正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観=完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=固定観念=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=戦う人は悪い人=軍民分割統治=団結させない個人主義の洗脳を解き、誇りある歴史を取り戻そう!

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ナチ「ガス室」はなかった。

『日本人が知らない恐るべき真実』より抜粋
http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20061213

ユダヤ人が悲惨な死を遂げたことは間違いない。
しかし、ガス室で計画的に殺されたという話には証拠が少ない。

戦後、西側に属した収容所には
すべてガス室が存在しなかったことが証明された。
あったとされるのは東側の収容所のみ。
しかも、ガス室は密閉機能に欠け、使用されたガスは科学者の目から見ると、
とても大量殺人には使用できぬものであった。

今日「ホロコースト」に関するいわゆる「定説」は、以下のようになる。
ナチスドイツは戦争中、ドイツ本国及び、
占領したポーランドなどに大小多くの収容所を建設し、
ユダヤ人や政治犯、ジプシーなどを収容した。

それらの収容所には二種類があった。
一つは、ユダヤ人などを単に収容し、
労働を行なわせただけの収容所であったが、
もう一種類は「絶滅収容所」で、そこにはあの恐ろしい「ガス室」があって、
人々は強制労働をさせられただけでなく、
「ガス室」によって計画的に殺されていた。
アウシュヴィッツ収容所は、この後者の代表である。

ナチスが、自国ドイツの領土内に作ったのは、
前者の「ガス室」のない収容所だけで、
「ガス室」を持った「絶滅収容所」は、
占領したポーランド領内だけに作られ、
そこで六百万人のユダヤ人が、計画的に殺された……〉

ところが、この「定説」は、
戦争直後に連合軍が発表した話とは違うのである。

戦争直後、ドイツを占領した連合軍は、
アウシュヴィッツをはじめとするポーランド領内の収容所ばかりか、
ドイツ本国の収容所にも「ガス室」があったと主張していた。

つまり、戦争直後には、今の「定説」とは違うことを主張していたわけで、
「定説」の内容は、変わっているのである。
例えば、ミュンヘン郊外にダッハウ(Dachau)収容所という収容所があった。

戦争末期にこの収容所を解放したアメリカ軍は、
ここで大量殺人用の「ガス室」を発見したと発表して、
一枚の写真を公開した。
それは、黒い鉄の扉の前に一人のアメリカ兵が立って、
その扉を見つめている写真である。
その扉の上には、ドイツ語で、
Vorsicht! Gas! Lebe-nsgefahr! Nicht o"ffnen!
(注意! ガス!生命の危険! 開けるな!)
という警告が書かれ、白いドクロのマークも描かれている。

その写真にアメリカ軍が加えた説明(キャプション)がどんなものだったか。
「死体焼却炉の側という便利な場所に作られたガス室が、
アメリカ第七軍の兵士によって調べられているところ。
これらの部屋は、忌まわしいダッハウ収容所で、
被収容者を殺すためにナチの衛兵たちが使っていたもの」

ドクロのマークが描かれた鉄の扉に
Gas!という文字が見える写真を見せられ、
その写真にこんな「解説」を付けられたのでは、
ダ ッハウには大量殺人用の「ガス室」があったという発表が
「真実」として受けとめられたのは当然である。

実際、アメリカが発表したこの写真や生存者の「目撃証言」により、
戦争直後には、世界中がダッハウに「ガス室」があり、
その「ガス室」で戦争中多くのユダヤ人が殺されたと
信じていた時があったのである。

ところが、後から明らかになったことは、
その写真の黒い扉は、確かに「ガス室」の扉ではあったが、
人間を殺すためのガス室などではなく、
シラミなどで汚染された衣服を消毒するためのガス室だった
という人を食ったような事実であった。

すなわち、戦争末期のドイツ強制収容所では、衛生状態が著しく悪化し、
発疹チフスなどの発生が大問題となっていた。
その対策として、DDTを持たない当時のドイツ軍当局は、
サイクロンB(Zyklon B)という青酸系殺虫剤を使って、
ユダヤ人をはじめとする被収容者達の衣服の消毒を行なっていたのである。

ドイツでサイクロンBという青酸系殺虫剤が生産、販売され、
殺虫作業などに広く使用されていたことは、秘密でも何でもないが、
ドイツがこのサイクロンBを大量殺人目的に転用、
六百万人ものユダヤ人を殺したというのが、
「定説」の主張するところなのである。

サイクロンBを使って、人間を大量に殺すことが
到底不可能であることは後から説明するが、
ここで読者に知って頂きたいことは、
戦時中から戦争直後にかけて、
アメリカやイギリスがこのような報道操作を行なっていたという、
あまり知られていない事実である。

「ダッハウのガス室」だけではない。
ドイツを西から攻略したアメリカ、イギリス連合軍は、
ドイツ西部で強制収容所を解放した際、
いくつもの「ガス室」を「発見」した筈だったのである。
彼らはそう発表し、戦後しばらくはそう語っていたのである。

それなのにそれを彼ら自身が今日
全く語らなくなったのは一体何故なのだろうか?

