正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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「逝きし世の面影」 渡辺京二著より引用

■第一章 ある文明の幻影 ―――――――――――――――――

●ヒュースケン(通訳)の日記 1857(安政4)年12月7日

いまや私がいとしさを覚え始めている国よ。
この進歩は本当にお前のための文明なのか。
この国の人々の質樸は習俗と共に、その飾り気のなさをワタ祭は賛美する。
この国土の豊かさを見、
いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、
そしてどこにも悲惨な物を見いだすことが出来なかった私は、おお、神よ、
この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が彼らの重大な悪徳を
持ち込もうとしているように思われてならない。

●チェンバレン

古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった。

●リュドヴィク・ボーヴォワル(伯爵)

どの家も樅材(もみ)でつくられ、ひと刷毛の塗料も塗られていない。
感じ入るばかりに趣があり、繊細で清潔かつ簡素で、
本物の宝石、おもちゃ、小人国のスイス風牧人小屋である。
・・・日が暮れてすべてが閉ざされ、白一色の小店の中に、
色さまざまな縞模様の提灯がやわらかな光を投げかけるときには、
魔法のランプの前に立つ思いがする。

●シェラード・オズボーン
(日英修好通商条約締結のために来日した一団の艦長)

5時、すべての者が湯を使っていた。”清潔第一、つつしみは二の次”
というのが彼らのモットーであるらしい。
ある場合には、風呂桶は戸口の外に置かれていた。
・・・桶が一家の部屋(土間)に置かれている場合もあったが、
なにしろ戸は開けっ放しなので、美しきイヴ達が浴槽から踏み出し、
たぶん湯気を立てて泣きわめいている赤子を前に抱いて、
われわれを見ようと駆けだしてくるそのやりかたには、
少々ぎょっとさせられた。

●ローレンス・オリファント
(日英修好通商条約締結のために来日した使節団の個人秘書)

日本人は私がこれまであった中で、もっとも好感の持てる国民で、
日本は貧しさや物乞いのまったくない唯一の国です。
私はどんな地位であろうとも支那へいくのはごめんですが、
日本なら喜んで出かけます。

●シェラード・オズボーン

上流婦人の外出着も、茶屋の気の毒な少女達や小人の妻のそれも、
生地はどんなに上等であっても、色は落ち着いていた。
そして役人の公式の装いにおいても、黒、ダークブルー、
それに黒と白の柄がもっとも一般的だった。

●マウンテニー・ジェフソン、エドワード・エルマースト
(英国9連隊将校の共著より)

新奇さは一般に魅力だ。
しかし、新しい場所に着くとまもなく色褪せてしまう。
ところがわれわれにとって、日本とその住民は
けっして新奇さを失うことがなかった。
つねに観察すべき事、驚くべき事が何かあった。
彼らは世界のどんな国民ともまったく異なっているので
彼らの間に一年住んでみても、その習慣と習俗については、
他の国民の場合なら6週間で得られるほどの洞察すら得られないのだ。

■第二章 陽気な人びと ―――――――――――――――――

●オズボーン(大津波の後、再建された下田にて)

誰もがいかなる人びとがそうりうるよりも、
幸せで煩いから解放されているように見えた。

●オイレンブルク使節団
(1860年、通商条約締結のために来日したプロシャの使節団報告書)

どうみても彼らは健康で幸福な民族であり、
外国人などいなくてものよいのかもしれない。

●ボーヴォワル

この民族は笑い上戸で心の底まで陽気である。

●ルドルフ・リンダウ(スイス通商調査団の団長)

日本人ほど愉快に成りやすい人種はほとんどあるまい。
良いにせよ、悪いにせよ、どんな冗談でも笑いこける。
そして子供のように、笑い始めたとなると、理由もなく笑い続けるのである。

●A・ベルク(オイレンブルク使節団報告書の著者)

彼らは、話し合うときには冗談と笑いが興を添える。
日本人は生まれつきそういう気質があるのである。

●リンダウ

いつも農婦達の素晴らしい歓迎を受けたことを決して忘れないであろう。
火を求めて農家の玄関先に立ち寄ると、
直ちに男の子か女の子があわてて火鉢を持ってきてくれるのであった。

私が家の中に入るやいなや、父親は私に腰掛けるように勧め、
母親は丁寧に挨拶をしてお茶を出してくれる。
・・・最も大胆な者は私の服の生地を素手で触り、
ちっちゃな女の子がたまたま私の髪の毛に触って、
笑いながら同時に恥ずかしそうに、逃げ出して行くこともあった。

いくつかの金属製のボタンを与えると・・・『大変有難う』と、
皆揃って何度も繰り返してお礼を言う。

そして跪いて、可愛い頭を下げて優しく微笑むのであったが、
社会の下の階層の中でそんな態度に出会って、まったく驚いた次第である。

私が遠ざかっていくと、道の外れまで見送ってくれて、
ほとんど見えなくなってもまだ、
『さようなら、またみょうにち』と私に叫んでいる、
あの友情の籠もった声が聞こえるのであった。

●ジョン・R・ブラック(『ヤング・ジャパン』著者)

