、
それ以後なんの手続が行われず、無裁判であったという主張は破綻している。

2ch南京スレにおいて、以下のようなカキコが見られた(一部表現を修正)。

裁判が無かったという証拠はもちろん根拠すら提示されない。
中支那方面軍司令部は国際法遵守の為、
国際法顧問として斉藤良衛博士を帯同していた。

南京戦史に「摘出処断」と記されている。

ラーベの日記にも即決の軍事裁判が行われた事が記されている。(再修正)
一般兵士ではなく、「憲兵」による調査が行われている写真が存在する。
中支那方面軍法務部が司令部の到着に先立ち、
早くも12月14日に到着している。
日本軍にもちゃんと法務官がいた。

東京裁判でも「軍法会議にかけて処断したのが
誤って虐殺したと伝わったのではないか」と証言されている。

南京国際委員会の第37号文書第185件にも
日本軍の処刑を「合法な処刑」と記載されている。

憲兵が実際に行動しているのだから、「司法」がかかわっている。
特設軍法会議や軍律裁判では通常裁判記録を取らないのだから、
「裁判記録が無いから裁判が無かった」等の主張は妥当でない。

これだけの根拠が有るにもかかわらず、
「裁判がなかった」等と言うのは明らかにオカシイ。
普通、ある資料が無ければ他の傍証を当たる物だが、
大虐殺肯定派がそれを頑なに拒むのは
「傍証をあたれば裁判があった可能性が高いという結論になってしまう」
からに他ならない。

●なぜ大虐殺肯定派は
「便衣兵の裁判は軍律ではなく軍法によって行われる」と主張するのか?

答えは簡単、便衣兵の裁判は軍律によって行われる事を認めてしまうと
日本軍は便衣兵の裁判を
【現地司令官に裁量権があり、運用の自由度が高い軍律】
で適法に行った蓋然性が高い事になってしまうからです。

反対に軍隊の制定権限から分離され、
国会で制定される軍法会議法・軍法は厳格な運用が要求されます。
http://www.iris.dti.ne.jp/~rgsem/mcourt.html
(軍法会議と軍律法廷の詳しい説明)

●憲兵 (日本軍)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%86%B2%E5%85%B5
憲兵(けんぺい)とは、大日本帝国陸軍において陸軍大臣の管轄に属し
主として軍事警察を掌り兼て行政警察、司法警察を掌る兵科区分の一種。

【【10】】軍民をきちんと分けなかった。

裁判(軍律会議)を行い、
軍人か一般市民かを厳格に分けろという主張であるが、
そもそも、兵民分離義務があるのは、
攻撃される側にあって、攻撃する側にはない。

また、軍律会議の手続によっても、
軍民をきちんと分ける事は不可能であり
(そもそもこういうことを目的とした裁判ではない)、
この主張の要求に答えられる国は、当時世界に存在しない。 
よって主張自体が失当である。

佐藤論文 結論

その一は、「安全区」に遁入・潜伏して、便衣(民間人の平服)に
変装した支那兵の摘出・処断である。
(その具体的な人数等に関しては、
『南京戦史』 三四二~三四三頁の第五表に詳しい)。

右の安全区は、南京在住の第三国人有志が十二月初めに
南京安全区国際委員会という非政府機関を設立して、
南京城内の特定区域(三・八平方㌔)を難民のための中立地帯として設定し、
外交ルートを通じ日本側にもその保証を求めてきたものである。(P316)

国際法でいう中立地帯とは、交戦国間の合意に基づいて設定され、
敵対行為に参加しないか、
または戦闘外に置かれた非戦闘員・住民を軍隊の作戦行動の影響から
保護することを目的とするものであるが、
日本軍当局は、右委員会の中立性維持能力を危ぶんで、
この安全区を正規の中立地帯として公式に承認することはしなかったが、
軍隊の立入禁止区 域の設定という趣旨は諒として、
事実上安全区の存在を尊重する-

もちろん、支那軍による同様の尊重が必須の条件とされたが
-ことにしたのであった。(P316-P317)

南京城内外での激戦の結果、
安全区内に遁入・潜伏する支那敗残兵の数は少なくなかった。

一般に武器を捨てても(機会があれば自軍に合流しようとして)
逃走する敵兵は、投降したとは認められないので、攻撃できるのである。

安全区に逃げ込んだ支那兵は、投降して捕虜になることもできたのに、
それをしなかったのであり、残敵掃討が諸国の軍隊にとって
むしろ普通の行動であることを考えると、敗残兵と確認される限り、
便衣の潜伏支那兵への攻撃は合法と考えられるが、
安全区の存在とその特性を考慮に入れるならば、
出入を禁止されている区域である安全区に逃げ込むことは、

