正統史観年表

戦前の外国の行動は すべて自然な流れとして批判せず、日本国内にのみ すべての原因を求める自虐史観。「日本の対応に間違いがなければ すべて うまくいっていた」という妄想が自虐史観。どんなに誠意ある対応をしても相手が「ならず者国家」なら うまくいかない。完璧じゃなかった自虐エンドレスループ洗脳=東京裁判史観=戦勝国史観=植民地教育=戦う気力を抜く教育=団結させない個人主義の洗脳

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『1940年(昭和15年)12月3日、日滿華共同宣言』

1940年(昭和15年)11月30日に「日華基本条約」で
汪兆銘の南京国民政府を日本が正式に承認したあとの
1940年(昭和15年)12月3日、「日満華共同宣言」が発表された。

その骨子は、

「日満華三国が本然の特質を尊重し合い、
道義に基づく東亜新秩序建設の共同理想の下に、
東亜及び世界の平和に貢献する。」

ことを前文で述べ、
三国が相互に主権と領土を尊重すること、
善隣友好・共同防共・経済提携の努力を尽くすことを声明した。

重慶政府は依然抗戦を続けており、多くの問題は残されていたものの、
日満華三国を基軸とした東亜安定の基本的構図は
これで実現したものとわが国は理解したのであった。

歴史的に見れば、明治以来の大アジア主義思想が、
曲がりなりにも具現化への端緒を得たということができる。
これはアジア復興への曙光たるべきものだった。

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以下、WIKISOURCE『日滿華共同宣言』より
http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%97%A5%E6%BB%BF%E8%8F%AF%E5%85%B1%E5%90%8C%E5%AE%A3%E8%A8%80

『日滿華共同宣言』

朕樞密顧問ノ諮詢ヲ經テ裁可シ昭和十五年十一月三十日
南京ニ於て帝国全権委員ガ関係各国全権委員ト共ニ署名調印シタル
日滿華共同宣言ヲ茲ニ公布セシム

御名御璽

昭和十五年十二月二日

内閣総理大臣 公爵 近衛文麿

陸軍大臣 東條英機

外務大臣 松岡洋右

大藏大臣 河田 烈

海軍大臣 及川古志郞


條約 第十一號 日滿華共同宣言

大日本帝國政府

滿洲帝國政府

中華民國國民政府

三國相互ニ其ノ本然ノ特質ヲ尊重シ東亞ニ於テ道義ニ基ク新秩序ヲ建設スルノ
共同ノ理想ノ下ニ善隣トシテ緊密ニ相提携シ以テ東亞ニ於ケル
恒久的平和ノ樞軸ヲ形成シ之ヲ核心トシテ
世界全般ノ平和ニ貢獻センコトヲ希望シ左ノ通宣言ス



日本國、滿洲國及中華民國ハ相互ニ其ノ主權及領土ヲ尊重ス



日本國、滿洲國及中華民國ハ互惠ヲ基調トスル三國間ノ
一般提携就中善隣友好、共同防共、
經濟提携ノ實ヲ擧グベク之ガ爲各般ニ亙リ必要ナル一切ノ手段ヲ講ズ



日本國、滿洲國及中華民國ハ本宣言ノ趣旨ニ基キ速ニ約定ヲ締結ス

昭和十五年十一月三十日即チ康德七年十一月三十日、
中華民國二十九年十一月三十日南京ニ於テ

大日本帝國 特命全權大使 阿部信行(印)

滿洲帝國 參議 臧 式毅(印)

中華民國國民政府行政院院長 汪 兆銘(印)
2008/09/28 01:01|年表リンク用資料
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