正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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田中上奏文

>田中が欧米旅行の帰途に上海で中国人刺客に襲われた。

実際は、「マニラ旅行の帰途、上海で朝鮮人の刺客に襲われた」。
本人が上奏した文書で自分自身が襲われた事件を誤るわけが無い。

>大正天皇は山県有朋らと9カ国条約の打開策を協議した。

山県は9カ国条約調印の前に死去している。

>中国政府は吉海鉄道を敷設した。

吉海鉄道の開設は昭和4年5月で、上奏したとされる昭和2年の2年後。

>本年(昭和2年)国際工業電気大会が東京で開かれる予定。

昭和2年にこの種の大会はない。昭和4年10月の国際工業動力会議か?

さらに、東京裁判でキーナンらも田中上奏文を証拠として提出していない。

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産経新聞朝刊 1999年(平成11年)9月7日

【ワシントン6日=前田徹】
1930年代の米国や中国で日本の世界制覇野望の証拠として使われてきた
「田中メモリアル(上奏文)」は偽造文書と指摘されているが、
ソ連国家政治保安部(GPU)がその偽造に深く関与していた可能性が強い事が、
米国にソ連指導者の一人、トロツキーが上奏文作成時の2年も前に
モスクワでその原文を目にしていたことを根拠にしており、
日米対立を操作する目的で工作したと推測されている。
 
米下院情報特別委員会の専門職員として、
ソ連の謀略活動研究してきたハーバート・ロマーシュタイン氏が、
元ソ連国家保安委員会(KGB)工作員で米国に亡命したレフチェンコ氏と
共同で米国内のKGB活動の実態を明らかにする目的で調査した際に、
偽造文書が関与していたのではという疑惑が浮かんだ。

「田中上奏文」は、1927年から29年にかけて内閣を率いた田中義一首相が
昭和天皇にあてて提出した上奏文とされ、その内容は
「日本が世界制覇を達成するためにはまず中国、モンゴルを征服し、
その過程で米国を倒さなければならない」としている。

この上奏文によって第二次大戦に至る日中戦争、真珠湾攻撃は、
計画的な日本の野望達成への一環だったとされてきた。

ところが、ローマンシュタイン氏らの調査では、
トロッキーが暗殺される直前の40年に雑誌「第四インター」に
投稿した遺稿とも言える論文の中に、
田中上奏文に関しての貴重な証言が含まれていた。

トロッキーは、スターリンによって追放される前で、
まだソ連指導部の一人だった当時の25年夏ごろ、
KGBの前身のGPUトップだったジェルジンスキーから
「東京にいるスパイが大変な秘密文書を送ってきた。
日本は世界制覇のために中国を征服し、さらに米国との戦争も想定している。
天皇も承認している。これが明らかにされれば国際問題化し、
日米関係がこじれて戦争に至る可能性がある」との説明をした。

当初、トロッキーは「単なる文書だけで戦争は起こらない。
天皇が直接、署名するとは考えられない」と否定的だったが、
その内容が日本の好戦性と帝国主義的政策を証明するセンセーショナルな
ものだったためソ連共産党政治局の重要議題として取り扱いが協議され、
結局、「ソ連で公表されると疑惑の目で見られるので、
米国内のソ連の友人を通じて報道関係者に流し、公表すべきだ」
とのトロッキーの意見が採用されたと証言している。

ロマーシュタイン氏はこうした経験を検討した結果、
GPUが25年に日本外務省のスパイを通じて
何らかの部内文書を入手した可能性は強いが、
田中上奏文は、盗み出した文書を土台に27年に就任した田中義一首相署名の
上奏文として仕立て上げたと断定している。

同氏によると、トロッキーが提案した「米国内の友人」を通しての
公表計画は米国共産党が中心になって進めており、
30年代に大量に配布された。

しかも日本共産党の米国内での活動家を通じて
日本語訳を出す準備をしていることを示す
米共産党内部文書も見つかっており、
実は田中上奏文の日本語版が存在しないことをも裏付けているという。
2008/10/18 09:00|年表リンク用資料
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