●正統史観年表 戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳 |
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簡単に作れそうだったのでブログで この正統史観年表を作成しました。 ブログなので各記事の一番右下に 日付が表示されてしまいますので、 適当な日付を指定しながら記事を 作成していきました。つまり各記事 の一番右下の日付はブログを書いた 日付ではなく、適当な日付です。 まぎらわしくて申し訳ありません。 |
1913年(大正2年)8月の南京事件。
支那では清朝政府が1911年の辛亥革命によって倒れるのだが、 このあと孫文の後を受けて袁世凱が新政府の大統領に就任した。 ところが袁世凱の狙いは、支那の民主化とはほど遠く、 単に自らが皇帝となろうとする卑しいものであったため、 これを不服とする孫文派の革命功績者たちが袁世凱と激しく対立した。 その対立者たちを押さえこむため、袁世凱は軍事力にものを言わせたのだが、 この年の8月31日に南京城内に乱入した袁世凱派の張勲が、 南京城内で約1ヵ月にわたり、虐殺、強姦、略奪の限りをつくした。 この事件で南京城内では、支那人の市民に数千人におよぶ死者がでたのだが、 それだけでなく張勲らは外国人居留区にまで侵入し、 そこで日本人商店も襲撃し、少なくとも日本人10数名を殺害した。 このとき襲われた商店は日章旗を掲げていたにもかかわらず、 張勲らは日本人を襲撃し、日本人商店で働く邦人を虐殺し、 女性を強姦し殺害したのである。 当然のことながら日本国内の世論は激昂したのだが、 支那との紛争を回避したい日本政府は、あくまで穏便にと報復措置をとらず、 襲われたのは単に張勲軍の何かの手違いにすぎなかったのではないか、 などと理屈にもならない答弁をした。 このため怒った暴徒によって、9月5日には、 阿部政務局長が日本国内で斬殺されるという事件まで起こった。 本来なら、このとき外地にいる邦人居留民保護のため、 軍が即応できる体制をとっていれば良かったのだ。 欧米諸国は、すべてそのようにしていた。 自国民が被害にあった場合、即時断固とした報復攻撃を行っていたのである。 ところが日本政府は、 穏便な事態の収拾を図るためにと、軍の動員をしなかった。 当時の日本陸軍は、国家 対 国家の大きな戦争を前提として組織されており、 勅命がなければ一切動くことができない機構になっていたのである。 このことが後日、支那人たちを増長させ、さらに被害を 拡大する原因となったことは、歴史に学ぶべき大きな反省事項である。 一方、これも大事なことなのだが、 この南京事件の主犯である張勲は事件後、 なんと功績者として江蘇都督に昇格し、次いで長江巡閲使となり、 挙げ句の果てが、定武軍元帥にまで出世している。 日本では到底、考えられないことだ。 日本人の感覚では、戦争でもないのに無辜の市民を 欲しいままに虐殺、略奪、強姦しまくるような不埒な人物は、 どんな場合でも尊敬などされることはないし、 そうした人物が政府要人として、 あるいは軍の幹部として出世することなど、まずあり得ない。 歴史をひもといても、そうした極悪非道な人物が、 日本史において成功者となったという事例は、まったくない。 こう書くと、信長が比叡山の焼き討ちをしているじゃないか、 という声が上がりそうだが、 当時の比叡山は僧兵を抱えた一種の仏教軍閥であった。 そしてこれを討つ信長には、ちゃんとした大義名分が備わっていた。 他方、支那という国は、権力者ないし軍事強者が 弱者を虐殺、強姦、略奪するのは、むしろあたりまえの風習である。 秦の始皇帝の時代から、その歴史は繰り返され続けている。 暴れ出したら、虐殺強姦収奪は当たり前の支那社会に対し、 あくまで国家として軍は正々堂々とあるべきであり、 奉勅があってはじめて軍が動員されるという日本社会。 両者のこの違いは、さらに東亜を共倒れにし、 漁父の利を狙おうとする欧米諸国に付け入る隙を与え、 政情をますます複雑なものにしていった。 ――――――――――――――――― 『ねずさんの ひとりごと』 「四度あった南京事件」より http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1452.html 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 おもな南京事件は下記3つあります。 ◆1913年(大正2年)8月の南京事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-604.html ◆1927年(昭和2年)3月24日の南京事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-107.html ◆1937年12月~の「いわゆる南京大虐殺(南京事件)」 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-518.html 尼港事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-105.html 漢口事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-108.html 済南事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-109.html 通州事件 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-121.html アメリカ軍やオーストラリア軍の蛮行 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-162.html 終戦~日本人 引き揚げの悲劇 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-154.html 終戦~日本人 引き揚げの悲劇_2 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-155.html 敗戦後の惨状 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-575.html 東京大空襲 ~ その投下方法 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-153.html |
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