軍律審判の対象たるに値する戦争犯罪行為(対敵有害行為)を
構成すると認められ、安全区内での摘発は現行犯の逮捕に等しく、
彼らに正当な捕虜の資格がないことは既に歴然としている。

兵民分離が厳正に行われた末に、
変装した支那兵と確認されれば、死刑に処せられることもやむを得ない。
多人数が軍律審判の実施を不可能とし(軍事的必要)―
軍事史研究家の原剛氏は、多数の便衣兵の集団を審判することは
「現実として能力的に不可能であった」と認めている―、

また市街地における一般住民の眼前での処刑も避ける必要があり、
他所での執行が求められる。
したがって、問題にされている潜伏敗残兵の摘発・処刑は、
違法な虐殺行為ではないと考えられる。

【【11】】軍事的必要概念は否定されている。

戦数も復仇も1937年当時、完全に否定されるものではない。

佐藤論文はかく語りき、戦数・復仇

1、戦数論とは

国家の緊急事態(戦争の目的達成や重大な危険からの回避等)においては、
戦争法を破っても違法ではないとする説。

しかし、これを無制限に認めると戦数論の名の下に
人道主義を没却することになり問題である。

また、そもそも戦争法は、人道主義とともに国家の緊急事態を規定した
ものであるから、現在では条文に規定がある場合を除いて否定されている。

戦数論を否定するには、様々な国家の緊急事態について
戦争法が規定していることが絶対条件であるが、
第二次世界大戦以後、ジュネーブ条約・追加議定書等により、
大幅に戦争法が改善・補強されたことも現在否定されている根拠となる。

2、1937年南京事件時の戦数論の学説状況

1937年当時において、戦数論の学説の全体的な潮流としては、
否定する方向に流れていたが、肯定する学者もドイツを中心に存在していた。
なぜなら当時においては、戦争法の規定が未だ不十分であり、
国家の緊急事態を十分に網羅していなかったからである。

特に、捕虜に関する規定は、第一次世界大戦を経て捕虜に関する規定が
不備・不明確であることが判明し、1929年ジュネーブ捕虜条約にて、
改善・補強されることになった。
(さらに第二次世界大戦を経て
1949年ジュネーブ第三条約で大幅に補強された)。

このような背景から、
捕虜に関する規定について当時の学説も様々に展開されていた。

3、ラサ・オッペンハイム 戦数論否定の限界-ハーグ23条-

戦数論の否定論者として代表的な学者に、
L・F・L・オッペンハイム(1858-1919)が挙げられる。

しかし、彼の著作『オッペンハイム国際法論』第二巻
(永きにわたり戦時国際法の専門的な解説書として高く評価されてきた)
において、およそ次のように書かれていた。

「投降兵の助命は、次の場合に拒否しても差し支えない。
第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
第二は、敵の戦争法規違反に対する報復として、
第三は、緊急必要の場合において、すなわち捕虜を収容すれば、
彼らのために軍の行動の自由が害せられて、
軍自身の安全が危うくされる場合においてである。」
(第三版1921年)同書第四版(オッペンハイム死後)以降の改訂者は、
同規則の存続は「信じられない」との意見を表明している。

このように、戦数論否定論者の代表者であっても、
捕虜に関しては戦数論や復仇を認めざるを得なかったことは、
当時の戦争法が不完全であった証であるといえる。
同様の記述が日本の国際法学者においても見られる。

「故ニ戦數説ハ採用スルコトヲ得サルモノトス 但シ報仇及自衛權ノ
發動ト認ムヘキ場合ハ事實戦争法規違反ノ行動ヲ爲スモ
敢テ非難スヘキモノニ非サルコト勿論ナリ 」
「国際法提要」P315~316(遠藤源六 清水書店 1933年)

4、結論
日本は、捕虜を復仇の対象とすることを禁止する等を定めた
1929年ジュネーブ捕虜条約を1937年当時批准していない。
戦数論は完全には否定できず、復仇も許される。
これらのファクターは南京事件を議論するうえで排除できないであろう。

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南京大虐殺の背景
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-511.html
戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-513.html
戦争法の基本問題
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原剛氏による虐殺否定論者に対する批判についての考察と反論
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2008/12/26 18:00|年表リンク用資料
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