正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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1965年(昭和40年)6月22日、日韓基本条約
(日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約)
http://megalodon.jp/2009-0211-2326-09/www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/nikkankihonnjyouyaku.htm

1951年(昭和26年)の予備会談を経て、1952年(昭和27年)~1965年まで、
14年越しの日韓両政府による7回にわたる韓国交正常化交渉のすえ、
1965年(昭和40年)6月22日、東京で正式調印された。

日韓(日本と大韓民国)両国間の国交開設のため、
その基本的条項を定め締結された。

大韓民国を朝鮮における唯一の合法政府と認め、
両国間の外交関係の開設、日韓併合条約の失効などを規定した条約で、
この条約の締結で日韓関係は正常化された。

基本条約で韓国は、日本統治時代の個人の未払い賃金を含む
一切の対日請求権を放棄し、その代償として
5億ドルの無償・有償協力資金(他に民間協力資金3億ドル)を受け取った。

全7条からなり、

第1条:両国間の外交関係の開設
第2条:日韓併合条約など旧条約の失効
第3条:韓国政府の管轄権
第4条:国連憲章の遵守
第5条:通商貿易回復
第6条:民間航空の開設
第7条:批准

を決めた。

日韓併合条約などの有効性については、
韓国側は「不法に締結されたため当初から無効」、
日本側は「サンフランシスコ平和(講和)条約の発効時から無効」、
とそれぞれ主張して両国の立場が大きく分かれた結果、
「もはや無効」(2条)と条約に記し、
双方の都合に合わせて解釈することとなった。

これとともに、
(1)日韓漁業
(2)日韓請求権経済協力関係
(3)在日韓国人法的地位・待遇関係
(4)文化財関係
を規定した4協定が調印されたが、日韓基本条約とこの4つの協定、
及び25件の付帯文書をまとめて「日韓条約」と
総称(そうしょう=いくつかの物を一つにまとめて呼ぶこと。
「総名」ともいう)される。

本交渉とは別に裏交渉も同時並行で進み、
第6次会談中の1962年(昭和37年)11月、日本が経済協力する代わりに、
韓国が個人補償など8項目の対日請求を放棄する解決方針
(日韓基本協定)が決まった。

この方針に基づき、請求権経済協力協定では、
請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」と明記されたが、
これが韓国の請求権が消滅したとする日本政府の解釈の根拠となっている。


韓国では、外交文書は30年経過後に公開されるのが原則だが、
日韓条約については、
当時の朴正煕
(パクチョンヒ/ぼくせいき。1917~1979。日本の陸軍士官学校卒。
1961年5月に軍事クーデターを起こして政権を樹立、1963年に大統領就任。
アメリカの支援で軍備を強化、
日韓基本条約調印・高度経済成長政策を進めたが、1979年に暗殺された)
政権が植民地支配の清算や国民への補償をないがしろにしたまま
経済協力資金目当てに締結を急いだ、との批判があったことから、
対日関係悪化や個人補償要求の高まりを恐れ、
交渉文書の公開は見送ってきた。

だが、2004年、市民団体が起こした行政裁判で国が敗訴し、
一部文書の公開を命じられたのを契機に、
植民地時代に日本に協力した「親日派」や
戦後の軍事政権による人権侵害の真相解明など
「歴史見直し」を最優先課題とする盧武鉉(ノムヒョン)政権は、
「非公開を続けるより、国民にさらけ出して歴史の判断を仰ぐ」
として公開を決断。

韓国政府は2004年(平成16年)12月28日、
日韓基本条約締結交渉に関する文書の一部(請求権に関する議事録など5件)
を2005年(平成17年)1月17日から公開すると発表、
日韓基本条約に関する交渉文書5件(約1200ページ)を初公開したのに続き、
残りの156件(約3万6千ページ)を独立記念日の8月15日までに公開した。

公開された文書から韓国政府が個人の対日請求権を
自ら放棄していたことなどが判明し、
新たな個人補償論議に火を付ける結果となった。

なお、日本では日韓交渉に関する外交文書は情報公開請求により、
ごく一部が公開されているが、大部分が非公開のままである。
日朝交渉への影響を考慮してのものとみられる。

日本国および大韓民国は、
両国民間の関係の歴史的背景と、善隣関係および主権の相互尊重の原則に
基づく両国間の関係の正常化に対する相互の希望とを考慮し、
両国の相互の福祉および共通の利益の増進のため
ならびに国際の平和および安全の維持のために、
両国が国際連合憲章の原則に適合して
緊密に協力することが重要であることを認め、
1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との平和条約の
関係規定および1948年12月12日に国際連合総会で採択された決議
第195号(III)を想起し、
この基本関係に関する条約を締結することを決定し、
よって、その全権委員として次のとおり任命した。

日本国

日本国外務大臣
椎名 悦三郎
高杉 晋一


大韓民国

大韓民国外務部長官
李 東元
大韓民国特命全権大使
金 東祚


これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、
それが良好妥当であると認められた後、次の諸条を協定した。