彼らの無邪気、素直な親切、むき出しだが不快ではない好奇心、
自分で楽しんだり、人を楽しませようとする愉快な意志は、
われわれを気持ちよくした。

一方婦人の美しい作法や陽気さには魅力があった。

さらに、通りがかりに休もうとする外国人はほとんど例外なく歓待され、
『おはよう』という気持ちのよい挨拶を受けた。
この挨拶は道で会う人、野良で働く人、
あるいは村民からたえず受けるものだった。

●ウィリアム・E・グリフィス(福井藩校、東京の大学南校の教師)

日本人のように遊び好きと行ってよいような国民の間では、
子供特有の娯楽と大人になってからの娯楽の間に、
境界線を引くのは必ずしも容易ではない。

■第三章 簡素とゆたかさ ―――――――――――――――――

●タウンゼント・ハリス(日本滞在記著者)

柿崎は小さくて貧寒な漁村であるが、
住民の身なりはさっぱりしていて、態度は丁寧である。
世界のあらゆる国で貧乏に
いつも付きものになっている不潔さというものが、少しも見られない。
彼らの家屋は必要なだけの清潔さを保っている。

それでも人びとは楽しく暮らしており、
食べたいだけは食べ、着物にも困ってはいない。
それに家屋は清潔で、日当たりもよくて気持ちがよい。

世界のいかなる地方においても、
労働者の社会で下田におけるよりもよい生活を送っているところはあるまい。

私はこれまで容貌に窮乏をあらわしている人間を一人も見ていない。
子供たちの顔はみな満月のように丸々と肥えているし、
男女ともすこぶる肉付きがよい。
彼らが十分に食べていないと想像することもいささかもできない。

著者は検地によって査定された石高に対する年貢の比率は意味がないという。
検地は1700年以降はほとんど行われず、
その状態で農業生産性が著しく向上していったという。
結果的に税率は低くなっていったということだ。
これが外国人から見て農民が幸せそうに見える「原因」だった!

◆ハリスが将軍でさえも質素であることについて、
「日本人の生活は上は将軍から
下は庶民まで質素でシンプルだということである。」

●オールコック

封建領主の圧政的な支配や全労働者階級が
苦労し呻吟させられている抑圧については、
かねてから多くのことを聞いている。

だが、これらのよく工作された谷間を横切って、
非常なゆたかさのなかで書体を営んでいる幸福で
満ち足りた暮らし向きのよさそうな住民を見ていると、
これが圧政に苦しみ、過酷な税金を取り立てられて
窮乏している土地だとはとても信じがたい。

むしろ反対に、ヨーロッパには
こんなに幸福で暮らし向きのよい農民はいないし、
またこれほど穏和で贈り物の豊富な風土は
どこにもないという印象を抱かざるをえなかった。

自分の農地を整然と保つことにかけては、
世界中で日本の農民にかなうものはない。

●ヒュージッセン・カッテンディーケ(長崎海軍伝習所・教育隊長)

日本人の欲望は単純で、贅沢といえば
ただ着物に金をかけるくらいが関の山である。
・・・上流家庭の食事とても、至って簡素であるから、
貧乏にんだとて富貴の人びととさほど違った食事をしているわけではない。

日本人が他の東洋諸民族と異なる特性の一つは、
奢侈贅沢に執着心を持たないことであって、
非常に高貴な人びとの館ですら、簡素、単純きわまるものである。
すなわち、大広間にも備え付けの椅子、机、書棚などの備品が一つもない。

●モース(「日本人の住まい」より)

・・・そのような小屋まがいの家に居住している人びとは
ねっから貧乏らしいのだが、
活気もあって結構楽しく暮らしているみたいである。

少なくとも日本に於いては、貧困と人家の密集地域が、
つねに野卑と不潔と犯罪とを誘発するとは限らないのである。

●チェンバレン

金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、
われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、
社会の隅々まで浸透しているのである。

●イライザ・シッドモア(米人「日本・人力車旅情」)

鎌倉の海村は、日の輝く春の朝、大人は男も女も、
子供らまで加わって海藻を採集し、砂浜に広げて干す。
・・・漁師の娘達が脛を丸出しにして浜辺を歩き回る。
藍色の木綿の布切れをあねさんかぶりにし、背中にカゴを背負っている。

子供らは泡立つ白波に立ち向かったりして戯れ、
用事は砂の上で楽しそうに転げ回る。
男や少年達は膝まで水に浸かり、あちこちと浅瀬を歩き、
砕け散る波頭で一日中ずぶぬれだ。

・・・婦人達は海藻の山を選別したり、
濡れ鼠になった亭主に時々、ご馳走を差し入れる。
あたたかいお茶とご飯。
そしておかずは細かにむしった魚である。

こうした光景全てが陽気で美しい。
だれもかれも心浮き浮きとうれしおうだ。
だから鎌倉の生活は、歓喜と豊潤から成り立っているかのように見え、
暗い面などどこ吹く風といった様子だ。

ボーヴォワルは、
「石ころを投げ、熊手を振るってわれわれを殴り殺そうとした」
中国人民衆を
「この地球上で最も穏和で礼儀正しい住民」
である日本人と比較するが、
中国人民州の反応は彼ら自身の侵入が招いたのだということに
いささかも気付こうとしない。

■第四章 神話と礼節 ―――――――――――――――――

●リンダウ

一般的に言って日本には貧民はほとんどいない。
物質的生活にはほとんど金がかからないので、
物乞いすらまさに悩むべき立場にないのである。
・・・路上や大通りで物乞いに出会うことはめったにない。
ほとんどいつも寺院の廻りにたむろしているのがみられる。