戦争直後には、「ブーヒェンヴァルトのガス室」を
目撃したという「証言」があった。
「ダッハウのガス室」を目撃したという「証言」もあった。
これらの「証言」は、ニュールンベルク裁判にも提出されていたのだが、
こうした「証言」が本当であったなら、
「定説」を支持する人々は、
何故ダッハウやブーヒェンヴァルトに
「ガス室」があったという彼らの主張を取り下げたのだろうか?
 
答えは、一つしかない。

彼らが発表した「証拠」や「証言」の中に本物は一つもなかったのである。
恐ろしいが、これが真実なのである。

注目して頂きたいのは、この書き変え以降も
「ガス室があった」とされる収容所はすべて東側、つまり共産圏に存在し、
ジャーナリストの自由な調査が不可能な地域であったという事実だ。

このように、「ホロコースト」に関しては、
「間違い」とか「見間違い」では到底説明し得ない内容の
書き換えがくりかえされてきた。
そして、もっと重要なことは、そのようないい加減な「証言」だけに
「ホロコースト」の内容が依拠しているということなのである。
つまり、「ホロコースト」には、「証言」以外に何も物証がないのである。

「ガス室」の「実物」とされるものは
アウシュヴィッツとマイダネックにしかないのだが、
実はそれら「ガス室」というコメント付きで
ポーランド当局が展示している部屋は、
処刑用ガス室に必要な構造、特徴を全く備えていないのである。

例えば、今日アウシュヴィッツに展示されているあの有名な「ガス室」は、
半地下式の「ガス室」で、
すぐ隣に四つの焼却炉を持つ「焼却室」が併設されている。
というよりも、そのような半地下室をポーランドの共産主義政権が、
戦後「ガス室」として展示してきたのである。

この部屋が仮りに説明されている通り、
殺人用ガス室だったと仮定してみよう。
すると、まず、この「ガス室」には窓がないことに気付く。
窓というより、窓を取付ける穴が何処にも開けられていないのである。
窓そのものは、処刑用ガス室にとって必要とはいえないが、
窓を取付ける穴が一つもないということは、
換気扇を付ける場所がないということである。

処刑用ガス室においては、
一回処刑が終わるたびに換気をしなければならない。
換気をしなければ、次の犠牲者たちを「シャワーだ」とだまして
「ガス室」に入れることは出来ないのだから、
これはガス室にとって必要欠くべからざる機能なのである。

しかし、そのために必要な換気扇を付ける場所が、
アウシュヴィッツの「ガス室」にはない。
アウシュヴィッツの「ガス室」で使用されたことに
なっている「毒ガス」は青酸ガスだが、
青酸ガスの物理的性質の一つに、
壁や天井に吸着しやすいというやっか いな性質があり、
例えば倉庫などで青酸ガスによる殺虫作業を行なった場合、
自然の通風では、殺虫作業後の換気に二十時間前後を要したとされている。

とすれば、アウシュヴィッツの「あの部屋」が「ガス室」だった場合、
換気扇がないのだから、
出入り口または天井の小穴
(そこから青酸ガスが投げ込まれたことになっている)
から換気したとして、
一日に一回しか「ガス室」での処刑は行なえなかった筈である
(何という非効率的な「民族絶滅」だろうか?)。

その上、アウシュヴィッツの「ガス室」には、
処刑用ガス室の設計において常に要求される高い機密性がなく、
青酸ガスで内部を充満させた場合、外部に青酸ガスが漏れるのは必至である
と、アメリカのガス室専門家ロイヒターは指摘している。
つまり、外にいるドイツ兵が青酸中毒になってしまうのである。

サイクロンBの成分であるシアン化水素自体は確かに猛毒だが、
使用に際し、長時間の加熱を必要とする。
つまり、長時間の加熱を行なわなければ
「毒ガス」それ自体が発生しないのだが、
それは、サイクロンBがもともと
そのような方法で使用する殺虫剤だったからに他ならない。
ただ缶を開ければ、青酸ガスが発生するようなものではないのである。

ここは、非常に重要な点なので分かりやすく説明しよう。

DDTを持たなかった第二次世界大戦中のドイツ軍は、
このサイクロンBを殺虫剤として使用していたが、
問題は、「ホロコースト」があったと主張する人々が、
この殺虫剤サイクロンBが「ガス室」で使われたと主張していることにある。

つまり、彼らは、
ドイツが殺虫剤サイクロンBを大量殺人用に転用し、
アウシュヴィッツなどの「ガス室」で使用した
と、戦後一貫して主張し続けているのである。
これは、「ホロコースト」という物語の核心部分であるが、
実は、物理的、化学的、医学的に不可能なことなのである。