第1条
両締約国間に外交および領事関係が開設される。
両締約国は、大使の資格を有する外交使節を遅滞なく交換するものとする。
また、両締約国は、両国政府により合意される場所に領事館を設置する。

第2条
1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結された
すべての条約および協定は、もはや無効であることが確認される。

第3条
大韓民国政府は、国際連合総会決議第195号(III)に
明らかに示されているとおりの
朝鮮にある唯一の合法的な政府であることが確認される。

第4条
(a)両締約国は、相互の関係において、
国際連合憲章の原則を指針とするものとする。

(b)両締約国は、その相互の福祉および共通の利益を増進するに当たって、
国際連合憲章の原則に適合して協力するものとする。

第5条
両締約国は、その貿易、海運その他の通商の関係を安定した、
かつ友好的な基礎の上に置くために、条約または協定を締結するための
交渉を実行可能な限りすみやかに開始するものとする。

第6条
両締約国は、民間航空運送に関する協定を締結するための交渉を
実行可能な限りすみやかに開始するものとする。

第7条
この条約は、批准されなければならない。
批准書は、できる限りすみやかにソウルで交換されるものとする。
この条約は、批准書の交換の日に効力を生ずる。

以上の証拠として、それぞれの全権委員は、この条約に署名調印した。

1965年6月22日に東京で、等しく正文である日本語、韓国語、
および英語により本書2通を作成した。
解釈に相違がある場合には英語の本文による。

日本国のために
椎名 悦三郎
高杉 晋一

大韓民国のために
李 東元
金 東祚

■注

国連決議第195号(Ⅲ)=国連は、1948年(昭和23年)2月1日、
同年5月10日に南朝鮮で単独選挙を行うと決定するが、
単独選挙反対運動が朝鮮半島の全国的規模で展開され、
そのための検挙者・死者・負傷者は各数万を数えた。
5月10日、国連朝鮮委員会の監視のもとで、
制憲議会議員の単独選挙が強行され、
5月31日制憲議会を開催、互選により李承晩
(当時73歳。りしょうばん/イ=スンマン=1875~1965。
日本の韓国併合後、アメリカなどで独立運動を行い、
大韓民国の初代大統領となる。
大統領ポストを永続的に確保しようと、再三にわたり憲法改悪を強行し、
1960年3月16日の大統領選挙では極端な不正選挙を実施して4選を勝ち取った。
だが同年4月、その独裁的政治手法と大統領選挙の不正に憤慨した
学生・市民を中心に糾弾運動が起こり、大統領に就任できずに
アメリカ・ハワイに亡命【4月革命】、
5年後の1965年ハワイで客死【かくし=異国で死ぬこと】する【91歳】。
1952年、国防上及び資源保護の為、
国際法に違反して一方的に広範な公海上に設置した海域線、
いわゆる「李承晩ライン」を宣言、日本領の竹島【韓国名は独島】の占拠や、
教育機関における反日教育の実施等、多分に日本を敵視した政策が
採られたことは有名である)が議長に選出される。

同年7月10日には、制憲議会が国号を「大韓民国」と決定(宣言は8月15日)、
李承晩が大統領に就任、国連は、
大韓民国政府を朝鮮半島の唯一の合法的政府と認定した、
それが第195号(Ⅲ)決議である。
宣言の1月後の9月9日、金日成(キムイルソン。36歳)が、
朝鮮民主主義共和国を宣言する。
そして、2年後の1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発。

しかし、その後、韓国と北朝鮮が同時に国連加盟を許され、
北朝鮮も国家として承認されたため、この決議は事実上失効したことなる。
それゆえ、日韓基本条約第3条もまた有名無実化している。

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日韓基本条約の付随協約「日韓請求権並びに経済協力協定」の第2条1項。

両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利
及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、
1951年9月8日にサン・フランシスコ市で署名された
日本国との平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、
完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

―――――以下、全文――――――――――――

日韓基本条約の付随協約「日韓請求権並びに経済協力協定」
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/JPKR/19650622.T9J.html
(財産及び請求権に関する問題の解決
並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定)

1965年6月22日、東京。

日本国及び大韓民国は、両国及びその国民の財産並びに両国
及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、
両国間の経済協力を増進することを希望して、次のとおり協定した。

第一条

1、日本国は、大韓民国に対し、

(a)
現在において千八十億円(一◯八、◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に
換算される三億合衆国ドル(三◯◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の価値
を有する日本国の生産物及び日本人の役務を、この協定の効力発生の日から
十年の期間にわたつて無償で供与するものとする。

各年における生産物及び役務の供与は、
現在において百八億円(一◯、八◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)
に換算される三千万合衆国ドル(三◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に
等しい円の額を限度とし、各年における供与がこの額に達しなかつたときは、
その残額は、次年以降の供与額に加算されるものとする。