●モース

この国の人びとがどこまでも開けっ放しなのに、
見る物は彼らの特異性をまざまざと印象づけられる。
彼は夜勝手に人の家に上がりこみ眠っている婦人と乳飲み子を描写している。

●エドワード・スエンソン(仏蘭西海軍の一員 デンマーク人)

日本人は戸を開け広げたまま。
どこかの家の前に朝から晩まで立ちつくしていれば
その中に住んでいる家族の暮らしぶりを正確につかむことが出来る。
・・・夫婦けんかをはじめ、ほかのありとあらゆる葛藤の場面が見て取れる。

●アーサー・クロウ(「日本内陸紀行」) 明治14年、中山道で

ほとんどの村には人気がない。
住民は男も女も子供も泥深い田んぼに出払っているからだ。
住民が鍵も掛けず、何らの防犯策も講じずに、
一日中家を空けて心配しないのは、彼らの正直さを如実に物語っている。

●オリファント

われわれの部屋には錠も鍵もなく、解放されていて、
宿所の近辺に群がっている付き添いの人達は誰でも侵入出来る。
またわれわれは誰でもほしくなるような
イギリスの珍奇な品をいくつも並べておく。
それでもいまだかつて、まったくとるにたらぬような品物でさえ、
何かがなくなったとこぼしたためしがない。

●カール・ムンツィンガー(「ドイツ人宣教師の見た明治社会」)

私は全ての持ち物を、ささやかなお金も含めて、
鍵も掛けずにおいていたが、一度たりと無くなったことはなかった。

●モース

錠を掛けぬ部屋の机の上に、私は小銭をおいたままにするのだが、
日本人の子供や召使いは一日に数10回出入りしても、
去ってはならぬ物には決して手を触れぬ。
広島の旅館で時計と金を預けたが女中は盆に乗せただけだった。
一週間後この宿に帰ってみると、
時計はいうに及ばず、小銭の一セントに至るまで、
私がそれらを残して行った時とまったく同様に、
蓋のない盆の上にのっていた。

●モース 大混雑する隅田川の川開きにて

荒々しい言葉や叱責は一向聞こえず、
耳にするのは「ありがとう」「ごめんなさい」の声だけだった。
かくのごとき優雅と温厚の教訓!しかも船頭たちから!
なぜ日本人が我々を南蛮夷狄と呼び来たかが、だんだん判ってくる。

●W・G・ディクソン(維新前と維新後に日本を訪問した英国人)

私の日本旅行のすべてにおいて、二人の男が本当に腹を立てたり、
大声で言い争ったりしたのを見た覚えがない。
また中国では毎日おめにかかる名物、つまり二人の女が口論したり、
たがいにいかがわしい言葉を投げつけあったり
しているのも一度も見たことがない。

●モース

貧しい漁師や行商人、宿屋の女中の態度や振る舞いに嘆声が出る。
そして東京で有名な貧民窟で、
声高い叫びも怒鳴る声も聞かず、
目のただれた泥酔者も、特に不潔な子供も見なかった。

このスラムともいうべき場所で手当たり次第に
拾い上げた百人の子供について、私は、彼らがニューヨークの五番街上で
手当たり次第に拾い上げる百人の子供よりも、
もっと丁寧で物腰はしとやかに、より自分勝手でなく、
そして他人の勘定を思いやることがはるかに深いと敢えて言う。

●アルベルト・ボドウァン
(「オランダ領事の幕末維新・長崎出島からの手紙」1859年の手紙より)

連日英米人と日本人の間に乱闘があり、
ふつうは日本人が射殺されて、事が収拾されます。
今週もすでに二死体が出ています。
ああ日本はよい国ですよ。楽しい同衾相手は弾丸をこめた短銃なのです。
攘夷の吹き荒れる中とはいえ、日本人を殺すことにためらいがないようだ。

■第五章 雑多と充溢 ―――――――――――――――――

●イライザ・シッドモア

日本人の日常生活は芝居じみていて、舞台用の美術・装飾的小道具があふれ、
とてもまじめな現実のものとは思えない。
道路も店も芝居のセットのようで、
丹念に考え抜かれた場面と最新に配置された人の群れからなっている。
半ば無意識に観客は、
ベルが鳴って開幕しやがてその幕が下りるのを待つのである。

●エドウィン・アーノルド(Arnold.Seas nad Lands)

日本の街路でもっともふつうに見かける人物のひとつは按摩さんだ。
・・・彼の職業は日本の目の見えぬ男女の大きな収入源となっている。
そういうことがなければ、彼らは家族のお荷物になっていただろうが、
日本ではちゃんと家族を養っており、お金を貯めて、
本来の職業の他に金貸しをやっている場合もしばしばだ。

●オズボーン

出島のオランダ会所は、
多用な趣味のよき形態を持つ磁器や漆器で一杯だった。
・・・それほどみんなとても美しかったのだ。
・・・我が国やフランスの高級家具職人なら、
その技を部住むためには何物をもなげうつだろう。
・・・かつて中国が生み出したいかなる品よりも、
五十倍もの創意と技巧と機知にあふれた、
象牙や骨や木でできたすばらしい小逸品。

