正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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1919年4月15日、いわゆる「堤岩里虐殺事件」

朝鮮半島で1919年3月1日に始まった「三・一独立運動」は
当初、デモ行進、烽火示威、同盟休校、同盟罷業、独立請願、閉店などの
平和的な手段によって行なわれていたのだが、
次第に暴動の様相を呈していき、警察署・村役場・小学校等が襲われ、
放火・投石・破壊・暴行・惨殺も多数行われ、暴徒化していった。

朝鮮京畿道水原郡(現在の華城市)では、
警察の駐在所が襲撃、破壊されて日本人警官2名が殺害され、
面事務所、郵便局、駅、金融組合、日本人小学校、日本人家屋が
襲撃、破壊、もしくは放火されるなどの被害が出ていた。

首謀者は主にその地域で欧米の団体から支援を受けていたキリスト教徒や
天道教徒だった。

治安維持のため堤岩里に派遣された有田中尉率いる歩兵部隊12名と
警察官2名の計14名が、4月15日、デモ首謀者逮捕の目的で、
住民のうちキリスト教徒と天道教徒23人を堤岩里キリスト教会に集めて
尋問していたところ、1人が逃亡しようとしたため、これを防止したところ、
ほかの1人も襲いかかってきたため2人を斬った。

すると残りの者すべてが木やイスなどを持って襲ってきたため銃撃し、
結果的に23人全員を射殺するにいたった。

この混乱のなか、西側隣家より出火し、
暴風のため、すぐに教会堂に延焼し、20戸あまりが焼失した。
(住民ではなく、兵士が放火したという説もある。)

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『歴史を偽造する韓国』 中川八洋著

日本の憲兵六名と警察官二名を殺害し、
また放火等による官公署建築物破壊をなした朝鮮人の被疑者に対して、
朝鮮固有の拷問は皆無であった。

さらに証拠主義に徹して、多くの被疑者が無罪放免となった。
さらに死刑も無期も一人としてなく軽罰の判決しか出さなかった。

とくに、四月三日に水原郡雨汀面(村)の
花樹里警察官駐在所(日本人巡査一名、朝鮮人巡査補三名が勤務)の
川端豊太郎巡査を石と棍棒で殺した上に(創痕51箇所)、
耳と鼻をそぎおとし陰具を切断した惨殺事件があったのに、
裁判は「報復」的なことは一切しなかった。

官公署の被害は、朝鮮総督府の調査によれば次のようなものであった。
面事務所(村役場)の全壊十九.うち放火によるもの五。
窓硝子破壊、器物・書類の焼却など村役場の一部破壊二十八.
警察署・警察官駐在所・憲兵分隊・同分遣所・同駐在所については
全壊十六ヶ所、一部破壊二十九ヶ所。
郵便局の全壊二、一部破壊九。

前述の川端巡査殺害と放火で起訴された被告五十二名につき、
予審を担当した京城地方法院は半数にもなる二十五名を
証拠不十分で免訴かつ放免を決定した。

高等法院に刑法第七十七条該当として送致したのは二十七名であった。
日本統治下の司法は送検された被告に対して、
朝鮮人だからといって手抜きの処理も、
法を無視した重罰の起訴も、しなかった。

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以下、「植民地朝鮮の研究」杉本幹夫著 展転社 P66

日本総督府憲兵隊司令官・児玉惣次郎の報告

当時の状況 三月下旬、
同地方では官公署の破壊焼却されたものが少なくなかった。
殊に花樹、抄江の両地では巡査を虐殺し、其の死体を凌辱した。

また当地在住の内地人の被害頻々として起こり、
民心の恐怖・憤怒一時其の極みに達した。

発案場に於いては三月三一日、市ノ日に際し、
約一〇〇〇名の暴民が太極旗を押立て路上演説をし、
内地人家屋に投石暴行し、
終に白昼小学校に放火して高唱する等の暴行を行った。

翌四月一日晩より発案場周囲の山上八〇余箇所にかがり火を焚き、
内地人の退去を迫った。

その為、内地人婦女四三名は幾多の危険、
困難を排し三里離れた三渓里に避難した。

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以下、『朝鮮近代史』 姜在彦著、1986年 平凡社選書 より引用