ただし、各年の供与の限度額は、
両締約国政府の合意により増額されることができる。

(b)
現在において七百二十億円(七二、◯◯◯、◯◯◯、◯◯◯円)に換算される
二億合衆国ドル(二◯◯、◯◯◯、◯◯◯ドル)に等しい円の額に
達するまでの長期低利の貸付けで、大韓民国政府が要請し、
かつ、3の規定に基づいて締結される取極に従つて決定される事業の実施に
必要な日本国の生産物及び日本人の役務の大韓民国による調達に
充てられるものをこの協定の効力発生の日から
十年の期間にわたつて行なうものとする。

この貸付けは、日本国の海外経済協力基金により行なわれるものとし、
日本国政府は、同基金がこの貸付けを各年において均等に行ないうるために
必要とする資金を確保することができるように、必要な措置を執るものとする。

前記の供与及び貸付けは、大韓民国の経済の発展に役立つものでなければならない。

2、両締約国政府は、この条の規定の実施に関する事項について
勧告を行なう権限を有する両政府間の協議機関として、
両政府の代表者で構成される合同委員会を設置する。

3、両締約国政府は、この条の規定の実施のため、
必要な取極を締結するものとする。

第二条

1、両締約国は、両締約国及びその国民(法人を含む。)の財産、権利
及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が、
千九百五十一年九月八日にサン・フランシスコ市で署名された日本国との
平和条約第四条(a)に規定されたものを含めて、
完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。

2、この条の規定は、次のもの
(この協定の署名の日までにそれぞれの締約国が執つた特別の措置の
対象となつたものを除く。)に影響を及ぼすものではない。

(a)一方の締約国の国民で千九百四十七年八月十五日から
この協定の署名の日までの間に他方の締約国に居住したことが
あるものの財産、権利及び利益

(b)一方の締約国及びその国民の財産、権利及び利益であつて
千九百四十五年八月十五日以後における通常の接触の過程において
取得され又は他方の締約国の管轄の下に入ったもの。

3、2の規定に従うことを条件として、一方の締約国及びその国民の
財産、権利及び利益であつてこの協定の署名の日に他方の締約国の管轄の下
にあるものに対する措置並びに一方の締約国及びその国民の他方の締約国
及びその国民に対するすべての請求権であつて同日以前に生じた事由に
基づくものに関しては、いかなる主張もすることができないものとする。

第三条

1、この協定の解釈及び実施に関する両締約国の紛争は、
まず、外交上の経路を通じて解決するものとする。

2、1の規定により解決することができなかつた紛争は、
いずれか一方の締約国の政府が他方の締約国の政府から紛争の仲裁を
要請する公文を受領した日から三十日の期間内に各締約国政府が
任命する各一人の仲裁委員と、こうして選定された二人の仲裁委員が
当該期間の後の三十日の期間内に合意する第三の仲裁委員
又は当該期間内にその二人の仲裁委員が合意する第三国の政府が
指名する第三の仲裁委員との三人の仲裁委員からなる仲裁委員会に
決定のため付託するものとする。
ただし、第三の仲裁委員は、
両締約国のうちいずれかの国民であつてはならない。

3、いずれか一方の締約国の政府が当該期間内に仲裁委員を
任命しなかったとき、又は第三の仲裁委員若しくは第三国について
当該期間内に合意されなかつたときは、仲裁委員会は、両締約国政府の
それぞれが三十日の期間内に選定する国の政府が指名する各一人の仲裁委員と
それらの政府が協議により決定する第三国の政府が
指名する第三の仲裁委員をもつて構成されるものとする。

4、両締約国政府は、
この条の規定に基づく仲裁委員会の決定に服するものとする。

第四条

この協定は、批准されなければならない。
批准書は、できる限りすみやかにソウルで交換されるものとする。
この協定は、批准書の交換の日に効力を生ずる。
以上の証拠として、下名は、
各自の政府からこのために正当な委任を受け、この協定に署名した。

千九百六十五年六月二十二日に東京で、
ひとしく正文である日本語及び韓国語により本書二通を作成した。


日本国のために

椎名悦三郎
高杉晋一


大韓民国のために

李東元
金東祚

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共同通信 2004年8月12日18時42分 【ソウル12日共同】
韓国放送公社(KBS)は12日、植民地支配の被害者への個別補償を
一貫して拒否している日本政府が、1965年の日韓国交正常化に至る
交渉過程で、個別補償をする用意を表明していたことが分かったと発表した。
東大東洋文化研究所に保存されている日韓会談の会議録(韓国語)で
確認したという。
しかし、韓国側は同会議録の中で
「補償金の支払い問題は国内問題として措置を取る考えで、
わが政府の手でやる」と、韓国政府がまとめて補償を行うことを主張。
個別補償の案は見送られ、経済協力方式で決着したとみられる。
KBSによると、61年5月の日韓会談第5回会談の会議録で、
日本側は「日本の援護法を援用し個人ベースで支払えば確実だと考える。
責任を感じており、被害を受けた人々に対し、
それに応じた措置を取れず申し訳なく考える」と表明した。

―――――――――――――――――

韓国外務部政務局 「第五次韓日会談予備会談会議録<Ⅲ級秘密>」

<第13回請求権小委員会>


戦争による被徴用者の被害とはどのようなものか?


