正統史観年表

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『戦争法の基本問題』田岡良一著 126p

『南京事件・戦時国際法上合法説の詳解』より引用
http://www21.atwiki.jp/nankin1937/

要するに、戦数を論ずるに当つて之を否定する諭者も、
個々の戦争法規を解説するに当つては、
軍事的必要によつて法規の拘束が
解かれる場合の在ることは認めざるを得ないのであり、
彼等の唱へる「軍事的必要によつて法規から離れることが許されるのは、
法規が明示的に之を許す條款を含む場含に限られる」と言ふ断定を、
自ら打破って居るのである。
かゝる矛盾の生じた理由を我々は反省して見なければならない。

133-134p
從來戦時國際法の著述を書く者は、屡々其の序論的部分に於いて、
戦数に関する一勧を設け、肯定説又は否定説を主張した。

そして此の場合に、肯定論者は、
一般に戦争法規は軍事的必要によつて破られる、と唱え、
否定論者は、一般に戦争法規は、軍事的必要約款あるものを除き、
軍事的必要によつて破るを許さず、と唱へるのを常とした。

併し私の信ずる所によれば、 軍事的必要と戦争法の効力との関係に就いて、
斯かる概括的一般的な立言をなすことは危険であつて、
問題は個々の戦争法規の解釋に移されねばならぬ 。

曾つて著はした戦争法の綜合的著述に、
私は序論的部分に於いて一般諭として戦数を説かずして、
個々の法規に就いて軍事的必要によつて破られる場合を、
法規の存在理由と對照しつゝ説明する方針を採つた。

斯く普通の體系と異る方針を採つた所以を、
其の著書中に説明する餘裕がなかつた爲に省略したが、
講壇に於いては数年來説き來つたことであつて、
今囘機會を得て、愚稿を公けにすることにしたのである。

田岡良一『国際法Ⅲ』P347
またオッペンハイム国際法の戦時の部にも
「投降者の助命は、次の場合に拒否しても差支えない、
第一は、白旗を掲げた後なお射撃を継続する軍隊の将兵に対して、
第二は、敵の戦争法違反に対する報復として、
第三は、緊急必要の場合において(in case of imperative necessity)
すなわち捕虜を収容すれば、彼らのために軍の行動の自由が害せられて、
軍自身の安全が危くされる場合においてである」という一句がある。

|但しオッペンハイムの死後の版(第四版)の校訂者マックネーアは、
第三の緊急必要の場合云々を削り去り、その後の版もこれに倣っている。

恐らく校訂者は、この一句が戦数についてオッペンハイムの論ずるところと
両立しないと認めたからであろう。両立しないことは確かである。

しかし陸戦条規第二十三条(ニ)号の解釈としては、右のオッペンハイム
およびウェストレークの見解が正しいことは疑いを容れない。

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戦数論 田岡説は否定されているか?

戦数に関する田岡説を端的にあらわす記述は、以下であると思われる。

しかるに戦争法規は軍事的必要と人道的要求との
一定の釣合の上に成立するものであるから、戦争法規について、
法規の存在の理由に鑑みて法規が妥当しない場合というのは、
つまりこの均衝が破られ、軍事的必要が他の要素に優越する場合である。

戦数肯定論者が
「戦争法規は通常の場合には遵奉せられ得、
またされなければならないものであるけれども、
とくに強い軍事的必要が生じた場合には、この軍事的必要は法規に優先する」
と言うのが、この事理を表現しようとするものであるならば、
彼らの考えは根底において誤っていない。

しかし彼らはその説の支持点を緊急権の理論に求めようとしたところに、
基礎の選択を誤ったのであって、前に述べたように、
緊急権の観念は戦争法のなかに予め含まれているものであり、
この法を更に緊急権に基づいて侵犯することを許そうとするのは
理論的誤謬であるばかりでなく、こういう基礎が採られた結果 、
いかなる場合に重大な軍事的必要に基づいて
交戦者が戦争法規の拘束から解かれるかは、
個々の法規の解釈である、とは説かれないで、
一般に戦争法規は軍事的必要によって破られる、
という概括的な漠然たる立言がなされた。

こういう一般的な表現の下ではこの説は乱用の危険ある説となる。
戦数否定論は、右のように誤って基礎づけられ、
誤って表現せられた戦数論に反対して立ったものであって、
戦争法規の解釈の問題として、
強い軍事的必要が法規の妥当性を失わしめる場合に
生ずることも否定しようとしたものではないことは、
彼らの戦争法の著述を通じて、
各法規に対する彼らの解釈を観察すれば明らかである。

従って彼らの内心に抱く観念は本来正しいのであるが、
彼らがこの観念を表現するに当たって
「総て戦争法規は、法規自身が明示的にこれを許す場合の外、
軍事的必要によって破られ得ない絶対的効力を持つ」
と唱えたことによって誤りを生じた。

