正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

ホーム 全記事一覧 << 関東大震災直後の、いわゆる「朝鮮人虐殺」について。 ★「支那」呼称について★満洲★清★辛亥革命~第一次国共合作 >>
1911年(明治44年)10月10日、辛亥革命

日露戦争のあと、日本と清国の関係は良好だった。

1900年の北清事変(義和団の乱)の時にロシアに奪われていた満州を
日露戦争で日本が清朝に取り返してやったために
清国は日本に友好的になっていたのだ。

清朝は支那で十数世紀も続いた科挙を廃止し、
日本に留学することによって高級官僚になれる資格とした。

このため、優秀な支那人が数万人も日本に留学した。
その中に孫文らがいた。
孫文は、日本の近代化を見て、
自分たち(支那人、漢民族)も清国から独立したいと考えた。

孫文が唱えた「滅満興漢」というスローガンは、
「満州を滅ぼして漢(支那)を興す」という意味で、
孫文の革命運動というのは本質的には独立運動である。

1911年(明治44年)、武昌で革命軍が挙兵し辛亥革命が起こった。
孫文はアメリカから帰国した。

つまり、孫文は革命が勃発したとき現場にはいなかったのだ。
孫文は、翌年1912年(明治45)1月1日、
南京で中華民国の建国を宣言し、臨時大総統に就任した。

〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓

清室優待条件
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-647.html
2008/11/20 09:00|年表リンク用資料
Copyright(C) 2006 正統史観年表 All Rights Reserved.
Powered by FC2ブログ. template designed by 遥かなるわらしべ長者への挑戦.