生存者、負傷者、死亡者、行方不明者、
そして、軍人・軍属を含めた被徴用者全般に対して補償を要求するものだ。
我々は、新しい基礎の下で相当の補償を要求する。
他国の国民を強制的に動員することにより負わせた被徴用者らの
精神的・肉体的苦痛に対する補償を意味する。


日本人として徴用されたので、当時の援護のようなもの、
すなわち日本人に支給したものと同じ援護を要求するのか?


当時、日本人として徴用されたというが、我々にそのような考えはない。
日本人は日本人のために働いたのであろうが、我々は強制的に動員された。


被害者個人に補償してくれということか?


我々は国として請求する。個人に対しては国内で措置するつもりだ。


わが方でもそのような人々、
さらにその遺族にも相当の援護措置を講じており、
韓国人被害者に対しても可能か限り措置を講じようと思うが、
韓国で具体的な調査をする用意があるか?


もちろんそのようなことも考えられるが、
この会議とは直接関係ないと考える。


この小委員会は事実関係と法律関係を確認することにある。
韓国が新たな基礎の上で考慮するということは理解できるが、
個人ベースではないということは理解できない。
我々としては現在でも未払い賃金を支払う用意があるということは
前の会議でも言及した。
要するに我々の立場は未払い金が本人の手に入らなければならないと考える。


補償金においては、日本人の死亡者、負傷者に対しても
相当の補償を行っているが、他国の国民を強制的に徴用し、
精神的、肉体的に苦痛を与えたことに対して、
相当の補償をすべきではないか?


徴用当時は外国人ではなく、戦後に外国人となった。


当時日本時だったというが、
もう少し事実関係をはっきりすれば理解できるだろう。
韓国では道行く人を捕まえてトラックに載せ炭坑に送った。
カイロ宣言やポツダム宣言にも表明されているように、
日本人は韓国人を奴隷あつかいにしたにもかかわらず
当時日本人だったというのは事実を隠蔽するものである。


非常に気の毒なことであり当然援護しなければならないと考えるが、
その家族が外地にいては援護できない。
そのような人々の名簿を明らかにすれば、
早急に解決できると考えるが、明らかに出来るか。


若干の資料があるが不完全だ。


我々もその点について整理しており、
不完全であるが相互に対照させれば明らかにできると考える。
日本の援護法を援用し、個人ベースで支払えばはっきりすると考える。
日本側としては責任を感じており、被害を受けた人に対して
何ら措置を講ずることができずに申し訳なく考えている。
特に、負傷者、行方不明者、死亡者や
その家族に措置を講じなかったことに対して遺憾であると考えている。
(略)
徴用者には負傷者もあり死亡者もあり、また負傷者の中には
その原因であるとか程度があるが、そのような事実を全く知らず、
事実を覆い隠したままの状態でお金を支払えないではないか。
日韓間に国民感情があるとすれば、そのような問題であり、
相互に国民の理解を促進し国民感情を宥和させるためには
個人ベースで支払うのが良いと思う。


国内問題として、措置する考えであり、
この問題には人数であるとか金額の問題があるが、
ともかくその支払いはわが国の手で行うつもりである。

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日韓両国の財産・債権などの請求権の清算完了と経済協力
―――――――――――――――――
「日韓誤解の深淵」 西岡力 1992年 亜紀書房

日本の敗戦によって日本の朝鮮支配は終了する。

1951年のサンフランシスコ講和条約によって日本は朝鮮の独立を承認し、
国と国、国と国民(法人を含む)、
国民と国民の間の財産、債権、請求権に関しては
特別な取り決めを結んで処理することとなった。

韓国は亡命政権の活動などを根拠に戦勝国とし
サンフランシスコ条約に加わりたかったのだが、
連合国側はそれを認めなかった。

そのため同条約21条で日本が支払いを約束した
「戦争で受けた物質的損害と精神的損害に対する賠償を受ける権利」
は認められなかった。

わかりやすく言えば、韓国については
分離独立に伴う両国国民間の未清算部分の清算だけが認められたのだ。

1952年から始まった日韓交渉では、
この財産、債権、請求権に関する交渉がひとつの大きな柱となった。
韓国側は日本に対して8項目の「対日請求権要綱」を提示した。
(1966年大蔵省印刷局発行『時の法金別冊・日韓条約と国内法の解説』より)

【1】朝鮮銀行を通して搬出された地金返還。
【2】日本政府の対朝鮮総督府債権の返還。
【3】日本降伏後に韓国から送金された金品の返還。
【4】韓国に主事務所を置いていた法人の在日財産の返還。
【5】韓国法人または韓国自然人の日本国または日本国民に対する
日本国債、公債、日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、補償金
およぴその他の諸請求権の弁済
(本項の一部は下記の事項を含む。
1.日本有価証券 2.日本系通貨 3.被徴用韓国人の未収金
4.戦争による被徴用の被害に対する補償
5.韓国人の対日本政府請求恩給関係その他
6.韓国人の対日本人または法人請求 7.その他)

