正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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アメリカ西進の軌跡

国際派日本人養成講座 Japan On the Globe (14) 平成9年12月5日 より転載
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h9/jog014.htm

■1.日米戦争をアメリカ側から見る■  
 
12月8日の真珠湾攻撃で、日米戦争は始まった。
アメリカは"Remember Pearl Harbor(真珠湾を忘れるな)"
をスローガンに立ち上がったのだが、
ここに至る過程をアメリカ側から見てみよう。  

"Remember"のスローガンが、繰り返し出てくるのである。  
 
■2.1835 Remember Alamo■  
 
かつてテキサスはメキシコの領土であった。
そこに入植したアメリカ人は1835年に独立運動を起こし、
翌年、155人の守備隊がアラモ砦に立てこもったが、
メキシコ軍の攻撃により全滅した。  
 
アメリカ人達は"Remember Alamo"を合い言葉に戦いを続け、
翌年、独立を勝ち取った。
アメリカはこれを46年に併合し、
さらにカリフォルニアを狙って、メキシコに宣戦布告、勝利を得た。  
 
この戦争の結果、アメリカは現在のアリゾナ、カリフォルニア、  
コロラド、ニュー・メキシコ、ネバダ、ユタ、ワイオミング各州に  
あたる地域をメキシコから奪取した。
この結果、メキシコは領土の半分以上を失った。  

■3.1894 ハワイ■  
 
1881年(明治14年)、
アメリカによって独立を脅かされていたハワイ王国のカラカウワ王は、
日本を訪れ、姪のカイウラニ姫の婿として山階宮定麿王をお迎えし、
日本の力でハワイの独立を守ってもらいたい、
と明治天皇に申し入れをした。
明治天皇はアメリカとの摩擦をおもんばかって、丁重にお断りした。  
 
1894年、入植していたアメリカ人は武力でハワイ王国の支配権を奪取し、
アメリカ人宣教師の息子ドールを大統領とするハワイ共和国を作った。
アメリカ合衆国はこれを4年後に併合する。  
 
■4.1898 フィリピン: Remember Maine■  
 
1898年、スペインへの抵抗運動が続くキューバにおいて、
アメリカ人保護を目的としてハバナ港に停泊していた戦艦メーン号が
突如爆発、沈没し、乗員260名全員が死亡した。

アメリカはこれをスペインの謀略として、
"Remember Maine"を合い言葉に開戦し、勝利を得た。  
 
キューバは独立を果たしたものの実質的にアメリカの保護国となった。

フィリピンも一時スペインから独立したが、結局アメリカの植民地となった。

さらにアメリカはこの戦争で、プエルトリコ、グアム島を奪取している。
(1969年にアメリカ海軍当局は、メーン号の爆破は
エンジン部分の故障による爆発だったとの調査結果を公表している。
しかし、アメリカ自身の仕業という疑惑も消えていない。)  

■5.Manifest Destiny(明白なる天意)■  
 
このように西へ西へと勢力を広げるアメリカの意図はどこにあったのか。
当時の証言を引用しよう。  
 
マハン(米海軍大学の戦略研究家、セオドア、フランクリン、
両ルーズベルト各大統領がマハン理論を信奉した)は、
「海の支配力の歴史に及ぼす影響」という著書のなかで
次のように言っている。  
 
大海軍の建造がまずアメリカにとって重要だ、

二番目には世界各地に植民地を獲得する必要がある。

三番目には、そのために海軍が世界各地に軍事基地を設けなければならない。

それを踏まえてアメリカは世界貿易に雄飛すべきであり、
その対象はとりわけて中国市場に目を向けなければならない。」  
 
ベバレッヂ上院議員は、1900年に国会で次のような演説をしている。  
 
「我々は東洋におけるわれわれの機会を放棄しない。
我々は神によって世界の文明を託されたわが民族の使命を
遂行するにあたってわれわれの役目を放棄しない。・・・
今後我が国最大の貿易はアジアと行われるにちがいない。
太平洋は我々の大洋である。・・・中国はわが国本来の消費者である。」  
 
Manifest Destiny(明白なる天意)という言葉がある。
ベバレッヂ上院議員の「神によって世界の文明を託されたわが民族の使命」  
とは、この事である。

アメリカは、自らが非白人劣等民族の領土を植民地化することによって、
文明をもたらすことを神から与えられた「明白なる天意」と称した。  
 
メキシコ、ハワイ、そしてフィリピンへと
領土拡張を進めたアメリカの軌跡は、
まさしくこの「明白なる天意」の周到着実なる実行である。  

■6.オレンジ計画:対日戦略プログラム■  
 
1897年、日清戦争のわずか二年後に、アメリカは日本を仮想敵として、
対日戦略プログラム「オレンジ計画」を策定した。

この計画は、以後、定期的に改訂を重ね、50年後に実行に移された。
1911年には、次のように書かれている。  
 
もっとも可能性の高い状況は、日本がアメリカの封じ込め政策を終わらせ、
同時に自国の通商航路を防衛しながら側面海域を
現在および将来の攻撃から守っていこうとするものだ。

そうすることは必然的にフィリピン、グアム、
そして多分ハワイまで占領して
合衆国を西太平洋から駆逐することになるであろう。  
    
より困難な状況の下で、米国は独力で日本を満洲から撤退させるべく、
大陸への介入ではなく、海上の作戦によって戦うことになるだろう。

それによって制海権を握り、失地を回復し、  
日本の通商路を抑え息の根をとめることになるだろう。
 
1911年は大正元年、この時にすでに満洲に関する日米の確執を予言し、
中国市場を独占するために、日本を封じ込めて暴発させ、  
「息の根をとめる」までのシナリオが正確に描かれている。
真珠湾攻撃のちょうど30年前である。  
 
■7.Remember!■  

日本はまさしくこのシナリオ通りに追いつめられ、暴発し、
そして息の根を止められた。

日本が降伏した日に、ニューヨーク・タイムスは
「太平洋の覇権を我が手に」と題して、次のような記事を載せた。  
 
「我々は初めてペルリ以来の願望を達した。もはや太平洋に邪魔者はいない。
これで中国大陸のマーケットは我々のものになるのだ」
 
こうしたアメリカが、東京裁判では日本を侵略国として裁き、
そして「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しよう」と謳う日本国憲法を与えたのである。
その厚顔ぶりは他国の真似できる所ではない。  
 
民主主義の国アメリカは、国民を説得するために、国際政治においても、
常に過剰な道徳や正義を持ち込む習性を持つ。

Rememberも、Manifest Destinyも、
国民をリードするための政治的スローガンなのである。
正義の「建前」と冷静着実な国益追求の「本音」とが、
これほど乖離している国も珍しいのである。  
 
アメリカは現在、日本の大切な友邦である。
しかし、つきあう上では、この点を忘れてはならない。

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日本から見た歴史認識
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2008/11/30 18:00|年表リンク用資料
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