●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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根本博・陸軍中将
終戦後もソ連軍は満州や中国での侵攻を止めず、 在留邦人や日本軍を苦しめた。 駐蒙軍司令官だった根本博・陸軍中将は武装解除を拒否して 日本軍守備隊に戦闘を命じ、ソ連軍の攻撃を食い止めながら、 居留邦人4万人を乗せた列車と線路を守り抜いた。 根本博・陸軍中将 ![]() 以下、Wikipediaより抜粋 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%B9%E6%9C%AC%E5%8D%9A 1944年11月、駐蒙軍司令官に就任。 翌1945年8月のソ連軍の満州侵攻は、8月15日の日本降伏後も止まらず、 同地域に滞在していた同胞4万人の命が危機に晒されていた。 ソ連軍への抗戦は罪に問われる可能性もあったが、 生長の家を信仰していた根本は『生命の実相』より そのような形式にとらわれる必要はないと考え、 罪を問われた際は一切の責任を負って 自分が腹を切れば済む事だと覚悟を決め、 根本は「理由の如何を問わず、陣地に侵入するソ軍は断乎之を撃滅すべし。 これに対する責任は一切司令官が負う」と、 日本軍守備隊に対して命令を下した。 途中幾度と停戦交渉を試みるもソ連軍は攻撃を止めず、 部下将兵は必死にソ連軍の攻撃を食い止めながら、 すさまじい白兵戦をも乗り越え、 更に八路軍(中国共産党軍の前身)からの攻撃にも必死に耐え、 居留民4万人を乗せた列車と線路を守り抜いた。 8月19日から始まったソ連軍との戦闘はおよそ三日三晩続いたものの、 日本軍の必死の反撃にソ連軍が戦意を喪失した為、 日本軍は8月21日以降撤退を開始、最後の隊が27日に万里の長城へ帰着した。 出迎えた駐蒙軍参謀長は 「落涙止まらず、慰謝の念をも述ぶるに能わず」と記している。 一方、20日に内蒙古を脱出した4万人の日本人は、 三日三晩掛けて天津へ脱出した。 その後も引揚船に乗るまで 日本軍や政府関係者は彼らの食料や衣服の提供に尽力した。 引揚の際、駐蒙軍の野戦鉄道司令部は、 引き揚げ列車への食料供給に苦心していたとされる。 8月17日頃から、軍の倉庫にあった米や乾パンを先に、 沿線の各駅にトラックで大量に輸送していた。 また、満州では関東軍が8月10日、居留民の緊急輸送を計画したが、 居留民会が短時間での出発は大混乱を招く為に不可能と反対し、 11日になってもほとんど誰も新京駅に現れず、 結局、軍人家族のみを第一列車に乗せざるを得なかった。 これが居留民の悲劇を呼んだと言われる。 尚、前任の下村定陸軍大将が最後の陸軍大臣になった事を受けて8月19日、 北支那方面軍司令官を兼任する。 1946年8月、根本は最高責任者として、在留邦人の内地帰還はもちろん、 北支那方面の35万将兵の復員を終わらせ、最後の船で帰国した。 |
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