【6】~【8】は略

この中の【5】の3~7が、
戦争に動員された韓国人の補償と関連があるわけだ。
ちなみに「【5】の7その他」に関しては注目すべき情報を関係者から聞いた。
交渉の過程で韓国側自らが「その他」の中身は
「今後起こりうるかもしれない諸問題」であると主張していたというのだ。
現在、韓国内にある
「従軍慰安婦は65年当時議論されなかったのだから新しく請求できる」
という主張は当時の韓国側の解釈とも矛盾することになる。

一方、日本側はこの8項目要求に対して、
根拠のあるものは支払う準備があるが、
立証責任は韓国側にあるという立場をとった。

その上で日本側の要求として、日本人の在韓私有財産に対する補償を求めた。
どちらが多いかを計算すると
日本側の取り分の方が多いという主張だったのだ。

当時、日本人の在韓財産はすべて米軍が没収し韓国政府に委譲しており、
日本はサンフランシスコ条約でその効力を承認していた。
しかし、1907年制定のハーグ陸戦法規によれば、
占領軍も占領地の私有財産を没収することはできないとされているから、
日本人の私有財産に対する対価は請求できるという理屈だった。

日本は1957年にアメリカ政府の解釈に従いこの主張を取り下げたが、
その時、韓国側の取り分を計算する際、
日本人の私有財産が韓国政府のものとなった点を
「関連あるもの」として考慮するという了解をとりつけることに成功した。

その後、1961年に政権の座についた朴正煕大統領の
強力なリーダーシップのもと、この問題は実務レベルを離れ、
経済協力と抱き合わせの形で一括解決されることとなった。

それが1965年日韓国交回復の際に締結された
「財産及ぴ請求権に関する問題の解決
並ぴに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定」
である。

この第1条で日本は韓国に無償で3億ドル、長期低利の借款を2億ドルを、
10年間にわたって供与することが決められた。
またそれ以外に日本からの3億ドル以上の民間借款の提供も約束された。
ただし、このうちいくらが韓国への未清算部分の支払いなのかは
まったく明らかにされていない。

第2条では韓国の独立に伴う未清算部分の解決が終了したことに関して
次のように書いている。

「1.両締約国は、両締約国及ぴその国民(法人を合む)の財産、権利
及ぴ利益並ぴに両締約国及ぴその国民の間の請求権に関する問題が、
1951年9月8日にサンフランシスコ市で署名された(a)に規定されるもの
を含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。」

その上この協定について合意された議事録の中には、
「協定第2条に関し、同条1にいう完全かつ最終的に解決されたこととなる
両国及ぴその国民の財産、権利及ぴ利益並ぴに両国
及ぴその国民の間の請求権に関する問題には、
日韓会談において韓国側から提出された
『韓国の対日請求権要綱』(いわゆる8項目)の範囲に属する
すべての請求が含まれており、したがって、同対日請求要綱に関しては、
いかなる主張もなしえないこととなることが確認された」
と記されているのだ。

こうした条文を読めば、無債有債5億ドルを韓国政府に
まとめて供与することによって韓国人戦争犠牲者への
いかなる補償もすべて終了したということは明白である。

当時、日本の外貨準備高は18億ドルであった。
また、65年当時韓国の手持ち外貨は1億3000万ドル、
貿易赤字が手持ち外貨を上回る2億9000万ドルの時期での5億ドルという額は
日・韓両国にとってもたいへんな金額だったことも明白である。
(中略)
韓国側関係者にも考えてもらいたことがある。
日本からの5億ドルの資金は、農業近代化、浦項製鉄所建設、中小企業育成、
科学技術開発、昭陽江多目的ダム、京釜高速道路建設などに投入され、
66~75年の10年間に経済成長寄与率20パーセント、
経常収支改善効果年平均8パーセントという実績を生み出した。

「漢江の奇跡」と呼ばれる朴政権下の急速な経済成長に、
過去の清算を目的として日本が提供した資金が
有効に活用されたということは、
日韓両国関係者の努力の結果として高く評価するべきだ。

フィリピン、南ベトナム等への「賠償」資金の使途と比べて
きわめて有効な使途であったといえるだろう。

重ねていうが資金の使途をどうするかは
その国の主権行為であって、それについて要求があれば
それぞれが自国政府に提出すべきことである。
韓国は韓国なりの有効な使途を作ったが、
それになお問題があれば韓国政府が解決するしかない。

ところで、民間人に対する補償は日韓国交回復後10年間延期された後、
75年に「軍人、軍属または労務者として招集され
1945年8月15日以前に死亡した者」が対象となり、
その直系遺族約9500人にそれぞれ30万ウォンが支払われた。

しかし負傷者を含む生存者にはまったく何もなされていない。
ある意味でいえば、韓国人戦争犠牲者たちは経済発展という国家民族の大事の
ために多少我慢させられてしまったということだ。
別の言い方をすれば、韓国政府は戦争犠牲者を含む国民全体が
絶対的貧困から解放されるために
日本からの資金を使うという選択をし、その政策は目標を達成したのだ。