●モース

・・・われわれアメリカの装飾方式に変更を加えることになり、
ついには壁画、壁紙、木工製品、絨毯、皿、テーブル掛け、金属細工、
ブックカバー、クリスマスカードなどに、
さらには鉄道の公告ポスターにさえも、
日本式の装飾や表現形式や図案がほどこされるに至った。

・・・商業国であるわがアメリカばかりではなしに、
芸術愛好国であるフランスも、音楽国であるドイツも、
さらには保守的な国であるイギリスさえもが、日本装飾芸術の侵略に屈した。

●ホームズ(帆船トロアス号船長)

日本から持ち帰った品々は香港に於いて
西洋人と中国人によって二日目にはすべて売り切れてしまう。
それは刀剣、小箪笥、寺のひな形、ブロンズ、金貨、磁器、
絹などの織物の見本でそれらを見た印象は
「日本人ってのはかしこい国民にちがいない」
というのが大方の意見だった。

●イザベラ・バード

貧民階級の衣類や家屋がどんなに汚くても、
料理の仕方とその料理を今日するやるかたは極端に清潔なのだ。

●ジェフソン、エルマースト

極端に清潔だというのは彼らの家屋だけの特徴ではなく、
彼らの食べ物、料理のしかた、料理の出し方の特徴でもある。

■第六章 労働と身体 ―――――――――――――――――

●アイム・アンベール(スイス遣日使節団長 「幕末日本図絵」)

この国が
「幾世紀もの間、質素であると同時に安易な生活の魅力を満喫してきた」
ことに感銘を受けずにはいられなかった。

●ブラック 東海道の旅人について

・・・彼にとっては、道のりなど考えになかったようだった。
好きなように時間をかけ、自分なりの早さで、行けさえすれば、
来る日も来る日も、一日中歩いた。

時間の価値などまったく念頭になかった。
商取引の場合でさえ、ヨーロッパ小人の最大の当惑は、
時間通りに契約を実行させるのが難しいことであった。
いや、不可能だったといった方がよいかもしれない。
著者はこれを「社会全判にみなぎる悠長さ」という。

●ジョージ・H・ブスケ(司法省顧問 「日本見聞記」)

日本人の働き手、すなわち野良仕事をする人や都会の労働者は
一般に聡明であり、器用であり、性質がやさしく、また陽気でさえあり、
多くの文明国での同じ境遇にある大部分の人より確かにつきあいよい。

彼は勤勉というより活動的であり、精力的というより我慢強い。
日常の糧を得るのに直接必要な仕事をあまり文句も言わずに果たしている。

しかし彼の努力はどこで止まる。
・・・必要な物はもつが、余計なものを得ようとは思わない。
大きい利益のために疲れ果てるまで苦労しようとしないし、
一つの仕事を早く終えて、もう一つの仕事に取りかかろうとも決してしない。
一人の労働者に何かの仕事を命じて見給え。
彼は常に必要以上の時間を要求するだろう。

注文を取り消すと言って脅して見給え。
彼は自分が受けてよいと思う以上の披露に身をさらすよりも、
その仕事を放棄するだろう。どこかの仕事何入って見給え。
ひとはたばこをふかし、笑い、しゃべっている。

時々槌をふるい、意志をもちあげ、
次いでどういう風に仕事にとりかかるかを論じ、それから再び始める。
日が落ち、ついに時間が来る。さあこれで一日の終わりだ。
仕事を休むために常に口実が用意されている。
暑さ、寒さ、雨、それから特に祭である。
・・・一家を支えるにはほんの僅かしかいらない。

●オールコック

すべての職人的技術において、問題なしに非常な優秀さに達している。

モースはアメリカの大工が高価な機械を使うよりも
日本の原始的な道具を使う日本の大工の方が優秀であるという。

●チェンバレン

下層階級は概して強壮で、腕や脚や胸部がよく発達している。
上流階級はしばしば病弱である。

■第七章 自由と身分 ―――――――――――――――――

●オリファント 日本の制度について

個人の自由の完全な廃止である。
しかし他方では、個人が共同体のために犠牲になる日本で、
各人がまったく幸福で満足しているようにみえることは、
驚くべき事実である。

●オールコック

日本の下層階級は、私の看るところをもってすれば、
むしろ世界のいずれの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。
そうして彼らの権利は驚くばかり尊重せられていると思う。
裁きは公平で、法規と習慣さえ尊重すれば、決して危険はない。

●ヴェルナー(「エルベ号艦長幕末記」プロシャ使節団)

絶対的専制支配が行われている日本において、
個人は時に立憲的なヨーロッパの諸国家においてよりも
多くの権利をもっていた。

幕府が病院を建てようとしたが、そこには貧しい農夫が畑を耕作していた。
この土地を地価と収穫高とを算入して幕府に譲渡するように頼んだ。
だが農夫は自分が巻いた種をまず収穫したいと思うと指摘し、
幕府の依頼をあっさり拒絶した。

彼にはその後、2倍、3倍の価格が提示されたが、彼は強情な態度を改めず、
最後にはどんな条件でも土地を譲渡するつもりはないと宣言した。
幕府は他の不適当な土地を購入することになったという。