日本の憲兵隊司令官兼総督府警務総長の児玉惣次郎による報告。

「有田中尉(歩兵第79連隊付き)は、同地方騒擾の根源は
堤岩里における天道教ならびにキリスト教徒であることを聞き、
これを検挙、威圧する目的で部下11人を率い、
4月15日午後3時半、発安を出発、巡査および巡査補と同行し、
途中暴民の逃亡に備えるため巡査に兵二名をつけて、
小隊主力の反対方面で行動させ、堤岩里に到着すると、
巡査補に天道教徒およびキリスト教徒20余人をキリスト教会堂に集合させ、
先の騒擾および将来の覚悟に関し、二、三の質問を試みていたところ、
一人が逃亡しようとしたため、これを防止したところ、
他の一人とともに打ち掛かってきたため、直ちにこれを斬り捨てた。
この状況を見ると、鮮人すべてが暴行の態度に出、
その一部は木片または椅子などをもって反抗したので、
直ちに出て、兵卒に射撃を命じ、ほとんどすべてを射殺するに至った。
この混乱の中、西側隣家より出火し、
暴風のため直ちに教会堂に延焼し、ついに20余戸を焼失するに至る」

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長谷川好道総督による原敬首相宛の報告書

以上、検挙班員及軍隊の行為は、遺憾ながら行き過ぎであり、
かつ放火の如きは明らかに犯罪であるが、
今日の場合、正当の行為と公認するのは、
軍隊並びに警察の威信に関し、鎮圧上の不利となるのみならず、
外国人に対する思惑もあるので、
放火はすべて検挙の混雑の際に生じた失火と認定し、
当事者に対しては、その手段方法が問題であった罪により、
その指揮官を行政処分に付す事とした。

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『朝鮮騒擾善後策-鮮民の求むる所は斯くの如し』 閔元植(びんげんしょく)
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閔妃皇后の血統を引く閔元植は、12歳から日本で学び21歳のとき朝鮮に帰ると
統監府の官吏となり、33歳で高陽の郡守をしていたとき3.1事件に遭遇した。
―――――――
このたび3.1独立運動の近因は、米国大統領ウィルソンの提唱した
民族自決主義を、欧州戦線と何ら関係のない朝鮮にも適用されるものと
する誤解から起こった。

もしくは誤解を装うて、ひょっとしたらうまくゆくかもしれないと
狙った在外朝鮮人の扇動に由来した。

もっと言えば初めから実現できないと知りつつ妄動を企てた感がある。
常識的に見れば、狂気の沙汰と言えよう。

しかし朝鮮人が、日本の統治政策に深い不満を抱いていることは確かである。
この対策を考えねばならない。

日本政府は併合以来、10年近く、朝鮮人の生命財産を保護し、
国利民福を向上させる点に於いて用意周到であった。
運輸交通、金融機関の整備、農工各種の産業の発達等、
旧朝鮮時代の悪政から朝鮮人を解放し、夢想もしなかった恵沢をもたらした。

にも拘らず朝鮮人の性情が偏狭、我執に傾いているためか、
口では感謝しながら、心では淋しさを感じ
朝鮮人の自尊心を傷つけるなどと思う者が多い。

更に朝鮮人は米国を自由郷、現世の楽園のように思っている者が多い。
しかし、そこは白人の天国であって、
有色人種の人権はほとんど認められない。
パリ平和会議で、日本が人種差別撤廃を提唱したが、
オーストラリアのヒュース首相が強硬に反対し、
それを真っ先に支持したのは米国のウィルソン大統領でなかったか。

米国の庇護に頼って光栄ある独立が達成できるなど不可能の事である。
日本統治下の朝鮮人は米国に比べて遥かに幸福であることを認識し、
穏当な方法によって民権を拡大してゆくことを講ずべきである
―――――――
米国大統領ウィルソンの提唱した民族自決主義とは、
第一次大戦時のドイツとその同盟国の支配下にあった東欧地域の
諸民族独立を支援する地域限定のもので、日本とは無関係なものであった。

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■総督府時代、3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判

「植民地朝鮮」の研究 杉本幹夫著 展転社 より改編

3.1事件の犠牲者数と、公正だった裁判および他国の争乱との比較

3.1事件の被害と、韓国側の数字への疑問

……………朴殷植……朝鮮総督府……憲兵・警察官
参加者……203万名……106万名  
死 者……7509名………553名……………8名
負傷者……15961名……1409名…………158名

韓国教科書において、犠牲者は朴殷植「朝鮮独立運動の血史」の
数に拠っているようである。
しかし、朴殷植は亡命中であり、
あちこちでの聞き取りを集計したモノであり、
且つ、本書は反日を煽るための本である。