また、それと同時に日本金融機関への預金、債権など
財産関係についての補償も実施され、
9万3685件、66億4100万ウォンが支払われている。

元従軍慰安婦の韓国人女性が92年3月下関郵便局を訪れ、
6~7000円の軍事郵便貯金の払い戻しを請求したと、
新聞などで報じられたが、もし彼女に日本側が払い戻しをしたら、
65年の協定のすべてが崩壊してしまうということは明らかだろう。

また、従軍慰安婦として当時のカネで6~7000円の貯金
(当時東京でかなりの家が一軒買えた)が出来たという事実も、
その置かれた状況が一般で思われているような奴隷的なものとは
かけ離れていたことを示すものといえよう。

それから、在日韓国人の元軍人・軍属に対する補償に関して
韓国政府の民間人補償でも除外されているから、
日本人と同等にすべきだという要求が出ている。

しかし、65年の協定により日本人は韓国における財産をすべて失い、
韓国人も日本における財産(貯金、債権等をも含む)をすべて失った。

それに対して日本政府は日本人に一切補償しなかったが、
韓国政府は請求権資金の一部を使い前述したような補償を実施した。

ところが、在日韓国人だけは日本における財産を失うことがなかったのだ。
ここでたいへんな優遇を受けているのである。
だから、韓国政府は民間人補償から在日韓国人を排除しているのだろう。

もし不公平が残るとすると軍人・軍属・労務者として死亡した者の遺族が
在日韓国人のなかにいた場合だけであり、
その場合も当然自国の政府に対して救済を求めるべきものなのだ。
もし在日の旧軍人らが日本人の間軍人らと同じ救援を
日本政府から受けるとすると、
財産を失った本国の人たちに比べて財産はそのままの上、
援護も格段手厚く受けることになって衡平を失してしまう。

ところが大多数の韓国人ほ、日本からの資金がどのように使われ、
いかなる効果を上げたかをまったく知らされてこなかった。
マスコミも書かないし、学校でも教えていない。
65年に国交が回復して以来、両国閣係者の努力により日韓両国は
さまざまな紆余曲折はあったが友好と協力を積み上げてきたことは確かだ。

その肯定的側面についての議論が余りにも少なすぎはしないか。
日本が植民地時代にいかに残虐な弾圧をしたのかを
ロウ人形で再現している独立記念館を訪れるたぴに思うのは、
65年の国交回復以降の友好協力関係について
なぜ展示がないのかということだ。

請求権資金の約4分の1が投入された浦項製鉄所でも、
1日平均数百人による内外の見学者に、一切そのことを説明していない。

日本人は戦前の歴史をもう少し知る必要があるが、
韓国人にも65年以降の歴史にもう少し、目を向けてもらえないだろうか。

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★漢江の奇跡とは・・・・
http://nandakorea.sakura.ne.jp/honkanhtml/kanko.html
http://megalodon.jp/2012-0505-1028-41/nandakorea.sakura.ne.jp/honkanhtml/kanko.html

韓国鉄道設備改良事業 1966-06-08 39.6億円
韓国漢江鉄橋復旧事業 1966-06-17 3.6億円
韓国建設機械改良事業 1966-07-20 23.4億円
韓国水利干拓および浚渫事業 1966-07-20 11.88億円
韓国海運振興事業 1966-07-27 32.43億円
韓国中小企業および機械工業育成事業 1966-07-27 54.0億円
韓国鉄道設備改良事業(2) 1967-03-23 33.65億円
韓国輸送および荷役機械改良事業 1967-06-27 9.35億円
韓国光州市上水道事業 1967-07-11 6.05億円
韓国市外電話拡張事業 1967-07-11 3.60億円
韓国大田市上水道事業 1967-07-11 5.90億円
韓国産業機械工場拡張事業 1967-07-31 10.80億円
韓国昭陽江ダム建設事業 1967-08-07 3.96億円
韓国中小企業および機械工業育成事業 1967-08-07 26.69億円
韓国高速道路建設事業 1968-06-26 10.80億円
韓国市外電話拡張事業 1968-10-30 6.48億円
韓国昭陽江ダム建設事業 1968-12-28 46.98億円
韓国高速道路建設事業 1969-04-14 18.00億円
韓国農水産振興事業 1969-06-19 8.92億円
韓国嶺東火力発電所建設事業 1969-09-01 6.41億円
韓国清州市上水道事業 1969-12-04 3.24億円
韓国南海橋建設事業 1969-12-04 7.88億円
韓国昭陽江ダム建設事業 1970-02-04 27.01億円
韓国市外電話拡張事業 1970-06-25 5.17億円
韓国総合製鉄事業(現・POSCO) 1971-07-16 28.80億円 浦項綜合製鉄(株)
韓国ソウル地下鉄建設および国鉄電化事業 1972-04-10 272.40億円
韓国総合製鉄事業(現・POSCO) 1972-05-01 107.49億円 浦項綜合製鉄(株)
国商品借款商品借款等 1972-09-18 77.00億円 大韓民国政府
韓国総合製鉄事業 (現・POSCO)1973-01-16 10.87億円 浦項綜合製鉄(株)
韓国通信施設拡張事業 1973-04-23 62.00億円
韓国漢江流域洪水予警報施設事業 1973-07-20 4.62億円
韓国商品借款 1974-05-13 77.00億円 大韓民国政府
韓国浦項総合製鉄所(現・POSCO)拡充事業 1974-05-22 127.88億円
韓国大清多目的ダム建設事業 1974-12-26 118.80億円
韓国農業総合開発事業 1974-12-26 194.40億円
韓国浦項総合製鉄所(POSCO)拡充事業 1975-07-30 2.25億円
韓国北坪港建設事業 1976-03-31 124.20億円
韓国忠北線復線化事業 1976-11-26 43.00億円
韓国通信施設拡張事業 1976-11-26 66.00億円
韓国農業振興計画 1977-06-10 126.00億円
韓国超高圧送電線建設事業  1977-11-28 40.00億円
韓国忠州多目的ダム建設事業 1978-01-20 140.00億円
韓国農業振興計画 1978-01-31 60.00億円
韓国医療施設拡充事業 1978-12-25 70.00億円
韓国農業総合開発事業 1978-12-25 140.00億円 韓国電力(株)
韓国教育施設拡充事業 1980-01-18 100.00億円
韓国国公立医療及び保健研究機関近代化事業 1980-01-18 40.00億円