●ジーボルト

町村の制度はたいへん自由であったー町年寄や庄屋は地主たちが選んだ。
地方に駐在する捕方も、奉行所の役人もまったくいなかった。
非常に愉快に感じたのは、
僧侶の支配力が村民に影響を及ぼさなかったことである。
農村の人びとの境遇は大部分のヨーロッパ諸国におけるよりましである。

●オバマール・フィッセル(「日本風俗備考」出島オランダ商館勤務)

専制主義はこの国では、ただ名目だけがあって実際には存在しない。
自分たちの義務を遂行する日本人達は、完全に自由であり独立的である。
奴隷制度という言葉はまだ知られておらず、
封建的奉仕という関係さえも報酬無しには行われない。

上級者と下級者との間の関係は丁寧で温和であり、それを看れば、
一般に満足と信頼が行き渡っていることを知ることができよう。
著者はフィッセルからみて将軍や大名など
何ら羨むべき存在ではなかったようだ、という。

●オールコック
上司は下司に対して、
「つねに慇懃で穏やかな態度で話しかける。」

●ウィリアムズ(「ペリー日本遠征随行記」)

水を汲みに行ってくれた少女に硬貨数枚を与えると、
案内の役人は彼女にそれを返させた。
住民はこれらの役人達を尊敬していた。
だが、こわがってちぢこまっているわけではない。

●アリス・ベーコン(「Japanese Girls and Women」)

家庭内のあらゆる使用人は、自分の眼に正しいと映ることを、
自分が最善と思うやりかたで行う。
命令にたんに盲従するのは、日本の召使いにとって美徳とはみなされない。
・・・使用人は自分のすることに責任をもとうとしており、
たんに手だけではなく意志と知力によって彼女に仕えようとしているのだ
・・・仮にそれが命令への不服従を意味するとしても、
雇い主のために最善を計ろうとするのだ。

●ニコライ(神田ニコライ堂の創設者)

民衆は不満を口にしているという。
この国の貧しさの責任は政府にあると、口をそろえて非難している。
・・・それでいて、この国には乞食の姿をほとんど見かけないし、
どの都市でも、夜ごと、歓楽街は楽と踊りで賑わいにあふれている。
これが、支配者の前に声なくひれ伏す当方的隷従だろうか。

■第八章 裸体と性 ―――――――――――――――――

●モース

我々に比して優雅な丁重さは十倍持ち、
態度は静かで気質は愛らしいこの日本人でありながら、
裸体が不作法であるとは全然考えない。
まったく考えないのだから、我々外国人でさえも、
日本人が裸体を恥じぬのと同じく、恥ずかしく思わず、
そして我々にとっては乱暴だと思われることでも、
日本人にはそうではない、との結論に達する。

たった一つ不作法なのは、外国人が彼らの裸体を見ようとする行為で、
彼らはこれを憤り、そして面をそむける。
日本人が見る我々は、
我々が見る日本人よりも無限に無作法で慎みがないのである。

●モラエス(「日本精神」)

日本人は、生活の事情上やむを得ないときには、裸体を恥ずかしく思わない。
恥ずかしいのは、こうした事情のないのに、
ただ見栄を張っていろいろな欲望を起こさせることである。

日本の女は誰の前でも子供に乳房をふくませる。
暑いときに、家の中で一心に働いている際は、
戸外を通って内を覗く者の眼に、裸に近い姿で映るかも知れない。
だが誰も、やさ男を惹き付けて欲望を起こさせる目的で、
着物の袖から腕をあらわしているとは思いはしない。

●アリス・ベーコン

ある日アリスが浜辺をぼんやり見ていると、砂浜に見慣れた天秤棒とカゴ、
それに青い着物が置き去られているのが目に付いた。
商売を終えた彼女が海に入っているのだ。

やがて、推測通り海から現れた彼女は、砂浜でからだをぬぐい始めた。
その時一人の男がその場に出現したが、
彼女は顔見知りらしいその男が近づいても平然として、
ゆったりと身体をぬぐい続け、立ち上がって男にお辞儀をし、
ほほえんで挨拶を交わし始めたのである。
むろん、彼女は生まれたままの姿だった。

日本人の尺度によると、たんに健康や清潔のためとか、
せねばならぬ仕事をするのに便利だからというので、
たまたま身体を露出するのはまったく礼儀に背かないし、
許されもすることなのだ。

だが、どんなにちょっぴりであろうと、
見せつけるためだけに身体を露出するのは、
まったくもって不謹慎なのである。
欧米の女性が身体の線を見せつける服を着ていることに
日本女性は嫌悪を抱いているという。

●ヴェルナー

・・・絵画、彫刻で示される猥褻な品物が、玩具として堂々と飾られている。
これらの品物を父は娘に、母は息子に、そして兄は娘に買ってゆく。
十歳の子供でもすでに、ヨーロッパでは老貴婦人が
ほとんどしらないような性愛のすべての秘密となじみになっている。

●シュリーマン

あらゆる年齢の女達が淫らな絵を見て大いに楽しんでいる。

●スミス主教 制度化された売春について

・・・顔立ちのよい女性は堕落した両親によって売られ、
幼い頃から恥辱の生活にゆだねられる。
奉公の期限が満ちると、日本の中流階級と結婚することも稀ではない。
男達はこういう施設から妻を選ぶことを恥とは思っていないのだ。
しかし、スミス主教の母国では1860年代、
上院の報告によると売春婦は36万8千人いたとされる。