面(村)毎、月別に集計された総督府の数字より
信頼性が高いとは言えない。

実際、彼は、「今回の独立運動は、
・・・・確実な実態調査を得る事は難しい。況や海外にあって、
ただ新聞報道や個人の伝聞的報告によるモノだけであってみれば、
その事実の困難さは推してしるべきであろう」と、断っている。

海外にいて、新聞報道や個人の伝聞的報告だけで書かれた数字を
疑いもなく教科書に掲げるのは公平さを欠く

官公署の被害(4月25日現在、朝鮮総督府の調査)
面事務所(村役場)全壊19。内、放火によるモノ5、
村役場の一部崩壊(窓ガラス破壊、器物、書類の焼却等)28
警察署、駐在所、憲兵分隊等の全壊16、一部破壊29
郵便局の全壊2、一部破壊9

■公正だった3.1事件の裁判

5月8日までに
10,268名が送検され、
内3789名が不起訴。
1151名が取調中。
同日時点で起訴されたのは、約半分の6417名に過ぎなかった。

5月20日時点での第一審での
有罪判決は3967名、
無罪58名、
免訴1名。
有罪でも死刑はゼロ、
15年以上もゼロ
10~14年が6名、
7~9年が1名、
5~6年が23名、
3~4年50名、
3年以上の禁固刑は80名と僅か2%であった。

尚、裁判では、
内乱罪の適用が高等法院で却下され、
保安法および出版法違反という微罪となったため、
主犯とされた崔麟ら8人は僅かに3年崔南善ら6人が2年6ヶ月
有罪となったのは37人に過ぎない。

証拠主義に徹して、多くの被疑者が無罪放免となり、
死刑、無期も一人もなく軽い罰の判決しか出なかった。

放火・殺人・建物破損をした罪の3.1事件の被告達には、
控訴や上告も自由にさせた。

このように、朝鮮時代とは違って、
酷刑を嫌う穏やかな日本民族の加罰はきわめて軽かった。
3.1事件をもって、朝鮮総督府が、
他民族を弾圧したと言うのは偽造である。

また、日本人の憲兵6名と警察官2名を殺害し、
放火等による官公署建築物破壊をした朝鮮人の被疑者に対して、
朝鮮固有の拷問は皆無だった。

3.1事件被告の控訴、上告件数等 5月31日現在
…………………受理件数(人数)…既済……………未済
控訴 覆審法院…830(3970)………433(1411)……397(1659)
上告 高等法院…214(588) ………78(169)………136(419)

4月3日、水原郡雨汀面(村)の花樹里警察官駐在所
(日本人巡査1人、朝鮮人巡査補3人が勤務)の
川端豊太郎巡査を石と混紡で殺した後、
耳鼻などを切断した惨殺事件があったのに、
裁判は報復的な事を一切しなかった。

そして、起訴された52名につき予審を担当した京城地方法務院は
半数にもなる25名を証拠不十分で免訴かつ放免した。

高等法務院に刑法第77条該当として送致したのは27名のみだった。

■公正だった司法の独立

”司法の独立”は、朝鮮には存在しなかった。
戦後においても朝鮮半島では、司法の独立は完全ではない。
司法への介入は、金大中大統領の時も例外ではない。

朝鮮において、司法の独立は、韓国併合時代の35年間だけである。

<憲兵警察政治>と称する事が如何に不適切であるかは、
憲兵警察のなした逮捕者の半分を不起訴にした数字からも解る。
拷問のない世界最高の公正裁判を受けたと言える。

そして、インドやアルジェリアでの反乱に対する英国や
フランスの事後処理の峻烈さと比較すれば、一層明確になる。

■他国の民族独立運動についての裁判では

ベトナムの民族独立運動の場合
1913年ハノイや北部・中部の都市で手投げ爆弾を
爆発する事件が続き、この事件で14人が死刑

1930年北部トンキン、イェンバイ近くのフランス軍兵舎の近くに、
革命軍が集結。フランス人将校6人を殺害し武器弾薬を運び出した。
この事件で、40人が死刑、50人が終身刑で流刑、
34人が終身刑で重労働に処された。

1933年には、120人が裁判となり、
8人が無期懲役、79人が5年から20年の刑。

このように、3.1事件の最高刑が
懲役3年とは比較にならない重刑である。

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日韓併合の前後
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日韓併合
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日韓併合_関連資料
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慰安婦_資料
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強制連行_資料
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日本が土地調査を進めて農民たちから農地を取り上げたというのは事実誤認
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「日帝が朝鮮の米を収奪した」???
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2008/11/01 09:00|年表リンク用資料
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