法規が「軍事的必要条項」を含まないものであるときにも、
軍事的必要によって妥当しない場合は多く、
彼らの戦争法の著述自身もこのことを証明するからである。

要するに不用意な表現方法が
両説をして共に誤解を招く説たらしめたのであって、
もし「戦争法規は戦時に通常発生する事態における
軍事的必要のみを考慮して、その基礎の上にうち建てられたものであるから、
より大きい軍事必要の発生が法規の遵守を
不可能ならしめることは実際に必ず生ずる。

この場合に法規は交戦国を拘束する力を失う。
具体的にどういう場合がこれに当るかは、
個々の法規の解釈の問題として決定されねばならなぬ 」
という言葉によって表現せられたならば、
この説には、戦数論を否定した諸学者といえども賛成せざるを得ないと思う。
この意味において戦数は肯定さるべきものと思う。

田岡良一『法律学全集57 国際法3(新版)』P351-352

太字に書かれてあることをまとめて見ると、
戦争法規は戦時に通常発生する事態における軍事的必要のみを考慮して、
その基礎の上にうち建てられたものである。

Q1 戦争法規が通常考慮していないような、
より大きい軍事的必要性が起きた場合はどうするのか?

A1 この場合には戦争法規は交戦国を拘束する力を失う。

Q2 具体的にどういう場合がこれに当るのか?

A2 個々の法規の解釈の問題として決定されねばならなぬ。

ということになる。これに対し、
http://kknanking.web.infoseek.co.jp/mondai/sensuu/sensuu.html
によれば、反対論として藤田久一『国際人道法』P65を挙げ、
田岡説は否定されていると説く。
果たして本当だろうか?

藤田久一『国際人道法』P65
しかし、この軍事必要概念も戦数と実際上区別し難く、
結局戦数論と選ぶところがなくなってしまうと思われる。
そもそも、戦争法、人道法の諸規定は軍事必要により
多くの行動がすでに許容される武力紛争という緊急状態において
なお遵守が要請されるものであるから、
それらの規定は予め軍事必要を考慮に入れたうえ作成されている。

したがって、条約規定中、とくに、「緊急な軍事上の必要がある場合」とか
「軍事上の理由のため必要とされるとき」といった条項が挿入されている場合
を除き、戦数や軍事必要を理由にそれらを破ることは許されない。

このいわば戦数否定論は、
ユス・コーゲンス的色彩の濃い人道法の性質に照らしても、
またジュネーブ条約の規定や米英の軍事提要の動向
(The Law of Land Warfare,FM27-10[1956] sec.3;
The Law of War on Land,The War Office[1958],sec.633)
からみても正当であるといえよう。

この記述も同様にまとめてみると

藤田久一『国際人道法』P65
戦争法、人道法の諸規定は
--中略--
予め軍事必要を考慮に入れたうえ作成されている。
→ゆえに戦数否定論
(条約規定中、とくに、「緊急な軍事上の必要がある場合」とか
「軍事上の理由のため必要とされるとき」といった条項が挿入されている場合
を除き、戦数や軍事必要を理由にそれらを破ることは許されない。)
→ユス・コーゲンス的色彩の濃い人道法の性質、
ジュネーブ条約の規定や米英の軍事提要の動向によって正当化されている。

戦数否定論の根拠として

藤田久一
「戦争法、人道法の諸規定は
-中略-
予め軍事必要を考慮に入れたうえ作成されている。」

(参考)筒井若水
「もともと、戦時国際法は、
-中略-
最初から必要事由が組み込まれていると見れば、
とりたててこれを認めるまでもない。」

を挙げているのにすぎないのに対して、田岡説は、

Q1 戦争法規が通常考慮していないような、
より大きい軍事的必要性が起きた場合はどうするのか?
といった、戦数否定論に限界があることを問題提起しているのである。

この問題について、上記「藤田久一『国際人道法』P65」の記述は、
なんらの言及をしていない。

(参考)筒井若水
「緊急事由は、自衛権・緊急行為として、
別途用意されていると見ることも可能である。」

また、冒頭の「 軍事必要概念 」も、予め戦争法規に考慮された軍事必要、
田岡説にいう「 戦時に通常発生する事態における軍事的必要 」
と同義であり、
とすれば冒頭の記述をもって田岡説が否定されるとも言えないだろう。

以上から、藤田久一『国際人道法』P65 の記述が、
田岡良一『法律学全集57 国際法3(新版)』P351-352
を否定しているとは言えない し、反対論として不適切である。

なお藤田説は、第二次世界大戦後に成立した国際法等を前提に
論を展開しており、法の不遡及の見地から、
1937年当時において、そのまま引用することは妥当でないと考える。

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南京大虐殺の背景
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南京事件・戦時国際法上合法説の詳解
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戦闘中に集団で捕えられた敵兵の処断
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原剛氏による虐殺否定論者に対する批判についての考察と反論
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2008/12/24 18:00|年表リンク用資料
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