■第九章 女の位相 ―――――――――――――――――

●アリス・ベーコン

日本人の中で長年暮らした外国人は、
美の基準が気付かぬうちに変わってしまい、
小さくて穏やかで控えめで優美な日本女性の中に置くと、
自分の同胞の女性が優美さに欠け、
荒々しく攻撃的で不様に見えるようになる。

●ホジソン(「長崎函館滞在記」)

「この島国には多くの真の家庭愛があり、
老人達は敬われ、子供は甘やかされている。」
のに
「ただ一人、妻だけが哀れな存在」
だという。それは
「妾と同居せねばならぬから」
だそうだ。

●グリフィス

アジア的生活の研究者は、日本に来ると、
他の国と比べて日本の女性の地位に大いに満足する。
ここでは女性が、東洋の他の国で観察される地位よりも
ずっと尊敬と思いやりで遇せられているのがわかる。
日本の女性はより大きな自由を許されていて、
そのためより多くの尊厳と自信をもっている。

●アリス・ベーコン

彼女は嫁ぎ先で多くの子を産んだが、そのすべてに先立たれ、
婚家のお荷物になるよりはと、弟の家に身を寄せた。
そこは子沢山だったので、
彼女は実の母とともに子供たちの世話を引き受けた。
上の子から下の子まで、次々と彼女の世話になった。

彼女の背中で眠り、なやみがあれば聞いて貰い、いっしょに町歩きを楽しみ、
彼女の引出から思いがけず現れるおもちゃや菓子によろこばされた。

七十歳になったとき彼女が手がけた子供たちはみな成人して、
その幾人かは自分の家を構えていた。

彼女の曲がった腰と皺だらけの顔は、そのどこでも歓迎された。
彼らはかわるがわる喜んで彼女をもてなし、
彼女が自分たちに惜しみなく降り注いだ愛情に報いるのだった。

■第十章 子どもの楽園 ―――――――――――――――――

●メアリ・フレイザー(「英国公子のみた日本」)

別当は道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを
抱き上げながらわきへ移したり、
耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、
実際10ヤードごとに人命を一つずつ救いながらすすむのだった。

●モース

世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、
そして子どものために深い注意が払われる国はない。
ニコニコしている所から判断すると、
子供たちは朝から晩まで幸福であるらしい。

●アビラ・ヒロン(イスパニア商人)

子どもは非常に美しくて可愛く、6、7歳で道理をわきまえるほど
すぐれた理解を持っている。
しかしそのよい子どもでも、それを父や母に感謝する必要はない。
なぜなら父母は子どもを罰したり、教育したりしないからである。

●ルイス・フロイス

われわれの間では普通鞭で打って息子を懲罰する。
日本ではそういうことは滅多に行われない。
ただ言葉によって譴責するだけである。」

●オイレンブルク

子どもが転んで痛くしたときとか、私たちがばたばたと馬を駆って来たときに
怖くて泣くとかいう以外には、子どもの泣く声を聞いたと事が無い。

●モース

世界中で、両親を敬愛し老年者を尊敬すること、
日本の子どもに如(し)く者はない。

●ブスケ

父と母とが一緒に見世物に行くときは、一人か二人の子供を背中に背負うか、
または人力車の中に入れて連れて行くのが常である。

●ネットー

日本では、人間のいるところならどこを向いて見ても、
その中には必ず、子供も2、3人は混じっている。
日本では子供はいつも大人と一緒に出かけたのだ。

●グリフィス

日本人が非常に愛情の深い父であり母であり、
また非常におとなしくて無邪気な子供を持っていることに、
他の何よりも大いに尊敬したくなってくる。

●モース

屋敷の召使いの女の子(9つか10歳)を連れて夜市を散歩したとき、
十銭ずつ与えてどんなふうに使うか見ていると、
その子らは地面に座って悲しげに三味線を弾いている貧しい女、
すなわち乞食の笊(ざる)に、
モースが何も言わぬのに、それぞれ一銭ずつ落とし入れたのである。

■第十一章 風景とコスモス ―――――――――――――――――

欧米人が絶賛する日本の風景

●ヴェルナー

長崎港は、期待は現実によってまったく凌駕された。

●ポンペ(「日本滞在見聞記」) 長崎港の風景を見て

乗組員一同は眼前に展開する景観に、
こんなにも美しい自然があるものかと見とれてうっとりしたほどであった。

●ベルク

長崎は郊外も素晴らしかった。
郊外の美しさはたとえようがない。
どこに足を向けようと豊饒で素晴らしい景観だった。

●フォーチュン

・・・英国にはこれと較べられるようなものはないと
認めないわけにはいかなかった。
拾い並木道や、松やとくに杉の木立としばしば出会ったが、
その木立は道を縁取ってすばらしい日陰を作り出していた。
・・・風景はたえず変化し、しかもつねに美しい---丘や谷、
広い道路や木陰道、家と花園、そこには勤勉で、
労苦におしひしがれておらず、明らかに幸せで満ち足りた人々が住んでいる。

●ヒューブナー(「オーストリア外交官の明治維新」)
明治4年に富士山の北東山麓を旅行。

村長の家まで降りていくと、
それは珠玉のようにかわいい家だった村々を
つなぐ街道はただの小道に過ぎないが、
しかし手入れが行き届いており、たいへん活気にあふれていた。