サイクロンBは、缶に入っている。
「ホ ロコースト」を扱ったテレビドラマや映画では、
この缶をドイツ兵が開け、
「ガス室」の屋根に取付けられた穴から放り込むと、
直ちに缶の中から「毒ガス」が 出て、
ドイツ兵の足下の地下式「ガス室」にいる人々が「毒ガス」に悶え苦しみ、
死んで行くという場面が描かれているが、
これは絶対にあり得ない。

サイクロンBの缶の中身はシアン化水素(HCN)、
すなわち青酸ガスが吸着したチョークやパルプのかけらなのである。
青酸ガス(HCN)を発生させるには、
それらの(青酸ガスを吸着した)チョークやパルプを
ヒーターで長時間加熱しなければならないのだ。
これを燻蒸という。

アウシュヴィッツ等の強制収容所では、
戦争末期に発疹チフスなどの感染症が多発し、
それらの病原体を媒介するシラミの駆除が大問題になっていた。
こうしたシラミが、被収容者の衣服に付着することが多かったため、
ドイツ軍当局は、
被収容者の衣服をサイクロンBによって燻蒸、消毒していた。

もっとも十分な効果は得らず、
ある資料によれば、サイクロンBによる燻蒸では、
蛾を殺すのにも二十四時間が必要だったという。
この程度の殺虫剤をドイツは
大量殺人用の毒ガスに転用したということになっているのだが、
蛾を殺すのに二十四時間もかかった殺虫剤で、
人間を数十分以内に殺せたのだろうか?

サイクロンBで人間を殺せるかどうかの議論は棚上げして、
仮りに殺せたとしよう。
とすれば、処刑が終わった「ガス室」内部は、
人間の致死量を超える濃度の青酸ガスが充満している筈である。
そこにガスマスクを付けずに入ったというのだろうか? 
そして、「タバコを吸いながら」という描写はどうだろうか? 

青酸ガス(シアン化水素)は、水素化合物、即ち爆発性の気体なのだ。
さらに言えば、「ガス室」のシャワーから青酸ガスが噴霧された
というよく知られた話も全く馬鹿げている。

青酸ガスは、空気より軽いのである。
その青酸ガス(シアン化水素)をガス室の屋根の穴から缶ごと投下し、
シャワーを経由してその下にいるユダヤ人達を殺したという話が、
広く信じられているが、
空気より軽い青酸ガスが、
「ガス室」の天井からその下のユダヤ人達へと、
上から下へ拡散するだろうか?

もう一つ、読者を驚かせることを言おう。

ヒトラーは、「ユダヤ人絶滅」など一度も命令していなかったのである。
プロパガンダとして流布された「ガス室」の話が、
検証されぬまま「歴史」に転化したのが「ホロコースト」

連合軍は、戦後ドイツで大量のドイツ政府公文書を押収した。
それによって、戦争中ドイツ政府が何を検討し、
何を命令していたかが明らかになるからだが、
その押収されたドイツ公文書の量は、
アメリカ軍が押収したものだけでも千百トンに及んでいる。

ところが、戦後、連合軍が押収したそれらのドイツ政府公文書の中に、
ヒトラーもしくは他のドイツ指導者が
「ユダヤ人絶滅」を決定、命令した文書は一枚もなかったのである。

実際、連合国は、ニュールンベルク裁判において、
ドイツの指導者が「ユダヤ人絶滅」を決定、命令した証拠となる文書を
提出していない。
もし証拠となる命令文書はあったが隠滅されたとか、
命令が口頭でなされたとか主張するなら、
その証拠を提示するべきである。

実際、アメリカにはこのような主張をする人々がおり、
それなりの「証言」や談話の記録、会議録、手紙などを引用する人すらいるが、
結論から言うと、
彼らが引用するそれらのものは、全く「証拠」になるようなものではない。

それどころか、ドイツ政府が計画した「ユダヤ人問題の最終的解決」
なるものの内容が、実はユダヤ人の「絶滅」等ではなく、
ユダヤ人の強制移住であったことを明快に示す文書が、
押収されたドイツの公文書の中に多数発見されている。

それらの文書は、ポーランドに作られたアウシュヴィッツ収容所等への
ユダヤ人移送が、ドイツ政府にとっては「一時的措置」
でしかなかったことを明快に述べている。
そればかりか、当時のドイツ指導部が、
その「一時的措置」の後には、
収容したユダヤ人達を「東方地域」に移送する計画であったことを
はっきりと述べてもいるのである。

これは、アウシュヴィッツをはじめとする収容所の建設目的が、
これまで言われてきたような「ユダヤ民族の絶滅」ではなく、
「東方地域への移送」であったことの動かぬ証拠である。

これこそが、ナチスドイツが計画した「ユダヤ人問題の最終的解決」
という用語の本当の意味だったのである。
2008/10/02 02:02|年表リンク用資料
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