韓国都市下水処理施設建設事業 1980-01-18 50.00億円。
建設部,大邱市,大田市,全州市

韓国教育施設(基礎科学分野)拡充事業 1981-02-27 60.00億円
韓国民間地域病院医療装備拡充事業 1981-02-27 130.00億円
韓国医療装備拡充事業(ソウル大学小児病院)1983-10-11 54.00億円
韓国下水処理場建設事業(ソウル炭川) 1983-10-11 115.00億円
韓国地方上水道拡張事業(釜山,ソウル,晋州)1983-10-11 78.00億円
韓国陜川多目的ダム建設事業 1983-10-11 204.00億円
韓国ソウル上水道施設近代化事業 1984-08-08 29.00億円
韓国下水処理場建設事業(ソウル中浪) 1984-08-08 167.00億円
韓国下水処理場建設事業(釜山) 1984-08-08 63.00億円
韓国気象関連設備近代化事業 1984-08-08 42.00億円
韓国国立保健院安全性研究センター事業 1984-08-08 24.00億円
韓国住岩多目的ダム建設事業 1984-08-08 111.00億円
韓国大田市上水道拡張事業社会的サービス 1984-08-08 22.00億円
韓国都市廃棄物処理施設建設事業1984-08-08 4.00億円大邱市、城南市
韓国農業水産試験研究設備近代化事業 1984-08-08 33.00億円
韓国医療施設拡充事業 1985-12-20 123.00億円
韓国下水処理場建設事業(釜山長林) 1985-12-20 92.60億円
韓国下水処理場建設事業(光州) 1985-12-20 75.60億円
韓国下水処理場建設事業(春川) 1985-12-20 32.80億円
韓国化学研究用・計量標準研究用資機材補強事業 1985-12-20 27.00億円
韓国教育施設拡充事業 1985-12-20 152.00億円
韓国総合海洋調査船建造事業 1985-12-20 41.00億円
韓国教育施設拡充事業 1987-08-18 129.11億円 文教部,国立科学館
韓国中小企業近代化事業 1987-08-18 77.50億円
韓国農業機械化事業 1987-08-18 77.50億円 全国農業協同組合中央会
韓国廃棄物処理施設建設事業 1987-08-18 53.72億円 大邱市、城南市
韓国酪農施設改善事業 1987-08-18 38.75億円 ソウル牛乳協同組合
韓国臨河多目的ダム建設事業 1987-08-18 69.75億円
韓国蔚山市都市開発事業(鉄道部門) 1988-06-22 44.40億円
韓国栄山江3-1地区防潮堤事業 1988-06-22 44.40億円
韓国下水処理場建設事業(済州・清州) 1988-06-22 41.59億円
韓国教育施設拡充事業 1988-06-22 5920億円

韓国研究所施設拡充事業 1988-06-22 26.79億円
韓国遺伝工学,機械,電子通信,化学研究所

韓国私立大付属病院施設拡充事業 1988-06-22 56.24億円
梨花女子大学,中央大学,漢陽大学,高麗大学,東亜大学

韓国大田上水道拡張事業 1989-08-22 14.34億円
韓国中小企業近代化事業 1989-08-22 62.00億円 国民銀行
韓国ソウル地下鉄建設事業 1990-10-31 720.00億円
韓国医療装備拡充事業(ソウル大学校病院) 1990-10-31 43.20億円
韓国水産・商船学校練習船装備拡充事業 1990-10-31 21.60億円
韓国中小企業近代化事業 1990-10-31 115.20億円
韓国肉加工施設拡充事業 1990-10-31 17.28億円 畜産業協同組合中央会
韓国配合飼料工場建設事業 1990-10-31 54.14億円 畜産業協同組合中央会
韓国酪農施設改善事業 1990-10-31 24.48億円 畜産業協同組合中央会