●ジーボルト

・・・両側に緑の苗床や菜園があり、松林を通り抜け、
村々の間を通るよく手入れされた道は、
わが故郷の公園にある散歩道に似ていた。
この道は、曲がり角に来ると新しい景色が旅行者を
驚かすように考えて作ったように思われる。

●フィッセル

夏の日には、そのような湖水の上には何百もの帆がただよい、
数えきれぬほどの遊覧船が、さながらまき散らしたかのように浮かんでおり、
夕べには照明の明かりが美しく、
また音楽が聞こえて散策する者を水辺に誘い、
人々は気晴らしに興じるのである。

●リュードルフ(「グレタ号日本通商記」)

日本に至る所に素晴らしい森林があり、
木を育成したり保持するために、
多大の労が払われていることは特筆に値する。
だから当局の許可がなければ、木の伐採は認められていたい。
また伐採された後には、若木が必ず再び植林される。
森はそれ自体で国土の景観を美しくしている。

●リュードルフ

鳥という鳥がみなよく人になれている。
たとえば、鴨がわれわれのボートのすぐそばまで来たり、雀が人家に入る。
こうしたことは狩猟の禁止に原因があるらしい。
鳥獣を撃つことは厳しく禁じられている。

●スミス主教 江戸について

・・・ひとつを除いてヨーロッパの首都を全部見たことのある友人が、
木立に恵まれた風景の美観と、周辺の絵のような眺めという点では、
江戸は西洋諸国のあらゆる都市を凌駕しているという意見を開陳するのを、
私は聞いたことがある。

●ヴェシェスラフツォフ(「ロシア艦隊幕末来訪記」) 

王子に至る行程で、われわれが通り抜けたのは見事な公園だったのか、
それとも日本の首府の周辺地域は、
どこに行ってもここと同じように美しいのだろうか。

高台に上って茶屋で休息すると、眼前に突然、
魂に焼き付いて一生消えずに残るに違いない景観が広がった。
(銀色の川、緑の稲田、木立、・・・)見給え、これが江戸だ。

●ギメ

日本人はなんと自然を熱愛しているのだろう。
・・・大それた欲望を持たず、競争もせず、
穏やかな間隔と慎ましやかな物質的満足感に満ちた生活を
なんと上手に組み立てることを知っているのだろう。

●オズボーン

江戸において・・・町全体が庭園や茶屋や寺院で取り巻かれていて、
老幼男女を問わず保養のためにしじゅうそこを訪れる。

●ベルク

日本の市民の最大の楽しみは、天気のよい祭日に
妻子や親友といっしょに自然の中でのびのびと過ごすことである。

●モース

この国の人々が、美しい景色をいかに楽しむかを見ることは興味がある。
誇張すること無しに、我が国の百倍もの人々が、
美しい雲の効果や、蓮の花や、公園や庭園を楽しむのが見られる。

◆中尾佐助(「花と木の文学史」)

江戸期の日本の花卉園芸文化は
全世界の花卉園芸文化の中でもっとも特色のある輝かしい一時期。
花卉文化が大衆に普及し始めたのは元禄期からで
西洋より200年早いそうだ。
また園芸書が出版されたのも世界に先駆けているらしい。
椿と桜の品種改良は早くも室町時代に始まり、
徳川期に入ると椿は欧州に紹介されて評判を取り、
桜は4、5百品種、梅は2百品種の多きに達した。
なんとフォーチュンはその評判を聞きつけてやってきた
「プラントハンター」だった!
彼は団子坂、染井などで高度な園芸植物をふんだんに見出し、
そのすべてを買い込んだ。
やがて彼の行為は物議を呼び、江戸から退去することとなった。

●シッドモア

亀戸天満宮の梅林で、老人が茶をすすりたばこを一服しながら、
やおら矢立てをとりだしてさらさらと書き付け、
顔をほころばせ、うれしそうにささやきながら下駄をつっかけ、
一番魅力的な梅も木まで足を運び、
さっきの紙片を枝々にくくりつける光景を目撃した。
こんな愉しい馬鹿馬鹿しさが、どこの国にありうるだろうかと思った。

●フォールズ(Faulds,ibid.,pp 明治7年に築地居留地で病院を経営)
富士山麓地方を周遊したとき

日本人は美しい景色だけでなく、花も大好きなのだ。
むっつりした顔つきの車夫が、がたの来ている人力車の梶棒をおろし、
まるで小学生のように両手を広げて丈の高い花叢へかけこんだとき、
私はそれほど驚きもしなかった。

熱狂の発作がいくらか鎮まると彼は、腕一杯、
明るい黄色や白色の菊科の花や、オレンジ色の百合や、
たくさんの美しい深紅の実の付いた優美な枝を抱えて戻ってきて、
それで彼の車を飾った。
嫌味も忘れていない。
私の車夫の美的教養のおかげで、この溶岩の野で二度も道に迷ってしまった。

■第十二章 生類とコスモス ―――――――――――――――――

●マクレイ(Maclay,ibid.,p) 明治7年、日光旅行途上にて

日本の犬は甘やかさている。
彼らは道路の真ん中に寝そべって、道をあけるなんて考えもしない。
気のよい人力車夫達は、彼らにぶち当てるなどけっして考えつきもせず、
つねに車を片側に寄せる。そして犬を叱るが、犬の方は尾を振る始末。