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新日鉄住金、韓国の戦時徴用訴訟で賠償の意向 敗訴確定時「無視できぬ」

産経ニュース 2013.8.18 08:56
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130818/trl13081808560000-n1.htm

朝鮮半島の日本統治時代に日本で戦時徴用された韓国人4人が
未払い賃金などの個人補償を求めた訴訟で、
被告の新日鉄住金(旧日本製鉄、本社・東京)が
計4億ウォン(約3500万円)の賠償を命じられた7月の
ソウル高裁判決を受け、敗訴判決が確定した場合には
賠償に応じる意向であることが17日、同社への取材で分かった。

元徴用工の賠償請求権問題については、日韓両政府とも昭和40年の
日韓請求権協定で解決したとの立場を取っており、
同社の判断は今後の同種訴訟や国内世論に影響を与えそうだ。

新日鉄住金の訴訟をめぐっては、
原告のうち2人が平成9年に日本で同様の訴訟を起こしたが、
15年に敗訴が確定。
韓国でも確定判決の効力を認め1、2審が請求を退けていたが、
韓国最高裁が昨年5月、個人請求権を認め、審理を高裁に差し戻した。

新日鉄住金側はソウル高裁判決を不服として上告したが、
最高裁で判断が覆される可能性は低いとみられる。

同社は、
(1)判決確定前に和解する
(2)確定判決に従う
(3)判決確定後も支払いに応じない-との選択肢から今後の方策を検討。

(1)では原告側が補償基金の設立を求めることも予測され、
賠償の対象が立証の不十分な元徴用工にも拡大すると判断した。

また、(3)の場合は、
同社の韓国内の資産を差し押さえる強制執行が行われるとみられ、
取引上の売掛債権などが対象にされる可能性を考慮。
同社幹部は「取引先にまで影響が及ぶ可能性があり、
確定判決を無視するのは困難」としている。

戦時徴用をめぐっては、三菱重工業(東京)に対しても7月、
釜山高裁が賠償を命じる判決を言い渡した。
同様に上告の意向を明らかにしている同社は
「和解の予定はない」とした上で、
「上告審で主張が認められると信じているが、
万一敗訴が確定した場合には外務省、経済産業省など
各方面と協力し適切な対策をとっていく」としている。

◆「仮定の話できない」

外務省北東アジア課の話「『賠償の必要はない』という認識で
国と企業は一致していると考えている。訴訟は係属中で、
判決確定や資産差し押さえ後の対応について、仮定の話はできない」

◆支払い義務ない

現代史家の秦郁彦(はた・いくひこ)氏の話
「協定上、賠償金を支払う義務は全くない。
日本政府は経済政策の中で揺さぶりをかけ、
韓国内での問題解決を迫るべきだ。
進出企業への影響など配慮すべき点もあるが、
痛みを伴わずに問題を解決させる妙案はない。
現状では日本企業側が命じられた賠償は高額でなく、
韓国内の資産差し押さえがあっても影響は限定的といえるため、
企業側にも『我慢』が求められる。
個人請求権をなし崩しに認めてしまえば
同様に請求権放棄が確認されている中国でも問題が再燃しかねない」

◆戦後処理が崩壊

神戸大の木村幹教授(朝鮮半島地域研究)の話
「韓国で請求権協定が無視される事態が続けば、
両国間の戦後処理が全般的に崩壊するだろう。
政府間の対話で解決できる段階は過ぎた。
協定は解釈上の問題が生じた場合に仲裁機関を設置すると定めており、
これを韓国側に提案し解決にあたるべきだ。
国際法の専門家が精査すれば、
今回の判決に問題が多いことは十分に理解されるはず。
韓国内での政治情勢などに絡んで解決がさらに先延ばしにされる恐れもあり、
日本側からの積極的な働きかけが必要だ」

【用語解説】新日鉄住金(旧日本製鉄)の戦時徴用訴訟

戦時中の昭和16~18年ごろに徴用され、
朝鮮半島から日本に渡った80~90代の元労働者の韓国人男性4人が、
旧日本製鉄の大阪製鉄所などで当初の説明とは異なる苛酷な勤務を
強いられたなどとして、損害賠償や未払い賃金の支払いを求めた訴訟。
今年3月には、別の元徴用工の男性8人が
新たに同社への賠償を求める訴えをソウル中央地裁に起こしている。

【用語解説】日韓請求権協定

昭和40年の日韓国交正常化に伴い締結された協定。
日本が韓国に無償3億ドル、有償2億ドルを供与することで、
両国および国民間の請求権問題が「完全かつ最終的に解決された」
と明記している。
協定を基に両国政府とも徴用問題は解決済みとの立場をとっているが、
韓国の大法院(最高裁)が昨年5月、
「強制徴用は『反人道的な不法行為』であり協定の対象外」
と判断したことで問題が再燃した。

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筋を通した日韓交渉
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竹島が日本の領土である根拠
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2008/10/14 09:00|年表リンク用資料
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