●モース

私は車夫がいかに注意深く
道路にいる猫や犬やニワトリを避けるかに気付いた。
今までの所、動物に対してかんしゃくを起こしたり、
虐待したりするのを見たことがない。

馬は今で言うような調教はされていなかったようだ。
乗る方も馬丁に口綱を曳いて貰ってただ乗っかっているだけだった。

ただ、乗馬姿は美しかったという。

●ヴェシェスラフツォフ

上等な厚手の上着の幅広い袖が蝶の羽のように広がって、
それと、廂(ひさし)が弓なりになった丸い藁帽子が、
軽やかで鮮やかな印象を与えていた。
乗馬はファッションだったのだ。

●バード

馬は打たれたり蹴られたりしないし、
なだめるような声で話しかけられている。
概して馬の方が主人よりよい暮らしをしている。
おそらくこれが馬の悪癖の秘密なのだ。
馬に荷物を乗せすぎたり、虐待するのを見たことがない・・・
馬が死ぬと立派に葬られ、その墓の上に墓石が置かれる。

●アーサー・クロウ

家禽は普通一家の愛玩動物で、・・・部屋の中を歩き回る
・・・たいてい珍種のちゃぼだった。
実に見事な鳥で、家の女衆の一人が、
まるで愛玩用の子犬に櫛を入れるように、
丁寧に羽毛を洗ったりなでつけたりして、
少しも汚点のないように綺麗にしている。
われわれは、このように家禽の手入れをしているのをしばしば見かけた。

バードが
「夕食用に手に入れた鶏を絞め殺そうとしたとき、持ち主だった女が・・・
殺されるのを見るのに忍びないとお金を返しに来た」
ことがあったという。

●ブラウン(「S・R・ブラウン書簡集」 宣教師)
ブラウンが日本人と共に創世記を読むと

その日本人は、人間は神の最高の目的たる
被造物であるというくだりに来ると
『何としたことだ、人間が地上の木や動物、
その他あらゆるものよりすぐれたものであるとは』と叫んだ。

●カッテンディーケ

日本人が死を恐れないことは格別である。
・・・近親の死に対して悲しまないことはないというようなことはないが、
現世からあの世に移ることは、ごく平気に考えているようだ。

●スエンソン 慶応2年の横浜大火直後

日本人はいつに変わらぬ陽気さと暢気さを保っていた。
不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりしなかった。
・・・日本人の性格の中、異彩を放つのが、
不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である。

●ボーヴォワル

箱根の茶屋に泊まったとき、
女中達が池の魚を洞穴に追い立てていたという。
これは魚を捕って食べる鳥を避けるために
夕方になると毎日やっているとしり、
おお、この子どものような民族の何と面白いことか。

●モースは

荷車を引く牛の頭上に莚(むしろ)で日除けを設けてあるのを見て感動する。

■第十三章 信仰と祭 ―――――――――――――――――

●ヴィシェスラフツォフ

日本人はまるで気晴らしか何かするように祭日を大規模に祝うのであるが、
宗教そのものにはいたって無関心で、
宗教は民衆の精神的欲求を満足させる者としては少しも作用していない。
それに反して迷信は非常に広く普及していて、・・・

●リンダウ

宗教に関しては、日本人は私の出会った中で最も無関心な民族である。

●スエンソン

諸宗派の間にも驚くべき寛容が成立している。

●カッテンディーケ

・・・彼らは平気で日本の神様の傍らに
キリストの像を祭ったであろうと信ずる。

●スミス主教

一団の子どもが社殿のすぐ傍らで踊ったり、跳躍したり、
取っ組み合ったり、とんぼ返りをしたりした。
そしてたがいに脚を掛け合ってひとりが地響きを立てて倒れると、
愉快そうな笑い声が社殿の屋根を揺るがすのだった。

●ブラント(「ドイツ公使の見た明治維新」)

孫の足が悪いので天狗さまの足をさすって願掛けしている老婆をみて、
同行の医者にその子を診察してやることになる。
これが縁で手術を受け足は完治する。
ブラントが
「天狗のところへ行くかわりに、すぐに医者へ行く方がよくはなかったか」
と問うと彼女は
「そうかもしれませんけれども、天狗さまにお詣りしませんでしたら、
あなたさまにもお目にかかれませんでしたろう。」

以来、私は迷信打破の努力をやめることにした。

■第十四章 心の垣根

●ヴェルナー
長崎でたこ揚げに興じる大勢の人々。

行く先々で手を引かれ草の上に座らされた。
日本人達は酒、茶、煙草などでもてなし、
何とか彼らに楽しんでもらおうとやっきになっていた。
ここには詩がある。
ここでは叙情詩も牧歌もロマンも、
人が望むありとあらゆるものが渾然一体となって調和していた。
平和、底抜けの歓喜、さわやかな安らぎの光景が展開されていた。

●フォーチュン

茶屋で狂女がフォーチュン一行の寝ている一人の枕元に
やってきてうちわで扇いだり、祈りの言葉を呟いたりしていた。
一行がみんな目をさまして彼女の動作を見つめているのに気付くと、
彼女は静かに立ち上がって、われわれを一顧だにせず部屋を出て行った。
彼女は茶屋に出入り自由で、
彼女のすることを咎める者は誰もいなかったのだ。

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